258:顕現する暗黒
何を守り、何を殺すか。それを決めるのにこれだけ時間をかけたことがあっただろうか。何が変わったかと聞かれれば、その答えは自分でもわかっている。
温かいが危険な戦場に身を置く中で気付いてしまった。俺は死にたくないのだ。俺自身の命の価値が、気付かないうちに高騰してしまっていた。
そして、俺が逃げても教皇は怒らないだろう。先程教皇が俺に『今の君になら』と言ったのは、俺がこれきちんと自覚したからだろう。
死にたくない。表舞台には立たなくていい、自分の作った未来を、そしてそれがさらにどこへ向かうのか見てみたい。許されるのならば共に生きていたい。
ただ未来の礎になって消えるのは嫌なのだ。何かを遺せたとして、それの逢着する先を見届けることはできない。
「俺はあんたを救ってやりたい。だけど、同時に死にたくないとも思っている」
思っていることを正直に伝える。きっとわかっているのだろうけれど。どうして俺はこんなになってしまったのか。
「それは、正しい悩みだ。正義と欲が邂逅するときに生まれる溝、それをどのようにして埋めるのか」
欲、か。手厳しい。せめて人間性とか恐怖とか言ってくれればいいのに。直球で欲などと言われてしまっては格好がつかない。
「それで、どうするべきなんだ?」
「実は、答えは知らない。ただ勇気だけでこれを埋めた人間は皆死んでいくよ。勇気で無理矢理動かしていた身体が急に崩れてね」
身の程知らずの蛮勇、命を捨てる行為。教皇の言ったような人間はそう呼ばれ、英雄として数えられることもない。
勇者など嘘の称号だ。あれはただ立つ勇気があるだけの英雄だ。そして俺達は英雄性も勇気も持ち合わせてはいない。
だからこそ、勇気で無茶を通すと心が折れるのだ。無茶を支えられるだけの勇気すらもともと持っていないのだから、立ち上がるためだけに造られた嘘の勇気はすぐに壊れてしまう。
では、それ以外に俺を立たせるものはあるだろうか。生きたいという意思をねじ伏せて、生死をかけた戦いに臨むだけの動機があるだろうか。
「ここであんたを置いて逃げたら、俺は絶対に後悔する。廃墟になった教皇庁の中で、永遠に逃げたことを悔やむだろう」
「ありがたいね。立ち上がるには十分じゃないか」
俺は、地の底で巨大な何かが目覚めるのを感じた。
教皇の寿命まで─────あと180時間
次回、259:遠雷 お楽しみに!




