8:初任務:捜査2
もやがかかったような気持ち悪い感覚を抱えたまま、それでも遊撃隊の詰所に向かう。ペンダントのおかげで関係者の呼び出しは容易だったが、やはりすぐにというのは難しいらしい。
事前に連絡しておけばな、と思いつつ時間がもったいないので近くの食事屋に入る。特別食べたいものもないし、一番安いトマトリゾットを二つ注文して座る。
「どうだ、何か気付いたこととか、あったか?」
俺はないけれど、と心の中で付け足して尋ねる。俺の気がかりはあの傷口だが、一向に思い出せない。絶対に俺の中にこびりついているのは確かだが、それを手掛かりといえるほど傲慢ではない。
「うーん、いつもより、ちょっと撤収が早かったかな。いつもカイルとか、お姉とかと行く時はもっと人がいる気がする」
お姉、キャスのことか。二人とも似てはいないが、リリィにとっては姉的な存在なのだろう。
それにしても、撤収が早い、か。俺は詳しくないから普段のことはわからないが、手掛かりが全くなかったからとか、そういう理由なのだろうか。
ああでもないこうでもないと考えているうちに、リゾットが運ばれてくる。麦をはじめ雑穀がこれでもかと入ったものだったが、この重量感が今は嬉しい。意外と腹が減っていたようだ。
食べるものが熱々のリゾットでも、リリィのペースは変わらない。味覚以外が死んでいるんじゃないだろうかと心配になるくらいのペースでリゾットを胃袋に放り込んでいる。
呆気にとられてしまったのもあるが、リリィを待たせて数分、俺もリゾットを食べ終わる。腹が膨れたのと一緒にやってきた眠気をコーヒーで散らすと、そろそろいい時間だ。
代金を払うとリリィとともに遊撃隊の詰め所に向かう。が。
「残念だが、君たちの役にはほとんど立てないだろうよ」
関係者、今回殺された男と同じ部隊の男は疲れた顔でそう言った。
「俺たちの部隊はそれぞれ単独行動が基本だ。隊で行動するのなんて、何回あったか」
なるほど、俺たちと同じか。体面を保つため、遊撃隊の一員という名と立場を与えられているが、その実ひとりの諜報員がそこにいるだけなのだ。わざわざここまで引き離しておいて、任務の内容を知らせるなんてことはしないだろう。
その後も被害者の来歴や行動などをいろいろ聞いてみたが、資料に記録として残っている以上のことは聞くことができなかった。
だが、こうして402部隊の実態を聞いてわかったことがある。犯人はかなりの手練れだということだ。
一人で諜報任務を任されるような兵士をあそこまで見事に、一撃で殺せる人間ともなれば限られてくる、少なくとも、突発的な物盗りの犯行ではないのはほぼ確実になった。
「時間をとらせて悪かった、失礼する」
「あんたらも、ご苦労なことだな」
男の言葉からは、政に振り回される一人の人間としてのものか、哀愁と同情のようなものが漂っていた。
「私、今日何もしてないね」
帰り道、リリィがぽつりとつぶやく。そういえば、今日は二人で行動しているのだった。その実俺が振り回しているだけだったが。
「いや、悪いな。俺が独断で動き過ぎた」
実際、捜査の経験や国の諜報機関への知識など、リリィの方が優れている部分は多々あった。それこそ、アーツの言った先輩という言葉も間違いではない。リリィが静かなのをいいことに、いつもの癖で勝手に行動し過ぎた俺が全面的に悪い。
今日はしょんぼりさせてしまったようだし、今度出かけることがあれば何か買ってやろうか。機嫌の取り方はよくわからないが、食べるのは好きそうだし何か、そこの店の肉まんじゅうなんて悪くないだろう。
と、突然リリィが歩を止める。彼女の視線は路地裏に注がれていた。よく気付いたものだ、その先にはうずくまる人影が一つ、そのそばに立つ人影が、二つ。
