16:時計の針
「あ……がッ」
砕けた骨、そして肺も傷ついている。致命傷にならなかったのが不思議なくらいの、手痛すぎる一撃。純粋な魔術の出力はもちろん、使い方が巧い。先ほどと同じ轍を踏む気はないが、だからこそ迂闊に動けなくなってしまった。
「誰でもいい、二人落として撤退だ。わかったね」
地べたに転がる俺に、アーツが告げる。話すのすら苦しくて、軽く頷くことでそれに応える。立てるようになるまでのこの少しの時間、どうにか稼いでくれれば、絶対に役に立ってみせる。
しかし、いくら彼でもこの猛攻を耐えられるのだろうか。俺の血はシャルの魔力の弾丸で地面ごと散らされ……。
「なるほど、これは重いね」
アーツは俺と同様、地面に縫い付けられたように動けなくなる。かろうじて立ってはいるが、とてもこの場から離れることはできないだろう。
そこに迫るは魔導銃の弾丸と、ランカスの魔術。いくらアーツでも、拠点をひとつ陥してもおかしくないこの飽和攻撃を防ぐなんて。
「心配いらないよ」
俺の内心を汲み取ったかのように、アーツが呟く。その左腕にはちりちりと青い火花のようなものが帯びていた。
結果から言えば、アーツは無傷だった。そのからくりは至極簡単。こちらに向けられた攻撃を意に介さないほどの護りを、彼が持っているというだけの話だった。
昏く、しかし輝く青い光がアーツを包んでいる結界魔術に近いものにも思えるが、これだけの量の攻撃を受けてもびくともしないとは、おおよそ一般的な出力を逸脱している。
「ここだッ!」
今しかない。多少の無茶は許容するんだ。
身体補強の出力を限界まで引き上げ、跳ぶ。アーツの護りに意識を奪われているこの瞬間しか好機はない。
勢いのまま、飛びつくようにシャルの身体に刃を突き立てる。攻撃に思考を振り切ったその隙を、逃すわけにはいかない。
そのままシャルを盾に突き進む。アーツの宣言通り、もう一人ここで、俺が落とす。
シャルを脚で押し除けて刀を引き抜くと、次の目標を探す。できればあの魔術師らしい魔術師、ランカスの方を……。
「ハーツ……!」
まずい。慌てて振り向いた時には、すでにハーツはアーツの許まで接近していた。俺がシャルを盾にして前が見えていなかった、その隙を突かれた。攻撃に意識を向けすぎていたのは俺も同じか。
迷う。迷ってしまった。当初の目的通り目の前の親衛隊を斬るか、アーツを助けにいくか。こうして生まれた、偏った意識なんてものよりもわかりやすく、そして大きい隙を見逃してもらえるわけがない。
「未熟者め」
後頭部への衝撃。ベルフォードの手甲が俺を吹き飛ばしたのだ。咄嗟のことで十分に加速が済んでいなかったのが幸いした。いや、今の俺にとってはこれでも致命的だ。
そもそもかなり無茶をして立ち上がっていたのだ。世界全てがぐらぐらと揺れているようで気持ち悪い。それでもぼやける視界の中で、アーツに向かってハーツの手に握られた黒い剣が振り下ろされる様子だけは見ることができた。
動きたいのに身体がうどかない。むしろ息を吸うだけで精一杯だ。そんな俺に対して、アーツは未だ笑っていた。
青い防壁は重力によって加速された剣によっても破壊されなかった。美しい夜空のようなその護りは、澄んだ光を放ち続けている。ハーツも振り下ろした剣を持ち上げることは叶わない。
が、それはそれ。アーツが攻撃を耐え抜いても、俺たちの状況は変わらない。依然動くことのできない俺とアーツ、それに対して敵は三人がほぼ万全な状態だ。
「ベルフォード、そこの少年に止めを。僕はシャルを治す」
ゆっくりとした歩調でベルフォードとランカスが近付いてくる。そして迫る、圧倒的な質量。
さっきまでただの鉄の塊の域を出なかったそれは、もはや武器とも武具とも呼べない威圧感を放っている。重力操作の魔術というのは、こいつにとってただの手段でしかなかったのだ。敵の動きを止め、必殺の一撃を放つためだけの。彼にとっての本当の武器は、最初に出会った時の直感通り、その右腕だった。
何が魔術消去だ、何が身体補強だ。内心侮っていたのだ。アーツの強さと俺の力があれば、親衛隊も下せると思っていた。この状況でも笑みを消さないその強さと、自分の得意性に驕っていたのだ。
後悔に歯噛みすることしかできない、まだ身体の動かない俺のところに飛来した鎖。それは鎖骨のあたりに突き刺さる。
「ベルフォード、今すぐ殺せ!!」
ハーツに数刻遅れて、俺も意図を理解する。それよりも早く、そしてベルフォードの拳が降り注ぐよりも早く、俺の血を纏った鎖が重力領域に侵入する。
それが意味すること。俺が知る限り最も強い魔術師が自由になる、ということだ。砕けた重力場から、迸るように無数の鎖が押し寄せる。
「恩は返さないとね」
アーツは一度に20本──俺が数えられた範囲でだが──もの鎖をベルフォードに叩き込む。鎖をは思えない爆音を立ててベルフォードを打ちのめしたアーツは、そのどさくさに紛れて俺を抱えて駆け出す。
「あいつ、わざわざ生かしたのか」
身体の各所に鎖が突き刺さっているが、それでもベルフォードの息の根は止まっていない。俺の場合はシャルを殺しきれなかっただけだが、アーツは意図的に致命傷を避けていた。少なくともそう見えた。
「彼らは正しくこの国の護り手なんだ。いずれ必要になる彼らを、殺すわけにはいかないよ。兄さんを除いて、ね」
アーツの言葉は少なくない数聞いたが、明確な『意思』を初めて聞いた気がした。ただ必要なことを、目標のために、淡々と行うだけだと思っていたアーツにも、願望が、願いがあったのだ。
「ひとつ、忠告しておこう。君は俺と同じかそれ以上にハーツに疎まれる、天敵たりうる存在さ」
「天敵……?」
「君の存在そのものが、彼の抑止力になっているからね。なにせ彼の奥の手、【ストップ・ザ・ワールド】は、名の通り……」
「世界の時間全てを、止めてしまうんだから」
次回、17:ひと時の休息 お楽しみに!