38:父の肖像2
必要以上に苦い魔術薬を飲み下し、馬車の荷台にもたれかかる。魔力は底をついてしまったし、これでもないと傷は塞げないのだが、それでもこの味は耐えられない。ただ苦いだけならまだいいのだ。そこに独特の青臭さやら薬臭さが混ざるために悲惨なことになる。安全のためそれなりに遅効性のものを選んではいるが少しずつ副作用は出てきている。自己治癒力の減衰だ。
「また君が無茶な戦い方をするからだよ。もう少し自分の身体のことを考慮したまえよ」
「お前のように魔力が有り余っている訳じゃないんだ。俺にはこういう道しかないんだよ」
もちろん、そんなことはない。剣を捨て、殺しを捨てて街で必死に足掻けば一般市民より貧しいか、それと同じくらいの生活水準で暮らせていけただろう。しかし、少し遅かった。俺の手に残されたのは人を殺める剣だけだ。
「ジェイム、お前こそ魔術の才能があるのになんでこんな物騒な稼業を続けてるんだよ。王国の魔導士団なんかからは引っ張りだこだと思うが」
「いやね、私は大勢で一律の行動をしたりするのが大嫌いなんだ。確かに魔力量やらなんやらで言えば上官級の扱いを受けられるだろうが、まあ軍隊が嫌いなのさ」
その割にはずっと俺と組んで仕事をしているが、まあ二人くらいなら許容範囲内ということだろう。そのあたり俺にも心当たりがある。というか俺に限らず貧民街の連中はみんなそうだ。他の人間が信用できないというのもあるのだろうが単独行動に慣れ過ぎたせいで大嫌いとまでは行かなくとも誰かと共にいるというのは変わったことなのかもしれない。
薬が効いてきて、だんだん痛みが薄れてゆく。小さい傷は既に塞がり始めている。とりあえず出血は完全に止まったようで、助かった。あまり激しく揺れると傷口が開いてしまうが、迅速な離脱とは引き換えにできない。大怪我には包帯を巻いて対応する。
今日の依頼は郊外に鹿狩りに来ていた貴族の暗殺だった。暗殺と言うには随分と派手にやり合ってしまったが、一応成功だ。まさか索敵魔術で動物を探しているとは思わなかった。向こうもまさか動物ではなく殺し屋が反応するとは思っていなかっただろう。相手が何であろうと臨戦態勢に入っている者を襲うのは慎重にという教訓だ。
「しかしよかったね、彼らの馬車を頂戴できて。残党とまで戦っていたら君死んでいたよきっと」
「違いない。お前も回収できてよかった」
撤退し損ねた俺たちの傍に、ちょうど馬車がやって来たのだ。馬が興奮して暴走したようだ。幸運を良い結果の要因には含めたくはないが、そうでもしなければ最悪死んでいたことを考えるとそんなことも言ってはいられない。
御者を脅してどうにかここまでやって来たが、使用人であろう彼が素直に裏切ってくれたのも幸いした。雨も降り始めてきてしまったし、このまま王都までは送ってもらおう。
軽く計算して到着までは2時間。1時間半ほどは眠って体力を戻してもいいだろう。ジェイムに見張りと御者への指示を任せると、目を閉じ横になる。
夢を見る。俺は職業柄夢を見るのはよくないが、眠りが浅いためにどうしても仕方ないということもある。いままで現実と夢を混同して困ったことはないし、妥協というか、諦めているというのもある。
見る夢はいつも幼い自分だ。父も母も記憶の中におらず、覚えているのは最初に殺した女の顔と、手を下したときの不快感だけ。殺さなければ生きていけず、死ぬ度胸もなく、人の慈悲など欠片もない小さな地獄。今でこそ殺し屋が板についてきてしまったが、あの絶望的な風景だけは今でも鮮明に蘇る。
恐れでもなく、訓戒でもない。ただただ絶望がそこにあるだけ。その絶望は俺を変えた訳ではなかった。在り方は昔と微塵も変わらず、むしろその絶望を生み出すのにいくらか加担している。もちろん、助けてやりたいという気持ちは十二分にあるのだ。自分のような境遇の子供を救い、こんな生き方をさせない。そんな聖人のようなことができればどんなにいいか。
