35:彼方の人形師
「ハイネ、悪いが俺はお前を信用していない。妙な動きをしたら一突きで殺すが、とりあえずは自分の傷も治せ」
「え……あ、はい」
信用していないとは言ったものの、今のハイネは俺たちに害をなすとは考えにくい。少なくとも今はカイルを救ってくれたことは感謝に値する。しかしまさかハイネが最高位の治癒魔術を使えるとは思っていなかった。それもあの狂戦士のイメージが染みついてしまっているからだが。破壊用の禁呪と治癒用の魔術の両方を使えるというのはかなりのアドバンテージではないか。……いや待てよ。
「ハイネ、お前何故魔術を使える?」
禁呪のデメリットは魔術を使えなくなること。カイルが助かったからすんなり受け入れてしまっていたが、おかしい。
「その、私禁呪との相性がすごくよかったみたいで、理性が残っていれば魔術を使えるんです。一部制限は受けてしまうんですけどね」
魔術が使えないという原則の例外として、禁呪との完璧に近い適応性という話は聞いたことがあるが、まさか本当に存在するとは。禁呪を開発した古代人と、魔力特性から魔力回路の構成まで、ほとんどが似通っていないとそうはならない。具体的な確率は正確に出せないために試算されていないが、天文学的な確率だという。血縁関係があると似る傾向にあるらしいが、それも近ければの話で、禁呪を生み出したような時代の血はもうこちらに影響を及ぼすことはほとんどない。
「カイルが目覚めるまで通話宝石に魔力を通してくれ」
どうにも情けない話だが、ハイネにアーツへと繋いでもらう。
「とりあえずカイルは無事だ。それから報告だが、王国軍撃破の理由が分かった。敵には千里眼の魔術師がいる。進軍を続けるにしても衝突覚悟で全軍をまとめて動かせ」
『ご苦労様。お疲れのところ悪いけど、カイル君が目覚めたら城塞都市を制圧してそのままに王都に向かってほしいんだ。そこの子も連れてね。現在指揮権は実質俺にある。聖遺物を回収した時点で撤退するからできるだけ急いでね?』
「了解した」
完全に意識を取り戻したハイネは、治癒魔術のおかげだろうがもう歩けるようになっており、カイルを抱えた俺を先導して司令部に案内してくれる。なんでも操られて正気を失っているときも記憶は残っているようで、司令部までの道のりも覚えているらしい。さすがに内部にはかなり人が多く、忍び込めそうにない。だがいつまでも一所に留まっているとディナルドに捕捉、追撃されてしまいそうだ。
「カイル、起きろ」
カイルを揺さぶり、頬をぺちぺちと叩く。ダメージによる疲れから眠ってしまっていたのか、ゆっくりと目を開ける。ハイネと俺が普通に一緒にいるのを見て悟ったのか、ハイネに銃を向けたりはしないでくれた。
「あの、カイルさん、本当に申し訳ないです。私のせいで、カイルさんを殺してしまうところでした」
「え……? いやまあ、今度から気を付けてくださいっす。それより、これからどうするかが先決っすよ!」
カイルにアーツからの指示を伝える。今回はカイルがいてもとても戦闘は避けられなさそうだが、気休め程度にはなるだろう。何しろ俺がカイルを担いで突入しなくて済むというのはかなり大きい。
「司令部に入ったら私は一回別れてもいいですか? 食べ物と服を確保したいのですが」
確かにもう傷もないのに包帯ぐるぐる巻きというのも目立つだろうし着替えた方がいい。アーツにはハイネも一緒に皇都に連れていけと言われているし、ハイネもここで裏切る利はないように思う。一人で行かせても構わないだろう。
カイルと二人で兵士を蹴散らしつつ、少しずつ塔に似た構造の司令部を登っていく。カイルによれば索敵魔術や通話宝石等の中枢機能は上階に集中しているらしい。
「レイさん、この上の階に索敵魔術の発動機があるんすけど、三人、明らかに警備についている魔術師がいるっす。体力的には大丈夫っすか?」
「魔術師相手なら十分だ。それよりカイルは通話宝石を破壊してくれ。索敵魔術が破られたと感づかれたくない」
「了解っすよ」
俺は扉の前に残り、カイルは最上階へと階段を昇っていく。扉の向こうには3人。魔術消去で何とかなるだろう。カイルが十分に離れてから、扉を足で開ける。
薄く開けた扉の隙間から飛んできた銃弾に、左肩を貫かれる。扉の向こうには濃紺の礼装の男。ディナルドだ。憎悪に満ちた目で、俺のことを睨みつけている。銃を使っているあたり、正気を失ったハイネと違い、俺に魔術が効かないことは理解しているようだった。弾が体内に残るような威力のものだったらより効いたが、そこまでは頭が回らなかったか。
「貴様、私の人形の核を、最強の禁呪を、よくも奪ったなッ!」
続けて、二発、三発と拳銃が火を噴く。だが撃たれると知っていればこの距離でもギリギリ躱すことができる。ディナルドの脇に立つ男二人の目は妙に生気がない。彼らも操られているのか。
