101:帰郷
帰宅した俺は、『蒼銀団』から盗んできた資料を頭に叩き込み、刻限に路地でクリスを殺した。
そして、例のごとく俺が戻ってきたのは特務分室。ただ、今回の俺は少し違う。解決の糸口、そのほんの片鱗が見えた気がしたのだ。
「なあキャス、カイルの実家ってどこなんだ?」
「いきなりどうしたよレイ坊。身内の知り合いだからって割引なんてしてくれないよ、あの店は」
キャスは笑いながらも店の名前とだいたいの場所を紙に書いて渡してくれる。店の名前はラ・ベルナール。なるほど、家名はここから取っていたのか。
「別に店には用はねえよ。カイルに急な用ができちまっただけだ」
俺は身に着けていた武器を全て外すと、キャスに渡された紙を持って部屋を出る。キャスがリリィに良かったねだのなんだの言っていたが、まだ手紙も書き終わっていないのにそんなにいいことでもあっただろうか。
カイルの家はここからそう離れたところではなかった。王城と貧民街の、少し貧民街寄りにある、街道ほど大きくもなく路地ほど小さくもない不思議な通りにあるようだ。
分室から向かうなら入り組んだ路地を進むのが一番早い。家を持たないような者は大抵貧民街へ集まるため、ここには人の姿はほとんどない。
何も入っていない上着が不自然なほどに軽い。その軽さに違和感を覚えるとともに、俺は自分が抱えていた殺しの道具の数をこの身で知った。これが、穏やかに生きる者の軽さだ。
だが、それは俺とは無縁の世界。重くなければ落ち着けないのだ、もし俺が殺しをしなくなったのならば、その時には何か重しでも入れておこう。その重さに身体が耐えられなくなるまで。
「旦那、どこへ向かうので?」
あと数回曲がれば路地を出ようかというあたりで、後ろから男に声をかけられる。着崩した背広に、ちらちらと光るアクセサリー。このあたりに蔓延る組織の一員か。
「ラ・ベルナールだ。ここからすぐ近くの」
店の名前を出した途端、男の目が欲望に光る。そして入り組んだ路地のそれぞれから数人ずつ男が出てくる。
なるほど。カイルの生家、ラ・ベルナールは超高級なバーと聞く。そこへ向かう無防備そうな男は脂の乗った豚のようなものだ。取って食わない手はない。
さすがにこの人数との狭い路地での戦いは技術的な問題ではなく物理的にかなり厳しいものがある。手足が大きく振り回せないため多方向への対応が難しいのだ。
例えば広間のようなところで戦闘するのであれば身体を下げて一回転しながら足を払えば周囲の人間を崩すことはできるが、ここではそれすらできない。
「おとなしく有り金全部出せば何もしねえよ。一生懸命稼いだ金なんだろうが、悪く思うな」
俺は大きくため息を吐く。別に同情するわけじゃないが、子供が小遣いを握り締めて肉まんじゅうを買いに行くように、あくせく働いて貯めた金を携えて憧れの店に来ているのに、それが眼前で喪われるのはさぞ悲しいだろう。
そういうもろもろの無念と、俺のほんの少しの苛立ちを拳に込めて、最初に話しかけてきた男の顎に鋭い一撃を叩き込む。
面白いほど綺麗に決まった一撃は、男を大空まで吹き飛ばす。レモネードの瓶から栓が吹き飛んでいくような気持ちよさだ。そのまま男は屋根に引っかかる。これでしばらく降りてこれまい。
あまりの出来事に取り巻きたちもぽかんと口を開けて空を見つめていたが、しばらくすると正気に戻り、俺を敵意と恐れの混じった目で睨みつけてくる。
一触即発。そんな空気が場を満たしたその時だった。
「またあんたたち、うちのお客様に手ぇだしてはりますの。次見たらおばばに言いつけるって言ったはずやのに」
柔らかいが、明確な怒気を含んだ女の声が路地に響く。何者かは知らないが、男たちが顔を真っ青にして帰っていったところを見ると、彼女かおばばは相当に恐ろしい人物なのだろう。
「悪いな、助かった」
「いいえ、ラ・ベルナールのお客様ですから」
俺を助けてくれたのは、ちょうどキャスより少し上くらいの女だった。ラ・ベルナールで働いているのだろうか、さすがに顔立ちの整った歩けば人が振り返ってもおかしくない美人だった。
「客っていうと少し違うが、カイルに少し用があるんだ。こっちに帰っていると聞いたんでな」
「あら、カイルのお知り合いかぁ。今カイルは少し出ていてなぁ、奥に案内するんで少し待っててくれへん?」
カイルがいないのなら待つしかない。俺は女に連れられラ・ベルナールへと入る。
花と菓子の混じったような甘く脳の奥を溶かすような匂い。店に入った瞬間空気が変わったようにこの香か何かの匂いに思考力を奪われかける。
重厚なカーテンを抜けて店の奥まで行くと、その匂いもだいぶ薄れる。ここは控え室のようなものなのだろう。几帳のような布で仕切られた布団で女たちが寝ている。仮眠だろうか。
「なんだいアイリス、昼間っから客連れてきて。開店が何時か忘れたのかい?」
「今来はったのはカイルのお知り合いです。うちも開店時間くらい覚えてますわぁ」
アイリス、おそらくこの女と話しているのは小柄な老婆だった。だがその目力は老婆のそれとは思えない。男たちが恐れたのは正真正銘この老婆、アイリスが言うにおばばだろう。
おばばは眼鏡をくいと持ち上げると、品定めするように俺を見る。俺の何を見ているのだか、どうせならもう少しまともな服を着てくればよかったか。
「ふむ。まあカイルが戻ってくるまで少し話でもするかね。茶を淹れるからそこに座って待ってな」
じっくりと俺を見た後納得したように頷きおばばはさらに奥へと消えていく。お眼鏡にかなったということだろうか。
「へえ、おばばが自分でお茶を淹れはるなんて珍しいこともあるもんやわぁ。ささ、こちらに座りはって」
今回ちょっと雰囲気出すために京都っぽい喋り方を入れましたが、なかなか難しいです。何かご指摘等ありましたら教えていただけると嬉しいです。
そういえば今回で100話なんです!
特に変わった回にはなっていませんが節目のようなものということで。
これからもよろしくお願いします!
次回、101:ラ・ベルナールの喧騒 お楽しみに!