サンタクロースと少女の溜息
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴った。
私は見ていた録画を一時停止にして、インターホンに出る。私の家のインターホンにはテレビモニターが付いているので、いつもなら誰かの顔が映るはずなのだけれど、画面には誰もいなかった。いや、一瞬赤いものが通り過ぎた気もしたけど…
「誰かいませんか?」
一応問いかけてみたけれど返事は返ってこない。イタズラだったのだろうか。
私は多少の憤りを感じながら元いたソファに戻った。
そして、なんとなく再生ボタンを押す気になれず窓から見える外の景色を眺める。
私の家は丘の上にぽつんと建っている。街までは車で20分ほどで着くが、近くにコンビニはないので不便ではある。それでも窓から眺めることができる、眼下に広がる街の様子は好きだ。
特に、今日みたいにしんしんと雪の降る日の様子は。
真っ白にぼやけた中、街の色々な屋根の色が僅かに見えるのが好ましい。
今日は12月23日。クリスマスイブの前日だ。
街はクリスマスモード一色だけれど、私の住んでいるこの家は取り残されたように無色のままだった。
父も母も仕事で一週間前から家にいないのだ。帰ってくるのはクリスマスの三日後だという。
…今日は私の14歳の誕生日でもあるのにな。
思ってから私は頭を横に振った。こんなの、まるで寂しがってるみたいだ。
私は一つ溜息をつくと、その考えを遮断するかのようにカーテンを閉めた。
そして再生ボタンを押す。
途端に静かだった部屋をテレビの明るい声が埋め尽くした。
今話題の芸人がサンタの格好をして街を歩いていつまで気付かれないか…そんな内容の番組。
なんの為にもならないくだらない番組。そんな風に思いながらも私はそれを見て笑う。それが表面的な楽しさ…心の奥底にある何かを紛らわすための楽しさだと知っていても、見ないよりはましだった。
と、またピンポーンとインターホンが鳴った。
今度は出なかった。
出る気になれなかったから。
インターホンは続けて鳴ることはなく、またテレビの音だけが部屋に響く。
暫くして番組も終わりを迎え、エンディングが流れ始めた。
慌てん坊なサンタさんの歌だ。
私はなんとなくその歌を口ずさみながら飲み物でも飲もうと立ち上がる。
ドサッ!
瞬間私は固まった。
背後で何かが落ちたような音が聞こえた。
多分、暖炉のあたりから。
今は火をつけていないのだけれど、うちには外の煙突と繋がった暖炉がある。
そこから何かが落ちたかのような音がした。
まさかだけど、誰かが何かを…もしかしたら動物の死体とかを投げ入れた、なんてことないよね…
私は唾を飲み込み、恐る恐る振り返った。
結論から言うと、そこに居たのは人だった。
人が煙突から落ちてきたのも驚きだが、さらに驚くことにその人は真っ赤な服に真っ赤な帽子…典型的なサンタクロースの格好をしていた。
吃驚しすぎて動けないでいると、さっきまで動かなかったその不審者がむくりと起き上がった。
それから私の顔をじいっと見る。
私も思わず見返した。
どうやら男の人のようだ。それもまだ若い。二十代くらいだろうか。
「お前さあ、大丈夫?の一言くらいかけられねぇの?」
喋った!
