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三十三

「おい。遅くなった」


 ゴダイの声はすう、と暗闇に飲まれた。返事はなかった。


 もう遅いから寝たのかと思って角灯でもって照らして階段を上がっていった。


 シアを起こさないように注意して歩いていたが、ベッドで横になってもいなかったから、不慣れな忍び歩きを止めた。時間にして午後九時くらいであった。


 湯かとも思ったが、遅くに歩き回るなんて割と治安の良いウルマであっても、止めるべきであるし、よりによってこの町で特殊な暮らしをしていたシアがとる行動ではなかった。


 ゴダイはどこからかポーションを取り出して飲んだ。それは低級のスタミナ回復のポーションであった。そうして、空にすっす、と指を走らせまじないをした。


 シアは、ここから北東の町の外れあたりにいるのがわかった。ゴダイは、もう遅いから迎えに行くか。それに注意の一つでもしなければな。とまた勝手から出て鍵を閉めた。


 そうして再び突き出した角灯の先から、前方二メートル。黒猫がゴダイの顔をじっ、と見つめて行儀良く座っていた。


「何だ。猫。今は構って――」


 構ってられん。と言う間もなく、にゃうにゃうしゃべり出した。まるで子が親にこれこれこうだから、こうしたい。どうか考えていてください。もし良ければ。なぞと何かお願いをしているような印象を受けた。


 猫はしきりにしゃべり倒して、くるりと方向転換すると、すばやく向こうの方へ走っていったから、ゴダイはおかしな猫もいるもんだと、思いつつ歩き出した。


 ちょっと歩いて、さて大通りに一度出ようと左に折れると、また行儀良く先の黒猫が座っているから、思わず、


「また会ったな。猫」


 ゴダイの言葉に返事をするように一鳴きして、また同じように駆け出した。大通りに出て右に折れるとまた座っているから、


「お前の言いたいことはわからぬが、細かいことは置いておいて、着いていこうじゃないか」


 ゴダイは黒猫に忖度して駆け出した。


 しばらく走って、さあ間もなく着くという段になると、シアの状態が眼前に透過された俯瞰地図の要領で出現した。この時ゴダイは、なるほど近くまで行かないとわからないか、と呟いた。


「もう宜い。猫。お前は休め。今度、褒美に肉でもやるから。休め」


 ゴダイの先を走る黒猫は、良いタイミングでまたにゃん、と鳴くから、いよいよこいつは返事をしているのではないかと疑った。


 そもそも悪魔スノウの力――といわれている――が作用してジャックの姿を変え、ゴダイの前に現れたりしているのだから、猫が返事をするくらいではゴダイも簡単に受け入れるのであった。


 到着した場所は角灯一つの灯りでは判然としなかったが、のっぴきならない状況に陥っているということだけがわかった。


 ぼろの建物の周りに十二三の男達が倒れていた。そいつらは絶命しているとゴダイはすぐわかった。それからその、ぼろの前に人影が見えた。


「おい、大丈夫か」


 すぐさま駆けるゴダイ。


「ああ、ゴダイ様。先生が」


 かすれた悲鳴であった。


 ゴダイは先生と聞いてもその人が何の先生かゴダイの知人ではなかったが、とにかく体が動いた。しかし、


「ああ、シアさん。私はですね。あなたのような元気な子を産みたかったのです。でもね、私は体は丈夫で無いし、頭も足りませんから、そう良い仕事なんかには就けませんし、ほらここの子らのことを考えたら、たとえ人生を棒に振ったって、何とかしたいと思うじゃないですか。それにもう三十手前で貰い手なんか――」


 そう、うわごとをぺらぺらと話すのである。


 その人――先生は地面に足を揃えるようにして座って、その力なくだらり、としている体をシアによってしっかり支えられていたが、目の焦点なんか合ってなくて、右肩がばっさりといかれて骨がめろり、と顔を出していた。そこから血がどばどば出ていて、


「気を確かに持て」


 そこからゴダイが、早口で畳みかけるは、いくつかの魔法であった。


 それらは人の治療に必要な回復魔法であったが、殺菌、消毒、化膿止め、体力回復などがそれぞれ別個にして唱えた方が、このような大怪我を治すのに、回復魔法一つかけるよりは効果的だった。


 ゴダイの差し出された手の先からは、放たれた淡い光は、その光線の強弱や色といった性質を変え、先生を包んだ。


 途端、がくん、と力が抜けるようだったから、シアが慌てふためいて、


「先生は」


 と悲痛そうにかすれた声で言うからゴダイは、



「怪我は治った。体力の消耗は激しいが、命に別状はない……しばらくは安静にしなくてはならない」


「そうですか」


「しかし、何があったんだ」


 そうゴダイが言うとシアはとつとつと、これこれこうでして、と話し始めた。


「そんなことが。倒れているこいつらは」


「ああ、聞いてくださいまし。この人たちは不思議と何も話が通じないのです。私が、狼のお肉を届けて帰ろうとすると、ぞろぞろと四方から出てきて、孤児院を渡せと言うのです」


「これは孤児院だったか」


「はい。そうして、先生が、ここはちゃんと偉い人に許可を得て、果ては国から少ないながらも義援金を頂いてやっているのだから、この場所を明け渡すわけにはいかないのです。とそう私の前に出て言ったのです。そうしたら」


 シアはそこから言葉を詰まらせて先生を一瞥した。


「そうか」


「はい。それで頭に血が上って……」


「こんな賊どもをやっつけたんだ。気にするな」


「ですが」


「やらなければ、やられるんだ。そこらの動物が腹をすかして、他の動物を食っちまおうと襲ったら、相手の返り討ちにあったなんて良くある話だろう。それに今回のはそんな自然界の弱肉強食のように純粋な生の生き死にじゃない。人間の、ましてや悪い部分が馬鹿みたいにでかくなったやつらの仕出かしたことだ。今日はもう帰って寝よう。夜に落ち込んだりするのは良くない」


 シアが、そうですね。と返事をするのまでにやや時間が必要だった。


「よし。それでこの、孤児院の中に子供らはいるのか」


「いえ、孤児院にいる子供たちは皆、里親のところにいます。ただ仕事がないため孤児院で昼間勉強しているんです。お昼も孤児院で食べているそうです」


「そうか。わかった。じゃあ、先生をうちまで運ぼう。何、一階の台所の隣の下女部屋があったろう。あそこに布団をしいてやる」


 そう言ってゴダイは先生を負ぶってやった。衣服に着いた血なぞ構わぬといった調子で、ずんずん進んだ。


「あ、待ってくださいまし」


 シアはちょっとふらつきつつも、ゴダイに続いた。


 ゴダイは、時より吹いてくる風にあおられて左から、右へ右へと流れてくる長い髪が頬や額や首やら、そこらじゅうに、さわさわさわさわと始終くすぐられて、たまらなくなって嘆息をついた。


 

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