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390:悪魔の一手

「悪魔の一手……?」


「ああ、あの双子の闘いだ。その行方で、この戦いの勝者は容易に変わりうる」


 ……アーツとハーツの戦いか。実際そうだ。アーツは特務分室の最高戦力。それが負けるとなれば、ハーツの禁呪も相まって、俺たちの勝ち目はかなり薄くなるだろう。


「親衛隊の一員、という立場だけで言えば、ハーツが勝利する方が都合がいい」


「どういう意味?」


「私は、この男と停戦規定を結んでいるんだ。だから君たちがハーツに勝手に負けてくれるのであれば、私は全力でハーツを叩き潰せる」


 意地の悪い言い方だ。『私の手にかからずに死ね』ということか。俺との停戦協定が仲間にまで及んでいること自体はありがたいが。


 リリィも不満そうだ。これだけ必死に戦っているのに、目の前で敗北を望まれて嬉しいなんてことはない。


「だが、私は迷っているんだ。偽りの王を、守り続ける必要が本当にあるのかとね」


 親衛隊にも、今の王を守ることに疑問を持つことがあるのか。オラージュが、彼が王座を掴んだ経緯をどれだけ知っているのかは知らないが、少し嬉しかった。


「だから、その答えは君たちに委ねるとするよ」


 そう言われてしまっては、絶対に負けられない。アーツも、キャスも、長い年月をこの時のために投じてきたのだ。


 俺たちも命をかけて戦ってきたのだ。初めは罪の帳消しに釣られて、逆らえない流れに流されて、なんとなく所属した組織だった。


 だが、一度離れてわかった。俺はもう特務分室の一員なのだ。仲間が好きなのだ。義理とか、命令とか、そういう動機ではない。ただ、彼らの力になりたいのだ。


 だからこそ、俺たちが正しいと、やってきたことは無駄ではないと証明したい。オラージュの中だけでも、その答えを示したい。


「アーツの援護に行くぞ、リリィ」


「まかせて」


 援護とは名ばかりだった。きっと、戦場に辿り着いても俺たちでは何もできないだろう。この消耗した状態ではおろか、平時でさえも介入を許さない次元の戦いかもしれない。


 しかし、だからこそ行かなければいけないのだ。俺たちの介入を許さない戦い。つまりそれは、手出しの暇がないほどにアーツが本気を出している戦いだ。


 全力を出さなければいけないからこそ、不安に駆られるのだ。普段は笑っている彼が苦悶の中で息絶える、そんな未来が少しだけ見えるのだ。普段は明瞭な輪郭が霧の中で霞むように、不安は鈍く迫る。


 きっとそれは、俺だけではない。リリィがついてきたのもその証拠だろう。きっとカイルやハイネも彼の許に向かっている。


「お姉、どうしてるかな」


「あいつは俺たちの大将だ。いるべき場所にいる」


 そうは言ったものの、これがリリィの問いに対する答えにはなっていないことも理解していた。リリィが知りたいのは、キャスがアーツの行く末をどう考えているか、ということ。


 なぜ答えられないかって、理由は単純だ。俺もわからないから。


 むしろ、俺も知りたいのだ。幼い頃からアーツに守られ、その戦いを支えてきた彼女が、アーツの生死どちらを望み、想定しているのか。


 そんな思考も、とある一歩で霧散した。この感覚、ガーブルグ帝国で『虚』に触れた時と似ている。あれよりはまだマシだが、心身全てに重い枷をつけられたような感覚。


「大丈夫か、リリィ?」


「ちょっとふらふらするけど、問題ない」


 この、暴力という概念の中に立っているような感覚。魔力によるものだが、魔力を喰らう俺にまで届くほどの暴虐。やっと到着したのだ。


リリィの様子に注意しつつ、中心部に向かう。いるはずだ。そこに。


「あ〜あ、来ちゃったかぁ……」


 取り繕うこともない、心底残念そうな声。絶え間ない暴力の嵐の中にいるような状況なのに、その声は今までのどれよりも安らかに感じた。


「アーツ……!」


 見上げた先にいた彼は、流血していた。今まで、彼の血など何度見ることができ────。


 違う。額から頬、そして首に伸びているそれは、血ではない。言うなれば紋様。呪詛のような紅をその身に顕した彼は、さながら修羅のようだった。


「だから、来てほしくなかったのに」

次回、391:剥落 お楽しみに!

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