序章 開戦の兆し
突如として、基地内に警告音が鳴り響いた。
俺たちが暮らす塔の危機を知らせるための警告音。この警報のほとんどが、地上に生息している下界魔獣というモンスターの仕業だ。恐らく、翅付きの魔獣がクラル・シャペルの外殻に現れたとか、そんなところだろう。
「ち……、このタイミングで魔獣かよ」
俺は小さく呟き、訓練中で荒れていた息を整えた。
ちなみにクラル・シャペルとは、俺達が暮らしている塔の名前である。魔獣に占拠された地上から、人類が逃げるために造った七つの塔。クラル・シャペルとは、その中の1つだ。
「テメェが私との模擬戦でへばりやがるから魔獣まで現れる始末だ」
可愛い声に反して挑発的なセリフを吐くのは、俺の教官ことエルフリーデ・シュトレメルだ。
宝石のような蒼い瞳に、銀色の髪。精巧な人形のような繊細さと美しさを合わせ持っているのに、内面は芯のしっかり通った男気あふれる性格というアンバランスさ。さらに、こと魔獣殲滅においては最強とまで謳われた異端児である。
「これでも精一杯頑張ってるんだぞ! というか魔獣出現は俺のへばりとは無関係だっ」
俺は目の前で仁王立ちしている幼女に向けて文句を垂れた。
だが、俺の教官様はこちらをひと睨みし、
「うるせぇ。口答えする前に私より強くなりやがれ」
軽く一蹴されてしまった。
「まあいい。とにかく今は状況把握が先だな。塔の外の様子をモニターに出すぞ」
「最初からそうすればいいのに」
「なんか言ったか」
「……いいえ言ってません」
逆らうとえらい目にあうからな。エルフリーデの反感は買わないが吉だ。
それからエルフリーデはモニターの出力を開始した。
俺は固唾を呑んで塔の外壁の様子が映し出されるのを待つ。
「映像、出るぞ」
エルフリーデがそう言うと、程なくしてモニターには映像が投影された。
訓練室に備え付けられた大きめのモニターを見上げると、巨大な下界魔獣が塔の外殻に襲いかかっている映像が映し出されていた。
「う、うわ……」
化け物の身体を取り囲むようにして生えている数多の触手が、まるで塔を喰わんとするがごとく蠢いている。全長五百メートル以上あるであろう巨大な化け物は、まるでタコだ。しかもあろうことか、塔の防衛機構からの砲撃を受けてなおピンピンしていた。
「なんだよアレ……」
今まで見たことないようなでかさの魔獣。俺は口をぽかんと開けたままモニターを見つめる。今までこんなでかいやつが襲撃するなんてことなかった。どう見ても塔の防衛機構だけで対応しきれる相手じゃない。
「けっ。こりゃまた厄介なのが来やがったな。どうするよカナタ」
口調に反して可愛らしい声音。
アームド・ストライカー・ユニット――通称ASユニットと呼ばれる機械兵器に身を包んだ銀髪幼女エルフリーデが、右腕の装備から伸びる槍状の武装を俺に突き付けながら不敵に口を開く。
「私の元で教えを受け1年か。カナタ、貴様なら下界魔獣フェーズ5名称・塔喰い相手にも戦えるだろう。テメェもそう思うよな?」
「いえ思いませんが」
「そうだろうそうだろう。よし、いってこい」
「ちょ、ちょっと待てよ!」
俺は生身のまま、「は? 何言ってのお前バカじゃねぇの?」という視線を自身の教官であるエルフリーデに向けた。ちょっとお前タバコ買ってこいと軽くパシるかのようなノリに、俺は狼狽せざるをえない。
「――あぁん? なんか文句あんのか」
エルフリーデは容赦なく自身の右腕に装着されたメインユニットである極太のランスを煌めかせる。どうやら俺をこの場から逃がす気はないらしい。
反抗したいが、それは叶わない。俺にはまだ、この人間離れした化け物をどうにかできるほどの実力は備わってないのだ。銀髪碧眼幼女を相手に手も足も出せないというのは非常に情けないが、相手が上手なので仕方がない。
「俺なんかよりアンタが行った方が確実だろうが! もし俺がその名称・塔喰いに負けたらどうすんだ!!」
俺は叫んだ。ああ叫んださ。
相手はフェーズ5。俺が負ければこの第七層が……いや、クラル・シャペル自体が危ないのだ。どう考えても分の悪い賭けにしか思えない。
「バカ言え」
だが、目の前の人外級の化け物は口元を歪めるばかりで一向に俺の意見を聞き入れようとはしなかった。
「この私の教え子が、塔喰いなどに引けを取るとは思わん。それだけのことを叩き込んできたつもりだ。それとも何か。自信がないのか?」