いや、人だから喋るのは当たり前なのだけど。
私は何か言い返したり返事をしたりすることもせず、一歩後ろに下がった。
警察に電話しなければ。
「おいお前、なにしようとしてんだ。」
しかし不審者は、私の手が電話機に届く前に私がしようとしていることに気づいてしまったらしい。
ここに座れ、とソファを指さされ、私は逆らうのも怖かったので仕方なしに座った。
私が座るのを確認すると、さも当然であるかのように不審者が私の前のソファに座った。
先ほどよりも至近距離で対峙することになって恐怖で今にも逃げ出したかったが、私は意を決して聞いてみた。
「あなた、誰ですか?」
「はあ?俺はサンタクロースだよ。見てわかんだろ。」
「…不審者とかではなく?」
私の言葉は自称サンタクロースの機嫌を損ねたらしい。
「なわけねぇだろ!お前この時期にこんな格好してる奴って言ったらサンタクロースしかいないだろうが!」
立ち上がって自分の格好を見せてくる自称サンタクロース。
確かにサンタクロースだ。格好だけなら。
でも本物というよりサンタクロースの格好をしている不審者という方があり得るし現実味がある。
そもそも自分はサンタクロースだと主張し他人の家に入ってくるなんて怪しすぎる。
私は隙を見つけて警察に電話しようと決めた。
そもそも、私はサンタクロースという存在があまり好きじゃ無い。…なんで好きじゃないのかは忘れてしまったけど。
「大体なあ、お前もっと喜べよ。サンタクロースだぞ?お前今日何日か知ってるか?24日だぞ。24日にサンタっつったらもうプレゼントしか…」
「24日?」
大して気にするべきところじゃないとは思ったが、突っ込まずにはいられなかった。
自称サンタクロースはピタリと動きを止めた。
「え…今日、24日だよな?」
「いや、今日は23日。」
私は言って、ケータイの日付を見せた。
途端自称サンタクロースは目に見えて焦り始めた。
「え、まじか。今日23日?ちょ、どうしよ。うわ、1日間違えた。あー、いや、あー、ど、どうしよう。」
動揺した様子でそんなことを言ってから、自称サンタクロースは喋るのをぷっつりと止め、黙り込んでしまった。
どうするか考えている、というよりは動揺のあまり思考が停止してしまったようだった。
仮にこの人を本物のサンタだとして…サンタが日付を、クリスマスイブを間違えるなんて確かにあってはならないことだろう。
私はなんだか力が抜けてしまった。
もし目の前のサンタが本物じゃなくて強盗だったとしても日付を間違えたのは焦りようから見て本当だと思う。
そんな間抜けさに私は先ほどまでの警戒心を少し緩め、この男の『サンタクロース』に付き合ってみることにした。
「サンタさん元気出して。1日くらいの間違いはしょうがないよ。」
サンタは私の言葉で意識を取り戻したようだ。虚ろな瞳を私に向け、そしてその瞳に私を写すと途端にその目は色を取り戻しうっすらと涙の膜を張った。
「ありがとう!お前はいい奴だ!待ってろ、今プレゼントを…」
サンタはそう言って辺りを見回し、はてと首をかしげた。
「お前、でっかい袋見なかった?白い色の…」
「いや、見てないけど。」
「いや、いやいや絶手ェ見てるだろ。だって俺、確かに持ってきて…いや、待てよ。……あそこか!あそこだな!うわ、やっちまった!」
サンタは大げさに天井を仰いだ。
いや、本人にとっては大袈裟じゃないのかもしれない。
確かに、サンタクロースが日にちを間違えてその上プレゼントの袋も忘れるなんて、あってはならないことだ。そんなの本当にただの不法侵入者と同じになってしまう。
私に背を向けて、どうしようどうしよう、とさっきからひっきりなしにまるで呪文のように唱えているサンタが急に小声で代わりに踊るか、なんて言い出した時は耳を疑ったけど、どうやら考えを改めたようだ。
サンタは私に向き直った。
「お前さ、欲しいもんねぇの?」
「…え、知ってたんじゃないの?」
一体このサンタはなにをプレゼントしてくるつもりだったんだろう。
「そういうのいいから早く言えって。」
「じゃあケーキとか?」
「じゃあってなんだよ!却下だ却下!次!」
「えー、ならお洋服?」
「洋服は面倒臭い!却下!」
「そう言えば欲しい本があった!」
「本なんて自分で買え次っ!!」
「えー……」
プレゼントはもういいよ、と言うに言えず自分なりに欲しいものを言うこと十数回、私の要望は却下され続けた。
もう大方メジャーなプレゼントは言ったのに全部無理だった。逆になんだったらいいんだろうか。私が本気で悩み始めた時、サンタは訝しげに私に尋ねた。
「お前さ、本当にモノが欲しいのか?違ぇだろ、他に欲しいもんあんじゃねえの?」
「他に、欲しいもの?」
物じゃない欲しいもの?
