174:サイレント・ノイズ
「【静】、いやリック。お前、この国で何が起こっているのか知っているのか?」
「知らない。知る必要がないからな」
リックはあくまでも【静】だった。ただ国を守る一つの存在としての在り方に殉じていた。姿こそほとんど変わっていないが、そこにかつての面影は感じられなかった。
「リック、思い出せ。私たちが何を目指してここまで来たのか。予備役の頃の気持ちを失くしたわけではあるまい」
「我に、そんなものは残っていない。我は正義のため戦うのではない。ただ指示通り戦うだけだ」
ここまで言っても少しも動じてくれないのが悔しくて歯噛みする。リックは本当に、過去を捨ててしまったのだろうか。
リックは口数こそ少なかったが、彼の芯にはいつも正義があった。人を守り、助けることを信条としていた。
おそらく、私よりも正義感の強い男だった。私の正義感なんてものは、所詮憧れと責任感から来る作り物だ。もともとそういう想いを抱いていた人とはその強度が違う。
「リック、お前は──」
「その名で我を呼ぶな」
今までになく冷たい声で、言葉を遮られる。マントと帽子の間から見える瞳は、憎悪と苦しみの色に染まっていた。
「もう、そんな男はいないのだ。こうして、何事もなかったかのように」
リックの姿がぼやけ、気配だけでなくその姿までもが消えていく。こんな魔術が使えたなんて聞いていない。おそらく視覚妨害系の魔術なのだろうが、気配が消されてしまってはもう対処のしようがない。
軍刀を抜きはらって身構える。魔力適性からは少し離れた魔術だし、長時間は保たないだろう。だとすれば、発動している僅かな時間で勝負を決めに来るはずだ。
単純な戦闘能力だけで言ったら私の方が高いことを彼はよく知っている。ゆえに絶対にそんな展開には持ち込まない。どこだ、どこにいる。
どんなに神経を研ぎ澄ましても、彼を見つけることはできない。その反面、倒せる人間は目を瞑っていたって彼を倒せる。要は、予想が当たるかどうかの問題なのだ。
だいたい、予想は付いているのだ。奴は敵の左側に立つ癖がある。利き腕が右だから攻撃しやすいのだろう。
そしてタイミング。相手が息を吐き終えた、一瞬力が抜けるところを狙ってくるのは分かっている。だてに数年間隣で戦ってきたわけじゃない。
「ここだッ!」
身体の左側を守るように、刃を一閃させる。タイミングが少しでもズレれば即死、なかなか度胸の要る賭けだ。
振り抜いた勢いを殺し、身体の右側でぴたりと止める。その直後、甲高い金属音が鳴り響いた。
「ここまで、こうすることまで解ってる」
リックは自分のことを良く知っている相手にはその反対の行動をしたがる。ある程度自分のことを知っている相手の、その知識を逆手に取るのだ。
度胸の要る賭けだった。もしリックがここまで考えていれば盛大な空振りのあとに殺されていただろう。
手に持っていたナイフを弾き飛ばすと、喉元に切っ先を突きつけながら振り返る。リックはそのままの姿勢で、何かを堪えるように黙っていた。
私に行動を読まれたのが悔しかったか、はたまた別の何かが原因か。あまり見たことのない姿だった。
刀を下ろし、少しだけ歩み寄る。
「もう一度聞くぞ。私と一緒に戦ってくれないか?」
これは、最後の希望だった。これでダメならどうやってもダメだ。私たちは完全に反立するだろう。
「断る」
悲しかった。信念とかそういうものよりなにより、長年一緒に戦ってきた私の言葉が届かなかったことが悲しかった。
今度こそ。私は軍刀を強く握りなおす。共に戦うためではなく、殺すために。
「行くぞ、リック!」
次回、175:デッドリー・ノイズ お楽しみに!