146:影融
ちょっと気が引けるが、確かに互いの実力を知っておくことは悪くない。これから一応共闘するかもしれない身としては、意外に悪くない話だろう。
「わかった。とりあえず武器は寸止め、あと重傷になりそうな打撃もなしでいこう」
刀を構える。普段から実戦ばかりやってきた俺にとって寸止めというのはかなり難しいものではあるのだが、仕方ない。あまり本気になりすぎて斬ってしまってもいけないし気を付けよう。
「では、始めましょうか」
男も刀を抜いて、こちらに走ってくる。俺達の距離は一瞬で詰まった。異様な速さ。この速度に追いつける者はないのではないかという程に速い。
この速度、にわかに後退しても次の一歩で仕留められる。本能で退がりたがる脚を踏みしめ、高速の刀を受ける。
細身の刀ということもあってそれほど攻撃に重みはないが、鋭く俊敏な一撃は受けるこちら側の隙を多く生む。
ただ重いだけの鈍らな攻撃だったらどれほどよかったか。男の一撃はその速さゆえに対応が一瞬遅れてしまう。そのため姿勢も不安定になり万全の状態で攻撃を受けられない。
一歩ずつ下がりながら、攻撃を受け流しつつ隙を伺う。そして理解する。この攻撃は完全ではないと。
この男は、相手に受けさせるための攻撃をしている。それは、例えるならば自らの隙を突かせまいと喋り続ける識者の皮を被った偽物だ。弱点を隠し通すために、攻撃を続けている。
「見えたぜ」
振り下ろされた刃を掴み機動性を奪うと、腹に蹴りを入れて吹き飛ばす。それなりに深く切られた左手は痛んだが、我慢して修復する。
「お前、実は戦闘が苦手なんじゃないのか? まあ速度で相手を圧倒出来るなら苦手の部類に入らないのかもしれないが」
男は起き上がると、少し照れ臭そうに笑う。弱点を指摘されている割に、ちょっと楽しそうなのは何なのだろう。
「やはり、バレてしまいましたか。私、戦闘要員じゃなくてですね、魔術も剣も得意じゃないんですよ」
もちろん、戦うことのない人達に比べたら圧倒的に強い。しかし、軍のトップとして君臨するにしては実力不足な気がしたのだ。
だからこそ、それを速さで誤魔化している。まあそれもここまで来れば十分な気もするが、速度という強みがなければ彼は一撃目で俺に敗北していた。おそらく。
しかし、戦闘要員ではないということはカイルのように諜報メインなのだろうか。確かにあの速度は潜入にも逃走にも有利そうだが。
「さて、ちょっとここまでいいことなしなので、少し奥の手を使うことにしましょう」
男はそう言って少し笑うと、何やら魔術を唱える。周りに影響を及ぼすタイプではなく、自身に何らかの付呪をしたようだ。身体強化とかだったらどうしようか。これ以上早いとさすがに困る。
そして彼はそのまま数歩下がり、建物の影に溶けた。文字通り、本当に溶けたのだ。身体が影に入った瞬間そこから消えていく。影の一部になってしまったかのように。
幻術化と疑いナイフを投げてみるが、そういう様子でもない。イッカの【神聖の光剣】の特殊能力【神光迷彩】のようなものだろうか。
全方位に気を張り、どこから来てもいいように構える。だが、おかしい。少しも他人の気配を感じない。
イッカの時は殺気を撒き散らしていたから分かりやすかったが、しかしそれでもこの無の状態はおかしい。まさか本当に消えてしまったのか。
相手がいないという不安が俺を蝕む。相手が消えている、もしくはそう思える状況ほど怖いものはない。もし気配を完全に遮断してどこかに潜んでいたら気を抜いたその一瞬で命は消える。
そして、その時は訪れた。男は、俺の右後ろ、壁の少し上の方から突撃してきた。身体を捻ってギリギリ刀の軌道を逸らす。こいつ、寸止めの約束覚えているんだろうな。
「すみません、少し賭けをしてしまいました。あなたが受けてくれると信じて、ちょっと本気出しちゃいました」
「さっきの一撃は俺もそれなりに本気でやった。お互い様だよ」
さすがに焦ったぞ。壁からいきなり出てくるんだから。
お互い腕試しはこれで十分だと思ったのか、どちらからともなく刀を鞘に収める。さっきの本気の攻撃で、とりあえず満足したのだ。
「しかし、何だ今のは。見たことない魔術だったが」
「影融と言いましてね、自分自身を影にする魔術なんです。私が【影】と呼ばれる所以も、これなんですよ」
次回、147:【影】 お楽しみに!