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Night Puppet  作者: Ria
第一章 水と油
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第一話

 拝啓、私へ。


 私は今日も、食い入るようにニュースを観て。
















 起きたばかりの時、私は私じゃないみたいだった。

 どこかで目覚ましの音が鳴っている。どこか、とても遠いところで。でもよく耳を澄ませてみると案外近いところに音源はあるようで、つまりは耳元でわんわんと朝を告げていた。


 見もせずに手を伸ばす。

 目覚まし時計を、とめる。


 その隣に置いてあるリモコンを手に取り、ニュースをつける。

 穏やかで、でも明るい声でニュースキャスターは今日の天気や政治の話を読み上げていた。まだ布団の中で夢うつつ、ぼんやりと天井を見つめたままの私に語りかけるように原稿を読み上げる。

 天井は白色。窓からは澄み切った青色。

 濁った頭でそれを見ている。なんだ、昨晩はカーテンも閉めずに寝てしまったのか、酔っていたから……


 酔って、いた?


「……!!!!」

 跳ね起きてすぐ視界に飛び込んできたのは、毛布の塊だった。部屋の角に毛布でぐるぐる巻にされている彼が、ちっとも眠くなさそうな顔で引きつった笑みを作っている。

「や、やあ……おはよう」

「オハヨウゴザイマス」

 拘束具さながらにきつく巻かれた毛布が苦しくないのだろうか、見ていて心配になるほどの様だが……どうやらそれは、相変わらず最悪な彼の顔色にも原因があるように思われる。むしろそれが原因だと断定したいくらい。

 彼は居心地悪そうに笑っている。多分、それ以外にどんな表情をすればいいのか分からないのだろう。

 私もだ。

故に変な愛想笑いに似たものを作って、昨晩のことを少しずつ思い出すことにする。

「水、ありがとう」

 そんな彼の一言と、空になって乾き切ったガラスのコップを頼りにして。





「どうして僕は君の家に向かっているんだと思う?」

 割と本気で不思議そうに夜鳴さんは言う。

 終電の時間はとうに過ぎて、辺りに人影はない。バスも止まった深夜の道を並んで歩く。点々と夜道を照らす外灯の、なんて頼りないことか。

「それは勿論、死体遺棄は罪だから?」

「一瞬でも納得しかけた自分が僕は嫌いだよ……」

 ぶっきらぼうにつぶやいた彼は、しかし私の隣を歩く。

「だからってなんでこんなことに」

「往生際が悪いですよ」

「ジョークになってないよ、それ」

 そういえば、本当に往生際が悪いらしいのだった。未だに信じてはいないけど。


 死体、だとか。

 そんな話が信じられるほど騙されやすくはない。死にかけには見えるけれども、それはあくまで生きている人間が、という話で。

 本当に死体だなんて、そんなことは有り得ないのだから。

「君が思ってるほど僕は弱くないんだ。そりゃあ、少し顔色は悪いかもしれないけど」

「少し?」

「いや、かなり悪いかもしれないけど、悪いのは顔色だけで体調ではないんだよ。そこらへんで野宿するのにも慣れてるし、一夜を外で過ごしたってなんの問題もないわけで」

「もしかしたらそうなのかもしれないですけど、問題はそこだけではないんですよ」

「というと?」

「夜鳴さん、ケータイ持ってます?」

 案の定答えない。

「なんでもいいです、連絡が取れるようなものは?」

 やっぱり答えない。

「やっぱり……」

「当たり前だろ、持ってるはずないじゃんか」

「さっき別れたら、一体どうやって再会すればよかったんです?連絡取れるもの1つ持ってないのに、どうやって手伝えばいいんです?」

「それはまあ、その通りなんだけど」

 別に君が手伝う義務なんてないのに、なんて小さく呟かれた本音は聞こえなかったことにして、あくまで歩調を緩めず家路を急ぐ。

「でしょ?だから家に行くんです。それで私は話を聞くんです」

「面白そうだから?」

「面白そうだから」

 何を言っても埒が明かないと諦めたのか、ため息にも似た息を吐き出した。


 私は今、一人暮らしをしている。

 古いけれど古びてはいないアパートの一室で、一週間前までは彼氏と半同棲生活を送っていたのだが。それは誰かと暮らすという初めての経験だった。

 家族と暮らすことよりも一人気ままに生きる方が性に合っていると思うし、事実、私は今までもずっと一人だった。今更寂しいなんて思うような人生でもなかった筈なのに、家に帰れば誰かがいるという日常に慣れてしまうと、親しんでいたはずの静けさが身に染みるようになった。クローゼットに残ったままの彼のパーカーやらシャツやらを見かける度に首を傾げるのだ。


