九
この日、ギルドの裏手にある訓練場にはゴダイの姿があった。
ゴダイは「先日は」と言って、方々に頭を下げて回った。
大体のギルド員は「そちらも大変で」と迷惑そうな、同情しているような、どちらでもない微妙な顔をこしらえて彼を対応していた。
後ろから付いて歩くシアには、あの看板を提げた夜、ちょいと因縁をつけられて、と説明していたが、
「それは、ゴダイ様は悪くないのでは」
とピンときていなかったようだった。
ゴダイも件の男に町の名が入ってなければこうも、あれこれと頭を悩ますこともなかったが、
「ジャック様は、このウルマを統べる貴族の家のもの」
とゴダイに物件を周旋した爺がその名を口にしながら苦しそうに話すから、
「手紙を貰った時から何やら嫌な予感はしていたんだ」
そう言って応接間の椅子に座った。
「しかし、あの訓練場の壇上があっただろう。あれを粉みじんにしたんだ。あれは俺が直そう」
対面の椅子に座っていた爺は、少し考えて言った。
「手伝って貰えると助かる」
「手伝うのではない。俺が一人でやるのだ」
「さすがに無理だろう」
爺がそう呆れてものを言うと、ゴダイは悠然としながら言った。
「なら、見ているがいい」
爺とゴダイとシアは闘技場に移動して、そのえぐれた壇上を眺めた。
その光景を初めて見たシアは目を丸くして、ゴダイ様はやはり高名な魔道士なのだと思った。
麻痺の短剣など魔法をやれそれと付与していく手際は、それだけでも宮仕えできる才知があったが、ゴダイはそれを嫌った。
「よし、爺さんとシアは離れてくれ。さっさとやってしまおう」
ゴダイが呪文を唱えると、脇に寄せられた大小の石がぐう、と飛んで幾つも重なっていった。
石が擦れて耳を塞ぎたくなるような騒音を我慢しつつ、次の工程に移った。
次の呪文はやたら早口で、もし自分なら舌を噛むだろうとシアは思った。
すると、脇に寄せられた砂が、ざあ、と集まってこんもりとなだらかな小さな丘を作った。
それから天井付近に魔方陣が浮かび上がると小雨が降り始める。
さらに雨量を調節しながら、どおん、と何度も小さな丘に重いものでも叩きつけるような衝突音が繰り返され、壇上がみるみるできあがっていった。
爺はなんとお礼を言ったら良いか、と言っていたが、ゴダイは、さすがに自分でぶっ飛ばしたものを直しただけと、つっぱった。
それより、とゴダイはジャックのその後を知っているか爺に聞いた。爺は初め、言葉に詰まって、ふがふがさせていたが、その後とつとつと話し出した。
「ジャックはこの町ウルマの領主、ジョン=ジャン=ウルマの三男だ。どうも長男や次男にくらべ変に偏った正義を振りかざす男だ。物事の起こりとそこまでの過程や方法をもぶっ飛ばして――たとえば容疑者と被害者がいるとすれば互いを罰してしまう」
「あいつは狂っているのか」
「そう言うな」
爺は嘆息交じりにそう言ってかぶりを振った。
「そうなった原因は女にあると言う。魔女だか鬼女だか知らんが、三年くらい前に知り合って交際を始めたそうだ。それきりジャックの人は変わってしまった」
「ならそれ以前はまともだったと言うのか」
「いや、確かに偏った思想の男であった。そういうところがあるから、親父に叱られた後はしばらくは大人しくなった。だが、その女と交際を始めてから実際に人を罰して、死者を出した」
「元凶はそいつか」
「それについてもわしはどうとも言えんよ」
ゴダイは黙って頷いた。
神妙な顔をしているから、爺は目を付けられた事に気を病んでいるように見えた。
シアはゴダイや、また自分自身にも、何らかの形で話に聞くその貴族のジャックが罰を与えに出てくるのではないかと不安がったが、先の壇上を直していった手際を見て少年のように胸が騒いでしまって仕方がなかった。
話の中心のゴダイは、話の経緯は何にせよ、結果、ジャックをやっつけてしまったのだから、彼の父ジャンの勅命によって、家臣やら何やら出てくるだろうと覚悟はしていた。
でも、あの手紙のように罪にならないような罪状から無罪なのは明白であるし、ジャックの異常さから、万が一、牢に入れられるようなことがあればこの町はいよいよかもしれないと危惧した。
「何かあればそいつで打ったたけ」
ゴダイはシアにそう言って、爺が苦笑いする中彼女と共にギルドを出た。
ギルド前の大通りは相変わらずの喧騒であった。町民や冒険者達の話し声、馬車の往来から出るがらがら走る騒音、商店の前に立って客を呼び込む者達の威勢の良い声が混じって町は生き生きとしていた。
「では、先に戻っていろ。俺は宿に行く。今日から店の二階で寝るから、そのつもりでいろ」
「わかりました。では後で。お待ちしてます」
ゴダイはシアと別れて、泊まっていた宿へ向かった。部屋の質と料理の質が対価と良い均衡を保っていて彼はとても気に入った。だから、
「また、機会があれば来よう」
と、心付けをまたやった。婆の喜びようを見て彼もまた喜んだ。