245:注ぐ憎しみ
「まだ功績と言い切ることすらできないさ。むしろ今は大罪といっていい」
どうか彼のしたことが正しく後世に伝わりますように。とはいえ、まあ不可能だろう。おそらくあと10日もすればこの国は完全に変革するのだから。
教皇は死ぬ。後継者はおらず、ただ無秩序だけが残る。何かしらの権力者が仮の座に就いて国をまとめて、立て直すことができればいいが。
この教皇、ランドリックに向けられた感情は最悪だろう。戦争に負け、聖遺物を奪われ、魔獣を呼び込み国を壊した。それは真実だ。
だが、その奥に隠された国の崩壊よりも恐ろしい暗闇を民は知らない。虚構の安寧を刷り込まれ操られていたことを。
しかし、ずっと違和感を拭いきれなかったことがあるのだ。以前この国に来たとき、教皇は冷徹な支配者だった。まるで人が変わったようだ。
道すがら、ずっと考えていたのだ。彼の変貌について。以前と今、何があってこんなに変わったのか。
寿命を知ってやるべきことを見つけた。それにしては知識が豊富すぎる。前もって準備を進め演技をしていた。それにしては冷徹すぎる。
「あんた、なんでここまで心変わりをしたんだ?」
「君たちのおかげさ。【奉神の御剣】には、通常より強力な洗脳の魔術が付与されていたのだよ」
つまり、俺達が彼から聖遺物を奪ったおかげで彼は洗脳から解放され、本来の自分を取り戻したということか。略奪もたまには人のためになる。
聞けば聖遺物による洗脳は洗礼の儀式魔術が力を持ち始めてから開発されたようで、ただファルマ教とファルス皇国のためだけに生きる人間ではない『教皇』という存在を造る目的で付与されたらしい。
どうやらファルマ教を立ち上げたのは光の神の直属、四大天使の一つ下の階級の双子の天使らしい。精神に働きかける魔法を使い、800年前に消滅するまで国を裏で操っていたとか。
「君は、この国を白い虚像と考えていたね。ああ、今ならわかる、それが真実だと」
純白の塔も、理想の都市も、みな双子の天使の遊戯に過ぎなかったのだ。子供が積み木で城を造るようなもの。少しそのクオリティが高いだけだ。
ここまでの大国に成長したのも、その中枢に天使がいたから。核を失って800年、空気を入れることを止めた風船のように、だんだんと萎んでいくのは必然だったのだ。
しかし、これからは違う。砂の山、積み木の城ではない。暴風に晒された廃屋のように脆くとも、人々が自分で作る国だ。
「あんたがその虚像を消し去ったんだ、少しは誇れよ」
そんなことを言っても、全く慰めにはならないだろう。彼は人を尊ぶ心を持ちながら、その人生のほとんどを機械的に支配するためだけに生きてきたのだから。
今更償うこともできず、彼の短い命でできたのはただ破壊だけ。しかし、後悔しているようには見えなかった。それだけは救いだろう。
「みんなの憎しみを感じるね。急に降りだした雨のように烈しく打ち付けている」
アーツが微笑みながら頷いていた。俺にもわかる、この国に満ちる憎しみが、すべて彼に向いて降り注いでいることが。
「史上最も勇敢な最悪の教皇よ、俺たちにまだ頼みたいことがあるんじゃないのかな?」
突然アーツがおかしなことを言いだす。俺達がすべきことはただあの門を破壊することではないのか。まだ、この国には。
「君達には頼むまいと思っていたんだが、やってくれるのか」
アーツが再び頷く。
「では、お願いしよう。教皇庁直下、地下の大広間に眠る天使の亡骸を討滅してくれ」
教皇の寿命まで─────あと222時間
次回、246:深すぎる根 お楽しみに!