「ねーよ! シミュレータ内ならともかく、こちとらリアルじゃフェーズ1の魔獣とすら戦ったことねーんだよ! それが初の実戦でフェーズ5だぁ!? しかも塔喰いとかいう名称付きじゃねーか!」
「これ以上ないデビュー戦だろ? 名称・塔喰い。聞いた話によると、クラル・シャペル以外の塔の一部を根こそぎ喰らいついたという噂だ。そのせいでついたあだ名は塔喰い。特徴は言わずもがなそのバカでかい口だな。ククク、テメェのアストレイ、そのお披露目には絶好の機会じゃないか」
「笑えないから! この塔の命運背負ったデビュー戦とか笑えないから!?」
俺とエルフリーデが言い争っている間にも、警告音は鳴り響いている。ここでこのチビ女と漫才を繰り広げていても、事態は解決には至らない。
「せめてクレールに頼めよ! アイツ、組織のエース装者だろっ」
俺が慌てまくっていると、目の前の白銀がゆっくりと下ろされた。
洗練された機械美を持つエルフリーデのASユニット。全ユニットを【クロノス】シリーズで統一した一貫性のあるデザイン。白というよりかは灰色をした配色は、エルフリーデの銀髪をよく映えさせていた。
「クレールはアヴァロンの他の装者らと共に第五層に合同訓練に出向いてるだろうが。今基地にいて単機でアレとまともにやれる装者は私かお前だ。マヤもいないことくらいわかっているだろう」
「ぐぬぬ……」
「いいからMDを確認しろ。お前の【アストレイ】の調整が完了している。万が一に備えて一応予備のユニットのチェックもしておけ。特に推進機構のあるオーバーユニットとアンダーユニットは代えを用意しておけよ。陸地に帰ってこれなくなるぞ」
「つーかあんた、俺にフェーズ5を倒しに行かせる気満々ですよね!?」
「貴様に拒否権はない。それとも、代わりに今ここで私と戦うか? 無論、命がけでな」
「ぐ……ッ。卑怯な……っ」
ニヤリと笑うクソ教官に、俺は舌打ちした。
この場でコイツとやり合えば、それは俺の死を意味する。コイツとマジでやり合うくらいなら、フェーズ5と戦った方がマシに思えてくるから笑えてくる。見た目は俺より遥かにちっこいチビのくせに、このエルフリーデという女はありえないほど強いのだ。
あきらめるしかないか。
いや、あきらめるんじゃないな。覚悟を決めるんだ。
どうせいつかは下界魔獣と戦う時が来る。
それが、今、この瞬間になった、というだけだ。
「……なあ、1つ訊きいていいか」
俺は1つ深呼吸して口を開く。
「なんだ」
「本当に、俺でいいのか」
俺が真剣な面持ちで言うと、エルフリーデは眉をピクリと動かした。
「これでも私は今まで何人もの生徒を受け持ってきた。その中でもカナタ、お前は優秀だ。もちろん、許容領域が多いというのも要因の一つだが、それ以上に私はお前の才能と努力を評価しているんだ」
「だとしても、だ。俺で、あの化け物に勝てるのか。エルの勝手な判断で俺を単独で出撃させて、そのせいでこの第七層をどうにかしちまったら責任はあんたにもあるんだぞ。あんたが出れば間違いなく勝てるんだ。なのに俺を出撃させてもし負けたら、教え子の力を過信しすぎた愚かな教官として、エルまで悪者扱いされるかもしれない」
俺がそう言うと、エルフリーデは珍しく面喰ったような顔になった。
だが、エルフリーデはすぐに表情をいつもの凛々しいものに戻し、
「……ガキが。今テメェが心配すんのは自分の身だけだろうがよ。第一、私を心配するなんざ百年早いっつーの。――それとも、逃げるための口実か?」
唇の端を上げ、エルフリーデは挑発するかのように言った。
さすがは教官。俺がそんなつもりで言ったのではないことを、見抜いている。
「ちげえよ。ったく、心配しただけ損だな。それに、あんたがやれるって言ってんだ。勝率はまあ、五分くらいはあるんだろうさ」
「十分な確立だろう?」
「あのなぁ……。やれやれ、つまり五割は死ぬってことかよ」
「戦いに絶対はない。全ては貴様次第だ」
「そりゃそうだけどよ……」
相変わらず室内にある巨大モニターには、大型の下界魔獣が映りだされていた。砦の防衛兵器のおかげで塔喰いが引き連れてきたフェーズ1の魔獣どももまだ陸地には上がってきていないが、それも時間の問題だろう。砦にあるレーザーや砲撃を受けても、塔喰いは全然怯んでいない。いつか突破されるのは目に見えている。
「私は、お前ならやれると信じている。無謀でも蛮勇でもない。カナタの実力とユニット、それらを踏まえた上で私はやれると判断した」
エルフリーデは真剣だった。その瞳には、確固たる意志が宿っている。
