1:魔術師として最弱の男 ◇
暗闇の中、足音を殺して歩く。今日の標的は王国議会議員、アルベルト・クラーク。この仕事をしていると、なんとなく悪い噂は伝わってくる。まさか俺が殺すとは思っていなかったが。
きっと発言力を高めるため、手段を問わずに権力争いに明け暮れていたのだろう。貴族の屋敷だというのにかなり質素だ。それとも俺が今まで殺してきた標的たちが私腹を肥やしすぎだったのか、とにかく装飾品の少ない、よく言えばシンプルな廊下だ。
だが質素なのはその見かけだけ。屋敷の各所に張り巡らされた警備用の魔術は現状用意できるものの中では最高峰だ。依頼人のキャスの下調べの通り、少しでも魔力を行使すればすぐに存在が露見してしまうだろう。
だが、俺にとっては違う。この屋敷の警備魔術はほとんどが魔力感知式のもの。魔力を持たない俺には反応しない。もっとも、そんなことではこんな場面でしか役に立たない俺の性質を肯定することなどできないが。
俺はこの世界の『負け組』。誰もが魔力を持ち、魔術を行使して生きるこの世界で、魔力を微塵も持たない人間だ。それでも。
ゆっくりと、静かに、しかし確かに大きく呼吸をして、それから扉に手をかける。『負け組』の俺でも、ここでなら活躍できる。張り巡らされた魔術の目を掻い潜って、寝首に刃を届けることことが……。
ぎし、と扉が音を立てると同時に、けたたましい警報音が屋敷中に鳴り響く。魔力が感知されたわけではない。扉が開くことで警報音を鳴らすタイプの魔術か。周到なことだ。
「誰だッ! ……いや、この警報音……」
寝ぼけ眼だというのに鋭い光を放つその瞳と、視線が重なる。いくら大きい音とはいえ、この速度でここまで意識を起こせるのは流石だ。だが、この数秒で決めさせてもらう。増援が来たら厄介だ。
「貴様、『魔力無し』だな。まさか実在したと────」
全て言わせる前に首を切り裂く。魔術の構えを取ろうとしていたのはわかったが、少し遅かった。血が吹き出すのと同時に、苦悶の表情を浮かべた標的、アルベルト・クラークは静かになる。
ナイフに付いた血をシーツで拭き取ると、窓を蹴破って外に出る。怒号とともに扉が開いたのがほとんど同時だった。焦ってよかった。
しかし、俺の存在がここまで、あだ名をつけられるまでに有名になってしまっているとは。他の魔術師ではあり得ない手口だから仕方ないが、あまり名が知れてしまっているのは困ってしまう。
実際、今回の警備魔術、明らかに俺を狙い撃ちにするためのものだった。恐らくは音の種類を変えていたのだろう。動作感知系の魔術のみが反応したということは、魔力を持たない俺の犯行だとすぐにわかる。
普通の貴族の屋敷くらいならばなんとかバレても抜け出せるだろうが、用心棒を雇われているとまた変わってくる。そう簡単に負けるつもりはないが、危険度は段違いだ。
走って屋敷を離れると、息を整えて根城の方へと歩を向ける。
◇◇◇
早朝、朝日がやっと見えはじめた頃。薄汚れた街を往く。酒瓶が転がる石畳、血のこびりついた壁、死んだ眼をした浮浪者。多くの市民に忌まわしげな目を向けられる、見捨てられた街。
手を差し伸べることも、その手を掴むことも叶わない吹き溜まり。人呼んで貧民街。お受けのお膝元、王都の外れのこの街で、あらゆる犯罪が跋扈するこの街のひとりとして、俺もまた生きている。
警報魔術を鳴らすような大袈裟な真似をされてしまったせいで、憲兵の出動も早かった。犯人の捜索もかなり早く、夜の間ずっと王都は刺々しい空気がうっすらと充満していた。もう少し早く根城に帰りたかったのに、兵士を避けているうちにこんな時間になってしまった。
道端に投げ捨ててある新聞の一面には、でかでかと夜の事件について書いてある。しゃがんで少し本文を検めると、『魔力無し』、つまり俺の犯行の可能性が高いとの一文もあった。やはりあの警報は俺への対策だったか。
少し気は沈むが、いちいち気にしていても俺にはこれしかできないのだ。気を取り直して早く家で寝てしまおう。……と思っていたのだが。どうやらもう一仕事必要そうだ。
「よ、仕事終わりか? 一杯奢ってくれよ」
声をかけてきたのは、3人組の男。詳しい鑑定はパッと見ただけではできないが、着ているジャケットにそこそこ上等な対魔術加工がなされている。おそらく同業者だろう。
「悪いけど、そんな余裕はない。まだ朝も早いし働いてこいよ」
俺の言葉に、慇懃な作り笑いが消える。きっと彼らはこうして仕事終わりの同業者に集っていたのだろう。普段通りにいかないせいか、苛立っているようだ。
「あのな、俺は別に頼んでるわけじゃねンだよ。命令だよ」
魔力のこもった腕がこちらに向けられる。リーダー格に倣って俺を睨みつけていた取り巻きの1人が、何かに気付いてニヤリと顔を歪ませる。
「おい、こいつ魔力がないぜ。もしかして噂の……」