 はて、これはどうすればいいのだろうか。

 一週間前まで同居していた人間のものだ。

 今はいない人間のものだ。


 結局捨てることも出来ずに元通りの場所に仕舞ってしまうのだけれど、それが良くないことは重々自覚していた。

 誰でもいいから家に居て欲しいと、そう願ってしまう。本当に誰でもいいから。


「僕が言うことでもないと思うんだけどね?それにしたっておかしい。君はもう少し、気をつけた方がいい。少なくとも出会ったばかりの得体のしれない人間を家に上げるなんて、あまりにも危機管理がなっていない」

「……それ、さっきからずっと言ってません?」

「言ってるよ!何度も何度も、君がさっぱり聞かないからな」

「1回言えば分かるので……」

「分かっているようには見えないんだけどな」

「死体遺棄は嫌なので」

 そう言うと、夜鳴さんは首を振って黙り込んだ。全くもって人間らしい仕草で、死体がこれをやってるのだと試しに想像すると、なんだかやけにコミカルに思えた。


 夜っていうのは独特の雰囲気で、昼は許されないものが許されてしまうような気がしてしまう。単なる明るいとか暗いとか、そういうはっきりした理由を飛び越えた箍のようなものがなくなって、放たれたような、そんな奇妙な傲慢と理由のない強気な気持ちが支配する。


 私なら大丈夫、だとか。

 これくらい出来る、だとか。


 大抵それらは全く大丈夫ではないし、私という自分を買い被っているだけなのだけれど、不思議と夜の間はそれに気づかない。

「後悔しても知らないよ……」

「後悔させるようなことをしないで下さいよ、したら通報ですよ」

 病院に、と付け加える。

「君、案外怖い子だよね」

「それくらいが丁度いいでしょ……あ、そこです」

 人通りのない大きな道から逸れて裏の住宅街へと入っていく。いつも使っている狭くて暗い近道をそっと避けて、極力明かりのついている家の多いところを選んで歩いた。これから家に招こうというのに、滑稽な警戒心だと自分でも笑える。

 しばらく行くと古びたアパートが見えてきた。周囲をぐるりと紫陽花に囲まれたそれは、時期が合えばなかなかに綺麗なものだけれど……今は生憎、一つ残らず地に落ちた後だ。

 この二階建てのアパートの104号室が、私の部屋。不思議とここは、縁起が悪いと飛ばされるはずの4の数字がつく部屋がある。どういうわけか、かつてはきちんと飛ばされていた部屋のプレートを新調したらしい。理由は分からないけれど、古い迷信をそこまで熱心に信じてもいない私にとってはどうでもいいことだった。

「学生ばかりが住んでいる安アパートですけど」

「ああ、学生なんだっけ……」

「これでも一応」

 どの部屋にどんな人が住んでいるのかを私は知らない。そもそも住人同士の交流がほとんどないのだ、隣に誰が住んでいるのか、上には誰が住んでいるのか、気にならないわけではないけど知らなくても問題ない。