血を吐く。夢が痛みと連動したのか、土砂降りの雨の中地面に倒れ、そして喀血している。身体は冷たく、呼吸も細い。夢の中だから都合がいいのか、主観であって客観、俺自身は幼いころの俺でありながら、その様子は他人から見たように映る。苦しみを味あわずに記憶そのものを覗いている感じだ。
急ぎ足の大男に蹴り飛ばされ、汚い水路に落ちる。幸い口も鼻も出ているが、この雨では増水して窒息するのも時間の問題だろう。もはや雨の音も水の流れも心地良い。こんな経験があったのかすら覚えていないが、これはこれで悪くないのかもしれない。
夢の中で、また夢の世界に旅立とうとしていた俺を、轟音が現実に引き戻す。
「よし、起きたね。さすがだよアールハイト。そろそろ王都に着くけどどうやらギルドの抗争が起きているようだ。もう限界に近いだろうけど賞金首を狩りに行こうか」
「了解。露払いくらいならまだ間に合うぜ」
いつでも商魂たくましいというか、金にがめついというか、賞金首でも依頼でも実行できそうなものには例外なく食いつく。それで騙されたことも一度や二度ではない。だがまあ今回は明らかにギルド同士の小競り合いにしか見えないしその危険はないだろう。
王都外壁のところで馬車を止めさせ、目ぼしいものをくすねて王都内を覗く。思った通り戦闘は主に人の去った西区ゴーストタウンで行われており、双眼鏡で軽く見たところ遊撃隊はまだ到着していないようだ。
「割と都合がいいんじゃないか?」
「あの戦闘なら放置されそうだしな」
ギルドといっても大規模な抗争も行うような大所帯は街の経済などに深く根を張っており、暴力を手段とした裏の経営者団体のような意味合いが強い。故に彼らは自らの縄張りを必要以上に破壊することを嫌い、無人の街で戦闘する場合が多い。
政府が大っぴらにギルド対策を取れないのもこの働きによるもので、彼らの存在が裏で経済を支えている。
だが暴力という手段を用いる以上彼らは犯罪者であり、名の知れた者であれば懸賞金もかけられる。無人街の戦闘の場合は遊撃隊すら見逃す彼らを容赦なく狩る。卑しいと言われてしまえば反論できないが、それが俺たちだ。
距離にしてここから約1㎞。3分あれば余裕で着くか。全身に魔力を充溢させ、身体能力を強化する。先程まで魔力を拒むような形で魔力の回復を図っていたために、内側から拡げられるような感覚が全身を襲う。
「大丈夫かい? 本調子じゃあないんだから無理しては駄目だよ」
「分かってる。お前は報酬の取り分の試算でもしてろ」
揃って外壁から飛び降り音を立てずに屋根の上を駆ける。だがジェイムがすぐに前へ出る。俺には到底できない芸当だが、飛び上がった際に後ろに伸ばした手の平から魔力を放出し、その勢いで前方に飛んでいるのだ。ただ走っているだけの俺とは話が違う。ただでさえ強化の質が悪いのに、あんなことまでされて追いつけるわけがない。
俺たちはできるだけ迅速かつ安全に賞金首を獲るため、先行したジェイムが高所に登り、俺がその指示を受けて先陣を切ることになっている。王都には一定間隔毎に時計塔が設置されているため非常に都合がよい。
「アールハイト、そこの角を左に曲がって3番目を右。本屋跡に『王都西部ギルド』の幹部が陣取っているよ。護衛は5人で少ないが油断はしないように」
時代と共に廃れた組織だと思っていたが、まだ残党が残っていたのか。もはや賞金と共にその名すら薄れゆくというのに、健気なものだ。
指示通りの場所に少しスピードを落として向かう。様子見と地上に降りたジェイムを待つのを兼ねているのだ。様子を窺っている間にジェイムが追いつく。
「よし、突入するぞ」




