288:空/殻
何分間そうしていただろうか。俺は、目の前で息を引き取ったミュラを見下ろしながらただ黙っていた。
なんとなく、俺の仲間は死なないと思っていたのだ。みんな俺より強いのだから、俺が生きていられる戦場では死なないと思っていたのだ。
しかし、そんなはずはない。偶然に生き残る弱者がいるように、どんな強者も少しの傷で死ぬことがある。
ミュラは強かった。俺よりずっと強くて高潔で、美しい心を持っていた。憧憬を形にするだけの輝きを持っていたのに。
それでも死んでしまった。俺を護って死んでしまった。ミュラの選択が最善策だったということは否定しない。俺がミュラの立場なら俺でもそうする。
しかし、人とは勝手なものだ。自分は平気でそれをするのに、人がそれをしようとすると組み伏せてでも止めたくなってしまう。大事に思っているということでいいのだろうか。
息を切らしながらハイネが到着したころには、もうとっくにミュラは冷たくなっていた。もちろん、ハイネが悪いわけではない。
「間に合い、ませんでしたか……」
「せめて、体表の傷だけでも治してやってくれ」
もう死んでしまったのだから、身体くらいは綺麗にしてやりたかった。身体の組織を再生するだけだったら今からでも間に合う。ハイネに頼んで治してもらうことにした。
ハイネはミュラの傷を治していくのと同時に身体に付着した汚れを掃っていく。端から端まで魔術をかけおわったときにはかなり綺麗になっていた。
「これで、いいですかね。隅々まで綺麗にしましたよ」
ハイネが綺麗にしてくれたミュラを、そっと抱き上げて歩き出す。既に力を失ったその白い少女は、人形のように美しかった。
これまで食べるのと同じように人を殺してきたのに、ミュラが死んだことがこんなにも悲しいだなんて思っていなかった。
養父が死んだときも、ジェイムの両腕が壊れたときもこんな感情はなかった。いや、今はもとより感情なんて存在しないのだ。悲しさすら通り越した空虚、殻のようだった。
ただただ白く、ミュラのように真っ白に漂白された心で歩く。全てが空、残っているのは器だけ。俺の大事なものが全て零れ出てしまったようだった。
今は、ミュラを支えるので精いっぱいだった。もうしばらく刀を握れる気がしない。身体に力がこもらない。地面を踏みしめる脚が頼りない。
今にも倒れてしまいそうな身体を、ミュラを汚してはいけないという一心で支える。ミュラを皇都に届けたら、どうなってしまうのだろうか。
避難した人たちへの連絡や誘導のため、ハイネは先に皇都に戻ってしまった。
とにかく歩いた。皇都に着くまで、足を前に出し続けた。一体何分間そうしていたのか覚えていない。とにかく、脚全体がズキズキと痛みだしたあたりで、皇都に到着した。
教皇の寿命まで─────あと129時間
次回、289:沈黙 お楽しみに!