 ここはそういうところだ。死体を連れ込むにはある意味好都合なのかもしれないと、心の中で冗談を言ってみる。

 思ったより馬鹿馬鹿しかった。

 どこに仕舞ったか、一瞬忘れかけた家の鍵を鞄の隅から引っ張り出して、ドアノブに差し込む。昨年付け替えたばかりの錆のない鍵穴は、スムーズにそれを受け入れた。

「ど、どうぞ」

「はあ……どうも、お邪魔します」

「大した部屋でもないですが」

 部屋の明かりを付けると、寒々しい自室が顕になる。


「沙月さんは、あまり家に居ないのかな?」


そんなわけではないですよと返しながら、椅子に座るように促す。台所に近い方が私の席で、その向かいが彼の席。

「言っちゃ悪いのかもしれないけど……寂しくない?」

「そりゃ寂しいですよ」

 私は彼氏の居なくなった部屋について言ったけれど、勿論夜鳴さんはそういう意味で言ったのではない。


 私の部屋に、物がないからだ。


 必要なものは揃っている。一通りの生活用品、大きめのテーブルに二脚の椅子。きちんと毎日印を付けるカレンダーと、本棚、その上には貰い物の置物が一つ、二つ。水族館のお土産でもらったイルカと、あまりに寂しいからと適当に買った小鳥の置物だ。

 趣味は本を読むことくらい。集めているものも、凝っているものもない。必要じゃないものは、置かない。それだけだが……多分それは、あまり一般的とは言えないと自覚している。

「普通に生活してますけどね、毎日きちんと帰ってきてますよ」

「そう……あ、お構いなく」

 用意しようとしていたお茶を見て、夜鳴さんは少し鋭く言う。

 お構いなく、と言われても用意するのが普通なのだけれど、彼ははっきりとそれを断った。代わりに水を頼む。

「水でいいんですか?」

「水がいいんだ」

 そう言われたら何も言えない。

 せめて丁寧に水を注いだグラスを彼の前に、麦茶を入れたカップを私の席に。

「……ねえ、本当に僕をあげてよかったの?一人暮らしで、ちょっと良くないんじゃないの?」

「本当にいいんです」

 本当にいいのだ。彼は私を害したりしない。

 そう確信している。

 彼はしばらく覗うようにこちらを見ていたけれど、やがて諦めたようにため息をついて座り直した。テーブルの上で組んだ自らの真っ白な両手を、暗い瞳で見つめる。


「何から話そう」

「何からでも」

 コツコツと足音が聞こえる。階段を登って、二階のどこかの部屋に消えた。この夜中に帰ってくるのはどんな人だろうと、今まで気にかけてもいなかったことが気になった。

「話すことはあまりないんだ。僕は死んでいる。人を探している。それだけで」

 ほんの少し微笑んで一拍置く。

「その人が今どこにいるか、何をしているのか、それすら分からない。僕が言えることはほとんどないに等しい現状に、ほとほと困っていたんだ。手の打ちようがなかった。完全に手詰まりだった」

「それじゃ、探しようがないじゃないですか」

「そうなんだよなぁ」

 参ったよね、なんて何故か楽しそうに笑う。


「今、生きているのかな」


 それすらも分からないのだ。

「何も分からないけど、彼女は幸せに生きていると信じて探してきたんだ。僕は彼女に伝えなくちゃならないことが沢山ある。当時のこと、それからのこと。きっと知りたいだろうし、僕しか伝えてあげられる人もいないから」

 なんせ死体だからね、なんて言う。

「口がある死体だぞ、昔語りには最適だろ」

 死体という言葉には突っ込まないように、自分に言い聞かせる。

「今までずっと一人だったけれど、沙月さんに手伝ってもらえるなら心強い」

「外見とか、そう、名前とか分からないんですか?いくら時間が経っても、きっとそれくらいなら手がかりになると思うんです」

「もしかしたら名前も変えているのかも知れないけど……」

 何も分からない筈なのに、彼は何故か楽しそうだ。


「彼女は有理って呼ばれてた」

「あり、?」


 物が少ない殺風景な部屋に、私たちの囁くような声が微かに反響する。


 その名前には覚えがある。

 偶然だろうけれど、覚えが。


「そう、なんですか」

「ああ」

 そんなありきたりな言葉しか言えずに、私は黙り込むことしか出来なかった。なにか、迂闊なことを言ってしまいそうで。

 まさか。

 まさかだ。覚えがあるだけ。その人の名前に、少し聞き覚えがあるだけ。だから気にしてはいけないのだ。そう言い聞かせてなんとか言葉を絞り出す。

「頑張って、見つけましょ」


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