28:英雄殺し
両軍が撤退を始める。もはや力を制御できていないこの男に近づくのは自殺行為だ。カイルとリリィも撤退支援をしてくれているようで、アイラ軍は最小限の被害で男の射程内から抜けられそうだ。
男の魔力の奔流は少しも減衰せずに吐き出されている。身を低くしてどうにか吹き荒れる風に耐えるが、このままでは前に進めない。一方男は魔力放出のせいで傷口が余計に開いたのか、白い法衣を少しずつ紅く染めながらゆっくりとこちらへ向かってくる。
ほとんどが射程外に逃げたからか、無数の光槍は姿を消し、街道の中心には俺と男だけが暴風の中静かに向かい合っているだけとなった。有利なのは完全に俺だ。何しろ向こうはこちらにかすり傷すらつけられない。
「いい加減に魔力放出を解除しやがれ。あんただって、そのなまくらでは俺を殺せないことくらい、解ってるだろうが」
男は何も話さない。否、話せない。既に眼は死んでおり、あんぐりと開いた口の中からは、こぽこぽと血が零れだしている。だがしかし歩みは止めず、一歩、また一歩とこちらに近づいてくる。
今は刀を手に持っている意味がない。素早く鞘に収めると、立ち上がって身構える。男が近づけば近づくほど風は強くなり、立っているのが辛くなる。どうにかして、一瞬でもこの風の壁を破らなければ。
聖遺物の力に溺れてはいるが、こいつは曲がりなりにも一騎当千の英雄だ。それを破るには、それなりの覚悟が必要だ。猶予は約12秒。首にナイフを突き立てる。
傷口からどんどん血が奪われ、一瞬で意識が遠のく。だが血の噴水のおかげで、鬱陶しい暴風も収まった。やはり魔力放出も魔術の一種、俺の能力で無効化できるみたいだ。法衣は完全に赤く染まり、さっきよりも激昂しているのが死んだような顔の中にも見える。
首を押さえても、指の間から溢れるように血が噴き出す。これでも気休めにはなっているが、治癒より早く、とにかく男に止めを刺さなければ。
ふらつく脚を限界まで力を引き出した身体補強でどうにか動かし、鞘から引き抜きざまに男の胴を思い切り斬った。惰性でそのまま男を飛び越えて舗装された地面に転がり、刀をファルス皇国軍に向けて牽制しながら弾丸を回収する。
かろうじて右腕を持ちあげたまま、首の修復に専念する。傷自体はすぐに閉じたが、なにしろかなりの時間出血してしまったから血が圧倒的に足りない。視界は外側がかなりぼやけてしまっているし、呼吸も細く手も震えている。
「やはり疑似聖人ではこれを使うには足りぬか」
突然背後から老爺の声がして、慌てて振り向く。先程の男よりも豪勢な法衣を纏った男だ。歳は60前後か、長い白髪を後ろで結っている。聖人より上のクラスとなるとかなり限られてくる。
「お前、何者だ……?」
刀を支えにしてゆっくり立ち上がる。どう見てもファルス皇国側の人間だ。それに、この男どこから現れたのだ。ついさっきまで俺の背後には誰もいなかった。転移か、隠蔽か、どちらにしろかなり高度な使い手だ。
「儂はランドリック。ファルマ教の教皇をやっておる。要は、そこに突っ伏している男の上司よ」
「妙な動きをするな。もし動けば問答無用であんたを斬る」
先程の『疑似聖人』という単語や教皇という立場から言って、こいつがファルス皇国の魔術関連の指揮を執っているのはほぼ間違いない。そんな大人物がこんな近くに来ているのだ、倒せなくともその力の尻尾くらいは掴んでおきたい。
「何故傷が治っているかは知らんが、これほどの出血ではまともに戦うことなどできまい。儂は【奉神の御剣】を回収しに来ただけだ。お前さんと戦う気はない」
言っている間にも、ランドリックは剣を拾ってこの場を去ろうとする。どうにか、どうにかこいつを引き留めないと。
「おっさん、あんたは根幹魔力がごっそりなくなっているのに気付いているか?」
必死に考えて飛び出してきたのは、そんな事だった。俺たちはこの件に関して大したカードを持ってるわけではないが、ガーブルグ帝国の土壌にのみ魔力が満ちているという一点に関して、【観測者の義眼】がある俺たちだけが知り得ることだろう。
思いの外、この話題はランドリックにも関心事だったようで、足を止めてこちらを振り返る。おそらくファルス皇国でも根幹魔力の減少による不作に悩まされているのだろう。
