202:影月一閃
「【極夜・漆黒の帳】」
穏やかにオーウェンが唱える。その瞬間、まだ薄明るかった周囲が完全な闇と化す。いや、完全ではない。
ちょうどオーウェンがいたあたりに、月がある。細く、しかし美しく輝く月だ。暗闇の中でなお光を放つ、影の月。彼の刀だ。
「アーツさんにだけ、話していたんです。私が新月の夜に使える魔術を」
そういえば、今日は新月。まさか、アーツはこの話を聞いて、決戦の日がここになるように調整していたのか。
あれだけの襲撃を受けて、よくここに合わせたものだ。北部に身を潜めて滞在するのは、休息や潜伏が本当の目的ではなく、新月に合わせるためだったのだ。
「いやぁ、ちょっとタイミングが悪かったね。もう少し夜に合わせられれば良かったのだけれど」
ここまでの精度で時間が調整できれば十分だ。むしろこの日にぴったり合わせただけでも超人的だ。全てが仕組まれているようだ。
「新月の夜、この暗闇の日にだけは、私は誰にも負けない強さを誇る」
ただ暗いだけだが、何がオーウェンにとって有利なのだろうか。確かにいつでもどこでも影に潜航できる。
「私の空間は、全てを闇の中に葬り去る。無であり有、私の空間にいる誰もが、誰にも触れられない。私を除いて」
一方的に、俺達にアクセスできるということか。そしてこの魔術の一番の強みは、【滅】の魔術を完全に封殺できるところだ。
先程まで踏んでいたアーツの鎖の感触がない。オーウェンの魔術が発動した瞬間に、全てが闇に置換されたのだ。
それは、おそらく地面も同じ。地面から大地の恩恵を受けている【滅】は、大地が消えてしまえばそれがカットされてしまい、ただ大きいだけの人間に成り下がる。
影月が見えるし、一応空間の概念は残っているのだろう。しかしどのようにオーウェンの空間が広がっているのかも分からないのに、どう逃げ出すことができようか。
「知っているぞ、【影】。お前の魔術の弱点を。俺達が唯一触れられるもの、それはその刀だ。お前と互角に打ち合い、魔力を全て使い切らせてやる」
この闇の中で、唯一光を放つもの。あの刀身だけは俺達が触れることが出来るものなのだ。あれだけは、陰に呑み込むことが出来ない。
「この刀は、私の魔術を恐れた【滅】、いや、【滅】の中のあなたが絶大な攻撃力と引き換えに与えた枷ですからね。通常武装では、その巨体は斬れませんから」
【滅】を操っている人物は、オーウェンの力を危険視していたということか。そして、そのうえでおそらく彼の裏切りを予測していた。
頭のキレだけで言えば、アーツに匹敵するだろう。それほどに狡猾で恐ろしい。しかし、ここはもうそんな謀略の介入する余地のない領域だ。ただ強さだけが勝者を決める。
「さようなら。少しの間、眠っていてください」
影月、一閃。しかし、これは月というより流星のようだった。闇夜を翔ける、一筋の流星。その軌道を見て分かった。【滅】は、その一撃に全く対応することが出来なかった。
この一撃に、【滅】を操る何者かは介入していないはずだ。【滅】の反射神経、身体能力に、純粋に【影】が勝利したのだ。
美しい一撃だった。何もかもを砕く圧倒的な力も、全てを見通す知略も置き去りにする、最速最強の一撃。
【滅】を操る黒幕は、選択を誤った。オーウェンの力を見誤った。彼の抜刀は、星にすら届く光の速さだったのだから。
「暗夜、終焉」
次回、203:証拠 お楽しみに!