クリスマスプレゼントに欲しいもの…
私は考えた。
正確には考えるふりをした。
サンタの言っていることは私の心を私よりも正確に見抜いていた。
私が見ないように、認めないようにしていたそれをサンタは不思議と言い当てた。
…でも、それはサンタに頼んだとして、いや誰に頼んだとしても今更手に入ることはないものだ。
「別に、なにも。」
だから私はそう言ったのだけれど、サンタは違うね、と断言した。
「お前は絶手ェ他に欲しいもんがあるはずだ。断言してやるよ。」
「ないって。あるとしても、なんであなたに言わなきゃいけないの。」
「だって俺はサンタだから。子供がサンタにプレゼント願うのは当たり前じゃね?」
「サンタ?あのね、さっきからずっと思ってたけどね、あんたなんてどうせただの不審者でしょ。もしサンタっていうんだったら証拠を見せてよ。」
私の本当に欲しいものなんて、自分でも認めたくないのに…認めないようにしてるのに、見ず知らずの『サンタクロース』になんて絶対に言いたくない。
だから意地悪なことを言ったのに、サンタはその言葉を待ってましたとでも言うようにニヤリと笑った。
「いいぜ。見せてやるよ。見せてやるから欲しいもんを言え。そしたら、絶対にそれをプレゼントとしてやる。」
「どんなものでも?」
「どんなものでも。」
「お姫様になれるチャンスとか、馬鹿げたものでも?」
「ああ、お前が本当に欲しいものがそれならな。」
大真面目な声で言われて、私は少し…少し言ってしまおうかどうか躊躇った。
それでもやっぱり、言いたくなかった。
サンタはそんな私を見て小さく溜息をついた。
「なあ、もうさあ、俺のこと不審者って思ってもいいから教えてくんねぇ?…なんでそう頑なに欲しいもんを言いたくねぇんだ?」
私は一拍間を置いて、口の中で小さく呟いた。
「だって、子供っぽいから。」
相当小さな声だったと思うのに、サンタには聞こえてしまったらしい。
「…子供っぽいから?ぽいもなにも、お前子供じゃん。」
「うるさいな。そうだけど、もっと子供っぽいの。それに、絶対に言っちゃ駄目なことだと思うし、言っても手に入らないと思うし…」
「ふぅーん、そんなに大層なもんなのかぁ?親と一緒に自分の誕生日とクリスマスを過ごしたい、両親にそう言いたい、なんてのは。」
「ちょっ!なんで知って……!!!」
私ははっとして口を押さえた。
サンタは得意げに、してやったりという笑顔を浮かべた。
「いいぜ、やるよ。」
サンタはそう言って立ち上がった。
「…どうやって。お父さんもお母さんも今頃海外だよ。」
私は言ってしまった悔しさと恥ずかしさからサンタを睨んでみたが、サンタは全く意に介してないようだ。
「チャンスをやるよ。最初で最期のチャンスだ。いいか、自分に正直になれよ。悪いようには、ならねぇと思うから。」
「はあ?どういうこと…」
私が言い終わるか言い終わらないかのうちにサンタはパチンと指を鳴らした。
すると、不思議なことに…辺りがぼやけていく。なんだか眠くなってきた。
薄れゆく意識の中、プレゼントを忘れたと言っていたのに、欲しいものしかやらないと言って私から本当に欲しいものを聞き出したりするのはやっぱりおかしい、だとか、もしかして私は今サンタによって薬か何かで眠らされそうになってるんじゃないか、とか…そんなことを考えながら意識を手放した。
…なんだろう。誰かが私を呼んでいる。誰?この声は、お父さんとお母さん?
私は急いで飛び起きた。
急いで状況を確認すると私はソファの上で眠っていたようで、私の目の前には私を起こした張本人…父と母がいるということがわかった。
私は二人が目の前にいることにびっくりしてサンタがどこかにいるんじゃないかと辺りを見てみたがどこにもいない。
サンタが落ちてきた暖炉には火がついていてパチパチと燃えている。
自分のほっぺたをつねってみた。
……痛い。夢じゃない。いや、痛いけど夢なの?
「ちょっとなにやってるの。」
私のおかしな行動を見てお母さんが可笑しそうに笑った。
お父さんも笑っている。
「…ねぇ、今日って何日?」
「おかしな子ね、今日は12月15日でしょう?」
12月15日…お父さんとお母さんが出張に行ってしまう前日だ。
…もしかして、あのサンタは私を過去に送ったの?信じられないことだがそうとしか考えられない。もしくはやっぱり…夢?