「それらしき傾向は察知しているが、それがどうしたんだね」
「ガーブルグ帝国内にだけ、十分な量の魔力が存在している。それも農地の地表近くに集中してだ」
それを聞いた瞬間に、温和だったランドリックの目が鋭く光る。ファルス皇国の不作はほぼ確定か。証拠の提示を要求されるが、【観測者の義眼】もなく、ここでは何も示せない。根幹魔力の減少について話しているうちにだんだんと減った血も戻り、自由に身体が動くようになってきた。
「さて、お前さんの顔色もだいぶ良くなってきてしまったし、そろそろ帰らせてもらうぞ」
まずい、感づかれたか。再び俺に背を向けるランドリックの首筋に刀を当てる。
「待てよおっさん。あんたの言っていた『疑似聖人』について教えろ。今更さっきの情報と交換とは言わないが、それくらいしてくれてもいいんじゃあないか?」
振り向いた老爺の顔は、呆れ半分、感心半分といったところか。恨むなら根幹魔力に興味を持ってしまった自分を恨んでほしいものだ。しばらく睨み合うように見つめ合った後、仕方ないかといった様子で話し始める。
「お前さんも聖人くらい知っているだろうが、『疑似聖人』とはその名の通り人工的に生み出された聖人だ。要は英雄量産技術だな。今回のように負荷がかかり続けると崩壊するがね」
宗教の絡む魔術では、その宗教への信心や使用者の徳に応じて威力や効果の度合いが変化する。その信心やら徳の高さを究めたのが聖人だ。英雄増産技術というのもあながち間違っていない。だがこの戦場に数人もの疑似聖人が配置されていないあたり、まだ鶏卵のようには増やせないのだろう。
「せっかく話したというのに、タダでは帰してくれんのかね。さっきも言ったが儂はお前さんとやり合う気はない」
俺が動く暇もなく、ランドリックは外側から順にぼやけるように消えてしまった。どれだけ神経を張りつめさせても微塵も気配が感じられないあたり、やはり転移系の魔術だったか。敵がいなくなったかと思うと急に力が抜ける。
広い街道の真ん中でひとり寝転がる。能力も随分と使ったせいでかなり疲れている。ついさっきまで傷の痛みしか感じていなかったが、戦闘時の高揚感という奴だろう。便利なような、不便なような。
いつまでも寝転がっていてもいらぬ心配をかけるだけだからとゆっくりと身体を起こし砦へと戻る。どうでもいいが行きは馬車で来た距離だ、長い。しかし一般兵はこの距離を歩いて移動しているわけだし、文句を言っていい立場ではない。
砦に到着した時には既に夜になっていた。これからファルス皇国に攻め込むことになろうとならなかろうとしばらく休ませてもらおう。さすがに過労死しそうだ。せっかく戦いを勝利という形で終えることができたというのに、兵士は皆どうにも殺伐としており、騒がしい。
「ファルス皇国のスパイがいたんだってさ」
食堂の隅に腰かけるとリリィが教えてくれる。撤退中に隊列を抜けだして何やら連絡を取っているところを見つかったらしい。そのせいで疑心暗鬼になっている訳か。
「んで、そのスパイはどこにいるんだ?」
「地下牢だってさ。私は来るなって」
それはそうだろう。さすがにこんな子供に拷問を見せるのは心が痛むどころの話ではないだろう。適当にリリィをあしらって地下へ向かう。リリィは中年の兵士に娘のように可愛がられているようだし、問題ないだろう。
地下牢は地上階に分厚い扉があるだけで、一度階下に降りてしまえば広さもほとんどない小部屋のようだった。
「おかえりなさいっす。昼間あれだけ戦ったんだし休んでいてくださいっす」
「これくらい苦じゃねぇよ」
壁に寄りかかって牢の中の兵士を見る。招集されたのは戦闘訓練された者であって拷問を専門としているわけではない。かなり尻込みしているようだし、その証拠に殴打の跡くらいしか拷問の痕跡は残っていない。
牢の扉を開けると他の兵士を外に出す。
「ここからは俺がやる。見たくないなら出てけ」
最近ちょっとずつブクマが増える頻度?が増えててたくさんの人に読んでもらえるようになってきたのかなと嬉しく思っています。
次回序盤ちょっとうっ……ってなってしまったらごめんなさい。
これからも精進いたします最近更新あまりできなくてすみませんでした。
今回もありがとうございます!これからもよろしくお願いします!