「この俺の、この『彼方の人形師』の人形を、返しやがれ人間の屑、このゴミが!」
さっきディナルドはハイネの禁呪のことを「人形の核」と言った。ハイネの様子を見るからにして、あの禁呪は適切な、つまり【静寂の一刈り】としての使い方をしないと肉体だけでなく、精神を蝕む。それはつまり、操るのに適しているのではないか。その証拠に操られているであろう男たちは精神を完全に破壊されているように見える。
しかし一つ気になることがある。ディナルドの魔力特性だ。ハイネの話では確か彼の魔力特性は『千里眼』だったはず。そこまで具体的な魔力特性で人間を、しかも複数操るなんて高等魔術は行使できないはずだ。それならば、もう少し操ることに適した魔力特性のはず。
「お前、魔力特性を偽っているな」
俺が睨みつけると、ディナルドは初めて勝ち誇ったような笑みを浮かべる。俺に質問させたという点が、この男をそんなに高揚させているのか。
「そうさ、よく気付いたな。私の本当の魔力特性は『遥か遠く』。千里眼のみならず、人体操作も空間接続もお手の物さ」
こいつが教皇を移動させていたのか。正体が分かったのはいいが、教皇の力に迫る鍵がなくなってしまった。もっとも聖職的な特性に限られているという時点で空間接続を本人がしているとは考えにくかったが。
ディナルドの合図とともに、脇の男たちが捕捉できないほどの速さで動き、俺の両腕を締め上げる。迂闊だった。これ以上疲労を蓄積するわけにはいかないと身体補強の出力を甘くしていたがための失態だ。にやついたディナルドが銃をこちらに向ける。
「じゃあな、英雄殺し」
銃口の向きと目線からして狙いは心臓。妙に固定されているせいで脚も動かない。せめて急所への直撃を避けようと銃口を睨みつける。
轟音。しかし銃弾はいつまで経っても飛来しない。
「壊す対象さえ決まっていれば、案外うまくいくものですね」
その涼しい声の主はハイネ。【静寂の一刈り】で銃弾を破壊してくれたらしい。ハイネが俺の前に進み出る。こんな城塞都市のどこにあったのか、田舎風の質素な恰好――麻のシャツに分厚いベストとロングスカート――で、各所に包帯が見え隠れしている。
「消えるのはあなたです、ディナルド」
ハイネが右腕を持ち上げてディナルドに向ける。だがハイネが手を握り締めるより一足早く、光に包まれたディナルドはおそらく例の空間接続だろうが、それを使ってどこかへ消えてしまう。不可視の刃は虚空を切り裂くのみだった。
「申し訳ないです。あと一歩のところで逃してしまいました」
「いや、助かった。ありがとう」
ハイネは少し悲しそうな顔をすると、俺を掴んでいる男たちの心臓を貫く。俺を締め付ける力が少しずつ緩み、床に倒れる。目に見える出血こそしていないが、何の魔術的防御もなされていないであろう彼らにとっては今の一撃は致命傷だろう。
「これで、正しいのでしょうか」
ハイネが床に転がった二人を見る。おそらく自分の意志でこうして人を殺すのは初めてなのだろう。人を殺すというのは、その相手が精神を破壊され生きていても何もできないような人間だとしても、相応に苦しいものだ。俺とて殺人を積極的に肯定するわけではないが、それでもこの大して優しくもないこの世界では、そういう悲しみを諦めなければいけないことがある。
「こいつらの心は決定的に損なわれてる。生かしておいても不憫なだけだ」
ハイネは気弱そうに見えて、かなり度胸があるのかもしれない。俺が最初に人を殺したときなど腹がひっくり返るかと思うほど吐いたものだ。年齢や、直接手を下したか否かという違いはあれど、自分の辛さをあまり表に出さずに我慢しているように見える。
リリィにも、これを強いたのかと今更ながらに思う。せっかく俺とは違う、光の照らす道を歩いていけそうなのだ。俺のように命の喪失に絶望し、ついには麻痺するような人生は、あの少女にはいらない。リリィが選ばなくてはならないものは、俺が代わりに選べばいい。
窓からは皇都の中心に存在する白亜の神殿が、傾きかけた陽光を反射して輝いているのが見える。あそこにおそらくディナルドもいるだろう。ファルス皇国との戦争が早期に終結するか否かは、俺たちに懸かっているのだ。沈む夕日が染めた朱い空は、戦争が始まったあの夜に、少し似ていた。
「開戦」編終了!次回から「皇都」編に入ります。
これからかなりペースがゆっくりになると思います。
それまでに城塞都市が攻略出来て良かったです。
これから皇都に入るレイたちは与えられた短い猶予の中聖遺物【奉神の御剣】を奪取しようと奮闘します。首をちょっと長めにお待ちいただけたらなと思います。
今回もありがとうございました!これからもよろしくお願いします!