うずくまっているのはくたびれたチュニックの少女。一方で立っているのは整った顔立ちのよく似た男が二人。貴族の子供が通りすがりに難癖をつけて遊んでいるのだろう。
よくあることだ。俺が住んでいたのは貴族も近寄らないような街だったからこういうことはなかったが、本格的に仕事を始めてからはしばしば見る。
ただそれだけの風景。俺にとっては。
しかし彼女にとっては違った。国の暗部で蠢きながらも、この光景を許すことができないらしい。
「ねえ、やめなよ」
声をかけてしまったからにはもう傍観者というわけにはいかない。俺も数歩遅れてリリィについて歩く。
少年たちは少し背の高い俺たちに驚いたようだったが、その表情もすぐに消える。俺もリリィもそんなに派手な服を着ているわけではないから、自分より隠したと判断したのだろう。
「随分と不遜なお口の利き方だ。子供とて許してはおけませんよなぁ、兄様?」
「そうだなぁ、弟よ。この娘にも無礼を咎めていただけだというのに」
懐を探るリリィの肩に手を置いて、制止する。ペンダントを出せば俺たちの権威は示せるだろうが、それでは物足りない。ペンダントを無闇に使うのもなんだか憚られるし。
ただ痛い目を見せてやりたいというだけではない。教訓は痛みから生まれると、俺の身体が知っている。だから。
「ぎゃっ」
うめき声をあげて兄の方が崩れ落ちる。俺が刀の柄を鳩尾に叩き込んだからだ。弟の方はといえば、人殺しだなんだと喚きながらガタガタ震えている。
弟にも鋭い蹴りを入れ、意識を奪う。気絶させただけで人殺し呼ばわりとは、失礼千万だ。あいにく間違っていないのだが。
スッキリした。訂正しよう。教訓のためではない、こいつらの態度が気に入らなかったから、つい手を出してしまった。スッキリはしたが、虐められていた少女は少し怯えているようだ。失敗してしまったかもしれない。
「大丈夫?」
「は、はい。買い物をして、このあとお……お父さんと待ち合わせをしていたんですけど……」
その買い物は全て少年たちのせいでダメになってしまったようだ。はっと思いつき、少年たちの懐から財布を抜くと、少女が持っていた籠の中に中身をぶちまける。これくらいはしてやってもいいだろう。
「そ、そんな……こんなお金────」
「リン、リン! ここにいたのかい!?」
路地の奥から声がする。杖をついた初老の男性だ。頬も痩け、気の弱そうな感じだ。そして、この子の父親にしては少し衰弱しすぎな気もする。まあ深入りするようなことではないか。
「えっと、この人たちに助けてもらって……」
「そうかいそうかい、すまないね。……お二人も、ありがとうございます」
金を返そうかとまごまごしている少女を、どさくさに紛れて送り出す。こうして渡してしまえば返すタイミングもなくなるはずだ。
人助けなんて、初めてした。意外と悪くないものだ。義憤に駆られたリリィと比べると、俺は数段不純だが。
「ねえ、レイ。さっきのお父さんだけどさ」
しばらくして、リリィが不意に口を開く。
「あれって、行商人の人がよく着てる服だよね」
「あー、言われてみれば、そうかもな」
確かに、行商人がよく着る、背中の荷物もまとめて雨風を防げるマントだ。確かにあの歳で行商というのは多い話ではないが、ありえないというほどではない。
「マントの隙間から、変な形のナイフが見えたの。商品だったのかな」
そう言って、リリィが指で空に形を描く。波のようにうねった、いや、それよりもとげとげしい、ギザギザと形容すべきかたち。
その指の動きが、俺の脳を刺激する。念写の傷、奇妙な形のナイフ、そして俺の記憶。あの男の職業は、決して行商人などではない。むしろ、なぜ今まで忘れていたのか。
「あいつが、事件の犯人だ」
ついに判明した犯人。レイが知る男の正体とは……。
次回、9:初任務:追跡 お楽しみに!