177:戦鬼、出陣
帰ってきた【影】は、かなり疲弊していた。聞けば強力な麻痺毒を受けているらしい。効果は薄くなってこそいるが、完全に抜けきっていないのだとか。
敵の一人は一応撃破したが、事情があって逃がしたという。まああの【静】というのは同期らしいし、それを無慈悲に殺せとは言わない。
詳しく聞けば聖遺物の悪影響を受けているようで、それを克服するために離れたという。
「安心してください。再度彼が聖遺物に飲まれた時には、私が殺しますから」
……初めから、殺す覚悟はできていたようだ。でなければここまではっきりと言い切れない。覚悟の強度は言葉や態度に表れる。
キャスとハイネの治療でどうにか【影】の毒を消し去ることができた。疲労が残っていて本調子ではないが、まだまだ戦えるだろう。
「【影】、ここにはいつまで滞在するつもりだ?」
「あと三日くらいですね。あ、それから。私のことはどうかオーウェンと呼んでください。今の私にはそちらが相応しい」
特殊部隊と敵対するのに、コードネームを名乗るのはやりにくいか。彼なりの区切りと言うか、そういうものなのだろう。
自分の中で何かケリをつけるというのは結構大事なことだ。いざという時の支えにもなる。枷になることもあるけれど。墓場に殺し屋の俺を置いてきたのも似たようなものだ。
【影】、否オーウェンがいない間にカイルがアルタニア東部のアルタン山脈についての調査をしておいてくれた。
アーツの計画では、一度山に逃げてそこから貿易船で北部まで密航するということになっていた。そのためにも安全で隠れやすい登山ルートを見つけておく必要があったのだ。
「アルタン山脈ですか。向こうの踏破力がネックですが悪くないと思います。私もここを選んでいたでしょう」
オーウェンの賛同も得られたし、三日後には出発だ。一応今のうちに荷物はまとめて置かなければ。
「逃げ回ってばかりっすけど、いつ攻勢に移るんすか? さすがに三ヵ月くらいしか保たないっすよ」
カイルの指摘は的確だ。確かにこの計画で追手からは一時的に逃れられるかもしれない。しかしどこかで再び帝都入りして研究所を叩かなければ、いつまで経っても目的は達成できない。
常に敵襲にも怯えなければならないし、神経も逃げるこちら側の方が擦り減る。物理的にも精神的にもこちらの方が消耗が早い。
「大丈夫。アーツはちゃーんと考えてるさ」
キャスは妙に楽観的だ。アーツの作戦立案能力は群を抜いているが、そこまで任せきりにして安心してもいいものだろうか。
「北部の方が辛いものは少ないらしいですね。なんだかちょっと残念な気もします」
「ハイネも? 辛いのもおいしいよね」
ハイネとリリィも呑気なものだ。まあこれくらいでちょうどいいか。みんながみんな緊張感を漂わせていると空気が悪くなる。
ため息を吐いてふと窓の外に目を向けると、一枚紙が窓に差し込まれているのに気が付く。偶然挟まるようなものでもないし、誰かが何か伝えたかったのだろうか。
紙を引き抜いて見てみると、そこには定規で引いたような四角い文字が並んでいた。
『隊長ノ【滅】ガ動イタ。到着予定ハ明日ノ18時。命ガ惜シクバソノ前ニ逃ゲロ』
慌ててみんなの許に持って行く。これが本当なら3日後なんて悠長なことを言っている暇はない。
「おそらくリック、【静】の勧告でしょう。今日しっかり休んで、明日の朝には逃げた方がいいかもしれませんね」
まだ一度も会ったことはないが、特殊部隊最強の男だというのだからその実力は相当のものなのだろう。
帝都の方角を見つめると、どうにも胎動する鬼神の気迫がここまで伝わってきているように思えた。
次回、178:アルタン山脈の死闘 お楽しみに!