と、お父さんとお母さんは急に申し訳なさそうな顔になった。
「凛、いきなりですまないんだがね、お父さんとお母さんは二人とも明日から主張に行かなきゃならないんだ。」
…そうだ。二人が発つ前日、いきなりこんなことを言われて…
「ごめんね、凛。結構長く家を空けてしまうんだけどお留守番できる?」
私はうん、と条件反射で言いそうになって…
サンタが言っていたことを思い出した。
正直になれ…
彼はそう言っていなかったか。
悪いようにはならないから、と。
もうこれが、夢だとしてもそうでないとしてもどっちでもいい。
私はたった一言、たった一言を言わなかっただけで長い間後悔したんだ。
私は二人の顔を見た。
それから震えそうになる声で、勇気を振り絞って言った。
「私、誕生日を一緒に過ごしたい…!」
少しの間沈黙が訪れ、やがてお父さんかお母さんか、あるいはどちらかが小さく溜息をついた。
「そうだな、そうだよな。ごめんな、一緒に過ごしたいよな。」
「ええ、そうよね。ふふ、そうよね…」
「はは、そうだな。よし、出張は他の人に変わってもらおうか。」
「え、できるの、そんなこと。」
「ああ。実はな、父さんも母さんも…お前が行って欲しくないと言ったら違う人に代わりに行ってもらえるように準備はしていたんだよ。」
「そうよお。本当に、困った子。」
「ああ、本当に。」
お父さんもお母さんも口では困った子、と言いながら優しい笑みをその顔に浮かべ私の頭を撫でた。
私は、自分でも気付かぬうちに涙を流していた。心がとてもあったかいのは、暖炉の火のおかげというだけではないんだろう。
私の突然の涙に戸惑う二人を安心させるように笑顔を浮かべた。
「お父さん、お母さん、ありがとう。」
私の言葉にお父さんもお母さんもにっこりと笑って頷く。
…ああ、言えてよかった。
ずっと心の中にあったわだかまりが優しく溶けていく。とても体が軽い気がする。
ああ、良かった……
「……やっと、逝けたんだな。」
俺は一つ溜息をついた。
広いリビングには先ほどまで俺が座って居たソファの他にも大きなソファが二つ。
大きくて薄いテレビにペルシア絨毯、立派な暖炉…それらにはすべて、俺がさっき座ったところ以外…厚い埃が積もっている。
天井やその角の至る所に蜘蛛の巣が張られ、長い間ここに人が住んで居ないことを表して居た。
俺はゆっくりと歩き出し今いる家から出た。
「あらサンタさんお疲れ様。どう?あの子はちゃんと…」
「ああ、大丈夫。」
外で待って居た小さな…しかし物言いは子供らしからぬ俺の相棒に微笑みかける。
「あらそう、よかったわ。私、ずっと可哀想だと思っていたの。」
「ああ、だからここに来たんだろう?」
数年前、クリスマスイブに丘の上の一軒家で一人の少女が亡くなった。
強盗に押入られ、殺されたのだという。
彼女の両親は子供に構うことなく仕事に明け暮れる種類の人だったようで、事故が起こったその日も出張で海外にいた。
彼らは三日後日本に帰国して初めて自分の娘に起こった出来事を知り、初めて娘と共にいてやれなかったことを後悔し、住んでいた家を手放した。
家は売りに出されることもなく、哀れな少女は朽ちてゆく家の中、一人親の愛を欲して死んでなお、ここにとどまり続けた。
俺の小さな相棒はそんな少女のために俺をここに連れて来たのだ。
「それにしてもあなた、なんでサンタの格好なんかしたの?…それ、あの子を殺した強盗の格好じゃない。」
「気分。」
「なに?記憶を作り変えてあげたの?あの子があの日出会ったのは強盗じゃなくてサンタさんだよって。」
「……ま、そういうことだ。」
「それにしても口調まで変える必要ある?プレゼントを忘れる振りとかもして…」
「それも気分。…あれ、なんだ見てたの?」
「聞こえてたのよ。それにしても寒いわね、どう?どこかのお店で温かい飲み物でも飲まない?」
「いいね、コーヒーでも。」
「私はココアでいいわ。コーヒーなんていつでも飲めるもの。」
飲まないだけだろ、と言う代わりに俺は小さな相棒の機嫌を損ねないように小さく笑った。
それから一緒に歩き出す。
と、空から真っ白な雪が降りてきて、相棒の鼻先にとまった。
「あら、雪。きっとあの子の羽だわ。天国に行けたのね。天国からあの子の羽が降ってきてるんだわ。」
口調こそ子供らしくないが、こういう子供特有の純粋な心を持っている相棒が俺は結構好きだったりする。
と、俺は思い出した。
「そういえば、彼女が見ていた窓の外の風景は雪がしんしんと降る美しいものだったよ。」
「そうなの、だったらこの雪はやっぱり彼女が天国に行った証拠ね。」
積もったら雪だるま作りよ、と意気込む相棒の手に引かれ、俺は丘の上に佇む少女の夢跡から離れたのだった。