発する魔力が全くなければ気付かれてもしまうか。ゆっくりと腰の刀に手を伸ばす。
「魔力もなけりゃ能もねェか! 痛い目見ねェとな!!」
刀を抜く。もう戦闘は避けられない。身体中に意識を張り巡らせ、全身に力を送っていく。
「身体補強」
養父から見出された不思議な力。身体の昨日を自在に操作し、生身ではできないような動きすらも可能にする。代償として相応の体力を使うが、生きられるならば遥かに安い対価だ。
男たちの手から放たれる魔術を避けると、壁を蹴ってそのまま背後に回る。旋風のような動きに男たちが遅れて反応する。その一瞬の遅れが命取りだ。取り巻きの2人を切り伏せ、さらなる追撃のために一歩を踏み出す。
さすがは裏切りの満ちたこの街で部下を持っているだけはある。俺の背後からの攻撃を勘で避けたか。刀では届かないこの絶妙な間合い────。
「せ、聖なる素よ、空を裂けッ!」
【魔弾】。魔力を弾にして射出するごくごく初歩的な魔術。この絶妙な間合いで最速で放てる魔術。
そんな光弾を、手で軽く払ってかき消す。普通なら相当な魔術保護でもかけない限り手を貫通する。おかしいのは俺の身体だ。俺の身体は触れた魔術を消し去る。
男の瞳に映る感情は恐怖か、困惑か。泥の底を掬ったように濁るその瞳を見据え、そして刀を振るう。動きの止まった的を斬り損ねるほど鈍ではない。
男たちの服を探って金目のものや魔導具を回収すると、刀の血を拭って鞘に納める。たいしたものは持っていなかったが、今回の手間賃くらいにはなっただろう。
そのままふらふらと歩いて家に入る。荷物を投げ、ひりつく喉にも構わず絞ったレモンを流し込むと、やっと仕事が終わった、そんな感覚が得られる。殺しへの恐怖や罪悪感なんてものにいちいち向き合う暇はすでにないが、それでもこの疲労はどうにも気持ちが悪い。
そのまま簡素なベッドに寝転んで数分。もしくは、数十分。かつかつと、この街に見合わない軽快な靴音が響いてくる。やっと来たか。
「レイ坊! 来たぞ〜!」
大声で名前を呼ぶのはやめてくれといつも言っているというのに。今更期待しても無駄か。
鍵は開いていると伝えると、鮮やかな赤毛の女性が部屋に入ってくる。携えている鞄は今回の報酬を入れるには少し大きすぎる。何か別の用と兼ねているのだろうか。
豪快に机に腰掛ける様子を見ていると、もともとは名家の娘だったらしいという話の信憑性がどんどん薄れていく。この女、キャスが適当を言っている可能性も大いにあるが。
キャスは鞄の中からより小さな包みを出し、手渡してくる。少しも違わぬ今回の報酬だ。俺は仕事として殺しをするようになってからというものキャス以外を仲介人として使ったことがないが、他では報酬の中抜きやら何やら、色々とトラブルもあるらしい。
いや、報酬については文句はないが、一つクレームをつけなければいけないのだった。
「今回、事前情報と警備魔術が違ってたぞ。気をつけてくれよな」
「え? あはは、悪いねそりゃ」
まるで不意打ちを受けたかのように驚くキャス。自分の情報が間違っていることにではない。いまこのとき、この場になかった意識を急に引き戻された、そんな驚きだ。
「どうしたよ。困り事でもあったのか?」
別に悩みを聞く仲ではない。しかしこの女が仕事を持ってきてくれなければ今度こそ俺は強盗でもするしかなくなる。何か困ったことでもあるのなら少しくらい手を貸すのもやぶさかではない。
「レイ坊指名で依頼が入ってるんだ。超高難度、超高報酬ってやつ」
そう言うと、大きな鞄の中身をちらりと見せてくる。中身は全て金。今回の報酬の数百倍はある。これだけの金が動くということは。
「アイラ王国親衛魔導士団、親衛隊を相手に立ち回ることになる依頼だ。ここにある一億が成功し次第すぐに支払われる」
目の前で金を見せつけられれば、依頼人がどれだけの覚悟をしてきたかわかる。本気で俺に、この依頼を受けさせたいらしい。
だが、相手は親衛隊。いくら一億を積まれても、命がなければ意味がない。死に肉薄するこの依頼、受けずにこのまま過ごすのもいい。だが。
だが、生きていても、このまま日々殺しを続けて生きていたとしても、死ぬ時には死ぬ。一億もしない依頼でうっかり死ぬかもしれない。ならば、どんなに危険な依頼だろうと変わらない。
「……やるよ。それで、目標は?」
さっきキャスが尋ねてきたのは、親衛隊とやり合う覚悟があるかどうか。つまり、彼らは直接のターゲットではない。ここまでくれば、俺でも薄々想像はつく。今回の標的は……。
「3日後の建国パレード。そこで国王を殺してくれ」
No.8です。
まずは、第1話を読んでくださりありがとうございます。長い作品ではありますが、楽しんでいただけたら幸いです。
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