141:父の道標
戦闘のあとしばらく書類的な事務処理が続き、自由に動けるようになったのは一週間後だった。
軍を動かしてくれた指揮官──オルダーというらしい──は頭首の情報を上に報告することで、戦闘の功と合わせて昇進したようだ。上手く行って良かった。
館にいた構成員はみんな位の高くない者だったようで、俺達が去ったあとも王国軍は順調に制圧を進め、死者がなかったのもポイントが高かったという。
エルシたちにもお礼を言いに行った。彼らは俺達との捜査も面白かったらしく、何か難事件があればいつでも依頼を受けると言ってくれた。困ったときには頼ることにしよう。
仕事が終わり自由になった俺は、小さな酒瓶を持って歩いていた。少し、行ってみようと思ったところがあったのだ。
その道中小さな家に立ち寄る。扉をノックすると、すぐに一人の男が顔を出した。
「久しぶりだな、ジェイム」
「そうだね、会いに来てくれて嬉しいよ」
中に通され、木のテーブルを挟んで向かい合って座る。初めて来た部屋だが、どこか懐かしい感じがする。俺の昔の部屋にどこか似ているからだろうか。
「そういえば、娘はどうした」
彼には娘がいたはずだ。俺とリリィで貴族に絡まれていた少女を助けたのがきっかけでジェイムに辿り着くことができたのだから。
「ああ、彼女は娘じゃないよ。依頼者の娘さんでね、いろいろあってあそこで合流する予定だったのだ。君を見つけて咄嗟に父親のフリをしたのだけれど、一緒にいるお嬢さんに短剣を見られてしまったようだね」
なるほど、そういう事情だったか。子供を守るには親子か兄弟ということにしておくのが一番手っ取り早い。もちろんそれを子供が受け入れてくれればだ。
「実は俺、養父の墓参りに行こうと思って。一緒に来てくれないか」
「そりゃいい、アールハイトも喜ぶことだろうよ」
アールハイト。そう聞いて、一瞬誰だかわからなかった。俺にとって『アールハイト』という名は、俺にとって最も近い名の一つでありながら、どこか遠いものなのだ。
父の墓の場所は一応覚えている。少しの間を置いてからジェイムと共に部屋を出る。
杖を突き、さらに身体の悪くなったジェイムの歩く速度に合わせてゆっくり進む。杖の形も腕の力を極力使わない松葉杖に近いものになっていた。
「悪いな、俺のせいで」
まだ数年は戦えただろうに、俺と共に戦ってくれたせいで彼は殺し屋としての人生を終えた。金は十分にあるのだろうが、それでも。
「気にするなって言ってるだろうに。アールハイトとの約束を守っただけだ」
「……そうか」
ジェイムは、嫌いではないがどうにも得意ではない。どちらかと言えば好きな人間のはずなのだが、何かが違う。
多分、この世界で一人だけ、ジェイムが俺のことを庇護者として認識しているからだ。同僚、部下、友達。そう思ってくれる人間はいても、俺のことを守るべき対象だと考えているのは彼しかいない。
そして、それは今でもきっと変わっていない。もう戦える身体ですらないのに、それでもまだ俺を守るつもりでいる。きっと、守られることに慣れていないから居心地が悪いのだ。
辿り着いた養父の墓は、簡素だったカイルの母の墓よりずっと小さくボロボロだった。一応周りにも墓があるから墓と分かる程度の、とてもささやかなものだった。
酒を地面に少しかけ、俺も残りのうちの半分ほどを飲んでから瓶ごとジェイムに渡す。
「お前も飲めよ。養父とは兄弟みたいなもんだろ」
ジェイムは一瞬目を見開いてから、少し笑って瓶を受け取り酒を一気に飲む。量こそ少ないが結構いい酒だ、ジェイムも満足したのが飲んだ後の顔で分かった。
墓参りの作法なんてわからないし、供えるものは供えてしまった。何か言ってやろうと思ったが、何から話していいかわからない。そもそもなんで墓に話かけるのか。
「思ったことから言えばいい。墓前で話したいのは大抵自分を自分の言葉で知りたい人間さ」
墓は言葉によって自分を映す鏡か。そうなのかもしれない。
「俺は、人を守る戦いがしたいんだ」
それは、いつか父に言われた言葉。いつか、守りたい人を守れる人間になれと。
殺すならせめて、殺すために殺すのではなく守るために殺せと。彼が生前できなかった光に向かって歩む戦いをしてほしいと。
そして、俺は守りたいものができた。なりたいものができた。きっと今なら、父の願いを叶えることができるんじゃないだろうか。だから、誓うのだ。
「だから、殺し屋のレイとはここでお別れだ。あんたと一緒にここに置いていく。せいぜい仲良く、俺のことを待っててくれよ」
そっと大地に触れ、立ち上がる。これで何が変わるわけでもない。俺が殺し屋であったことは変わらないし、これからもその技術、経験を遺憾なく発揮するだろう。
ただ、決意を自分に言い聞かせたかったのだ。
突然ですが次回から新章に入ります!
第四章《悠久暗夜帝国》 お楽しみに!