こんな俺でも、フェーズ5相手に戦えるのか。正直なところ、実戦経験がないからわからないのだ。俺がどのくらいの実力を有していて、どれくらいの強さの魔獣なら討ち倒せるのか。エルフリーデの言い分が本当なら、俺でもあの化け物と戦えるんだろうが、絶対ではない。所詮は実際に試したわけでもない机上の空論だ。
だが、それでも俺はエルフリーデを信じることにした。
エルフリーデだけじゃない。俺も俺自身を信じる。
エルフリーデが信じた、俺を信じる。
「……はぁ。わかったよ。腹括るよ。どうせここにいたらエルに殺されるわけだしな」
「教官と呼ばんか、教官と」
「へいへい。で、エルとの模擬戦でぶっ壊れた俺のアストレイの調整は博士が終わらせてくれてるんだよな?」
「ああ。――というか、またエルっつったなテメェ。あんま調子乗ってっと一生ガキがつくれない身体にすんぞ」
「おおこわ。フェーズ5との戦闘の前に死んじまいそうだ」
俺がそうおちゃらけて言うと、エルフリーデはふっと息を吐いた。
「けっ。ま、それだけ軽口言えるんなら大丈夫だろ。おら、さっさとMD確認しろ」
「あいよ」
エルフリーデに言われた通り、俺は自分のMDを取り出した。
小型の端末であるMDの液晶をタッチで操作し、編集画面に移る。
【オーバーユニット】
>マインド・アストレイ
耐久値《70/70》ユニットメモリ《30》
【メインユニット】
>アームド・アストレイ
耐久値《60/60》ユニットメモリ《35》
【サブユニット】
>ヴォイド・アストレイ
耐久値《60/60》ユニットメモリ《25》
【アンダーユニット】
>ラピッド・アストレイ
耐久値《75/75》ユニットメモリ《30》
[許容領域使用量《120/125》]
[マナエネルギー残量《15000/15000》]
簡易詳細画面を見ると、エルフリーデの言う通り全ユニットの耐久値は完全な状態になっていた。いわゆる、全快だ。
「相変わらずバカげたコストを持ったユニットだな」
「ホントだよ。必要許容領域120とか、軽く人類の平均許容領域超えてるからな。たまたま俺みたいなのがいたからよかったものの」
「まったくだ。まあだが、無駄にはならなかった」
「そうだな。俺がこの世界に来たのも、運命だったのかもしれない」
言いつつ、俺は瞬間全装備する。
一瞬で頭部、右腕、左腕、脚部の全ユニットが身体に装備された。
これも、物質をデータ化できるエーテル粒子というとんでも技術のおかげだ。
「調子はどうだ」
「ああ、悪くない」
全てのユニットが、身体に馴染んでいる。
1年間、共に鬼教官の訓練を乗り越えてきた相棒。
5日前のエルフリーデとの模擬戦で全て機能停止させられていたが、ようやく復活した。
装備の状態はオールグリーン。エネルギー残量も完璧。問題は見当たらない。
ユニットメモリ合計120という尋常じゃないASユニット。だが、俺の許容領域は125ある。この数値は、人類の平均許容領域を約70上回る。【アストレイ】を造った博士という人物は、俺以外に扱える装者はいないだろうと言っていた。それが本当なら、光栄なことだ。しかし、同時に違う世界から来た俺なんかが、とも思う。
それでも、俺は選ばれたんだ。
やれるだけの力も、蓄えてきた。
もう、魔獣を恐れる必要はない。
今度は俺がやつらを倒す番なんだ。
「外へのゲートを開く。――カナタ、やれるな?」
「……やるさ。まあ、正直なところ不本意ではあるけどな」
俺は冗談めかして言い、一度目を閉じた。
ビー、ビー、ビー、という音と共に、奥のゲートが開いていく。
いよいよ実戦だ。深く息を吸い込み、これまでエルフリーデに叩き込まれてきたことを反芻した。
「心配はいらないぞ。お前の後ろには常に私がいるんだからな。そのことを忘れるなよ」
「はは、心強いったらありゃしないな」
オーバーユニットに取り付けられた頭部制御装置により、ユニットの制御を全て脳内操作に切り替える。
脳内操作でアンダーユニットの下部スラスターを起動。徐々に身体が推進力に押され、俺の身体が浮き上がった。
「――いってくる」
背部のスラスターで身体のバランスを取り、安定させた。
ユニット達は既に俺の支配下におかれている。異常もない。
「いってこい」
頼もしい教官を背に、俺は、戦地へと赴いた。
それから数時間後。
名称塔食いをたった1人の装者が撃滅した。
黒い稲妻のような機装を身に纏った彼は、圧倒的火力で敵を粉砕してのけた。
そして、その武勇は瞬く間にクラル・シャペルの全層域に広がるのだった。