序文
気が乗るような、乗らないような中途半端な気分での家族旅行だった。
受験勉強も本格的に始まる高三の夏休み。勉強疲れで潰れそうな僕を見かねた父が旅行に誘ってくれた。一分一秒も惜しんで勉強したい気持ちと、大学なんて行けるところに行ければいいという諦めた気持ちが綯い交ぜになっていたときだった。
東京から船で三時間程度の島に行く予定だった。なんでも父の高校時代の友人がそこで働いているとかで、家族で観光のついでに何十年ぶりの再会をしたかったらしい。
出航前に天気が悪かったわけではない。船員は「ちょっと波が高いですね」なんていうことを気楽に話していた。自分も気に留めるような話ではなかったけれど、乗り物酔いの激しい母は「嫌だなぁ」なんて呟いていた。
出航してしばらくは部屋に入っていて空は見ていないから天候の様子は分からない。ただ寝転がっているだけでも、船員が話していたように波は高いことは感じられた。
出航して二時間くらい経った頃だっただろうか。ずどんっと鈍い音がして船が大きく揺れた。経験したことのない、平衡感覚の混乱。
そこから先はきちんと覚えていない。
必死で船内を逃げたかったのだけれど、ぐらぐらと揺れる船内は立っているのも困難で、迫りくる海水から逃げることは出来なかった。
高確率で死ぬような状況だった。
しかし、生きていた。
「おや、目が覚めたようだね」
だるい身体を起こして、周囲の様子を確認する。見覚えのない場所だった。
「ここは?」
僕は鈍く麻痺したような口をなんとか動かした。
「ここは逢十島。君はここに漂流してきたんだよ」
白衣を着て医者の格好をした人が説明してくれる。僕にお茶を注いでくれた。
お医者さんの名前は杏林あきらという。歳は四十代といったところだろうか。
「君の名前は?」 「寺子政樹です」
「今日が何日か分かるかい?」
「一九七九年八月一日ですか?」
「惜しい。八月三日だ。君が漂流して意識が戻るまで二日かかった。本当に死ぬ寸前だったんだよ」
「助けて頂いてありがとうございます」
杏林さんから逢重島の話を聞く。
この逢重島は、東京から船で八時間かかるような場所にある島である。本土との連絡船は月に一本しかない。次の連絡船が来るのは八月二十四日。三週間後である。つまり、あと三週間、僕は家に帰れず、この島で過ごすしかないようだ。
「あの、海難事故の生存者は確認出来ませんか?」
「残念ながら、この島には本土の情報は入ってこないんだ。新聞も来ないしテレビも無い。ラジオは風の強い日ならかろうじて聞こえるくらいだ」
「そうですか……」
両親の行方が知りたかった。うまく救出されただろうか。
「連絡船が来るまで、この病院にいるといい」
こうして僕は杏林さんの診療所でしばらく生活することになった。
両親のことが心配になるが、連絡手段がないのなら、どうすることもできない。ただ、自分が生きていることにほっと安堵した。