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Night Puppet  作者: Ria
最終章 生と死
31/34

第一話

 拝啓、私へ


 許せない私を、誰か許して。



















「ち、違う。僕は、」


 弁明しようとした。でも、出来なかった。

 一際大きくなった沙月さんの押し殺した鳴き声が、僕のみっともない言い訳を阻んだのだ。


「可哀想に。沙月は、本当に、君を求めていたのに」


 ミツギさんは尚も僕を追い詰める。

 いや、追い詰められているのは間違いなく僕なんだけれど、それだけじゃないのは気のせいではない。沙月さんの背を撫でる彼の手に、薄らと力が込められているのが見えた。


「沙月は、おかあさんそっくり、だからね。声も、顔も、よく似ていて」

「勝手に決めるなよ、僕はそんなつもりじゃ」

「本当か?沙月が、自分に微笑んでくれる、そのことが、有理に許されたみたいに、そう思っていたんじゃ、ないのか」


 それは。




 起きてください。

 そう呼びかけられるまで、僕は確かに諦めていた。イオリに言われて縋った最後の希望も見つけられず、とうとう、もうやめようと思ったんだ。過去に囚われること、思い悩むことも、何もかも。死にきれていない自分にもうんざりしていた気がする。誰かにバレないように、隠れながらさまようことだって。


 でも、有理に呼ばれた気がした。

 僕は、君の顔を見ようとしたんだ。


 放っておけといっても、沙月さんはひとりにしちゃくれなかった。お節介だった。こんなに長く話してしまったら、誰かに見られてしまうからこの街では死ねないなとかそんなことを思う前に、離れたくなくなってしまうと思ったんだ。

 もう遅かった。僕は有理そっくりでお節介な彼女を引き留めるようなことを言って、しかもとても狡い方法で、彼女の家に転がり込んだ気がする。

 君は微笑んだ。協力すると言ってくれた。有理に言われているような気がして、甘えたくなった。

 ミツギさんがやってきた時、本当に恐ろしく思った。今まではとにかく、どうやって僕が死んでも尚動いていることを突き止めて、どうして追いかけてくるのか不思議だったのに、恐ろしいと思ったのは初めてだったのだ。

 沙月さんを隠しておきたいと、そう思った。

 人通りの多いところには目が合って、どこからかミツギさんが見てるんじゃないかって、いいや、他の誰かが僕から奪っていくんじゃないかと悲観的になって。

 沙月さんは僕に縋っていたのかも知れないけど、そうじゃない。縋っていたのは僕だ。


 ただもしかしたら、縋りつく対象はやっぱり、有理なのかも知れなくて、否定出来なくて。

 僕は有理が大好きで。

 もうとっくに死んでしまった彼女を、馬鹿みたいに追い求めている。もう会えないことくらい知っていた。彼女がたとえ生きていたとしても、こんな状態じゃ、遠くから見守ることで精一杯だって。

 だって、僕は死体だから。

 本当は、死体が動いたら気味悪く思われるのが当然なんだから。

 それなのに受け入れた沙月さんは、やっぱり普通じゃなかったのだと思う。彼女が普通じゃないから、僕はうっかりして有理に受け入れられたみたいに思ってしまったんだ。という、言い訳。


「ごめんなさい、するんだ」

「…………」

「悪いことしたら、ごめんなさい、だろ。可哀想に、沙月は哀れだ。母親を愛していた人に、代わりにされて、沙月は誰にも愛されたことなど、ない。みんな有理が、みんな、大好きだから。俺は、父親として、沙月をあいしている、けど」


「……嘘つきめ。言わないよ、謝ったりしない」


 すうっと、彼の目が細められる。それは肉食動物を連想させた。昔から特徴的な美しいつり目で、それが時折、彼を孤高の存在のように見せていた。

「どうして」

「有理はもういないからだ。死んだ人を愛していることなんて、誰にも証明できないからだ」

「そんな雲を掴むような話で、煙に巻こうと、そういう腹積もり?」

「違う。ミツギさんこそ嘘つきだ。沙月さんを父親として愛しているなら、どうして僕に付きまとっていた?沙月さんに近付けば良かったじゃないか」

 そうだ。愛しているなんて嘘だ。

 嘘をついたら、謝れ。

「……まだ、分かっていないんだね、鈍感だね。昔から、そうだ。夜鳴藍人くん、君は、鈍感だった」

 沙月さんから離れた彼は、ゆらり、とこちらに一歩を踏み出した。その特徴的な不安定な歩みが懐かしくて、僕は苦しくなる。

 ミツギさんが僕の前に立つ。目が合う。

「よく見るんだ、見て、分からないのか」

 この家に入った時にも言われたそのセリフに、僕は寒気を覚えた。

 そして、やっと、やっとその事実に気付く。


 まさか。


「ミツギさん……あなたは、」

 その瞳。

 僕が見ないように見ないように、鏡を避けてきた理由。


「あなたは、死んでるんですか?」


「あなたも、だろ、お揃いだね、流石、従兄弟だね」

 そんな馬鹿な。有理の夫は行方不明になっただけだと、そう思っていたのに。

「死体の気持ち、よく、分かるよ」

 ミツギさんは微笑んで、また一歩こちらに踏み出す。僕は反射的に後ずさりをする。恐ろしかった。ただただ気持ち悪かった。

 死体が、迫ってくる。

 開き切った瞳孔で僕を飲み込もうとする。

「病気だったんだ。こんな姿じゃ、娘に、会えないだろう?有理に、会えないだろう?苦しかったよ、悲しかった。そのうち有理は、死んだ。起き上がりはしなかった。そうしているうち、偶然、君を見かけたんだ、藍人くん」

 仲間だと思ったよ。

「君はおぞましかった、君は、先駆者で、俺の見本、だった。僕は君から学んだ。死体が、周りの人間から、生者から、どう思われるのかを。俺はどう振る舞えば、いいのかをね」

 僕は付きまとうミツギさんを見ようともしなかった。学ぼうともしなかったのだ。

「俺はかつてのように、新たな世界に、足を踏み入れた。死者として、この世界に居場所を作った、そういうことだ。俺を崇拝する人が、ひとり、またひとりと増えた。イオリも、その中のひとりだった」

「じゃあイオリが僕に近づいてきたのは……」

「君を、沙月のところに、いずれ、誘導するため、だよ。俺が、命じた」

 どうしてそんなことを。


 この出会いは運命だと思っていた。沙月さんはそれを否定して、あなたが掴み取ったんです、と言った。

違ったんだ。仕組まれていた。


「沙月が、死体にどう反応するか、見たかったんだ。俺が怖がられるのは、ごめんだから。先に、藍人くんで実験しようと、思ってね」

「なんだよそれ……!」

「沙月は君を恐れなかった。それどころか、君を愛した。それは許せない、許されない」

 笑みがますます深くその顔に刻まれていく。20年前から変わっていないのは当たり前だ、死んでいるんだから。

 ミツギさんの青白い手が、僕の肩を掴む。

「沙月は俺の、だからだ。有理を、俺は愛してる。その娘の沙月も」

 なんだよ。

 なんなんだよ。

「だから、命じたんだ。俺を、神だとする人間に。人を殺せって。そうすれば、俺のようになれるって。そんなはず、ないのに」

「通り魔事件はそういうことだって、言うのか?」

「そうだよ。藍人くんが近づいたせいで、不幸なことが起こるよって、そう思わせたかった。大学に言って、沙月の親友に、近付いた。どうでもいい本を、盗む振りをして、近付いた。告白されたのは……付き合うつもりは無かったし、予想外だったけど、いい。どっちみち、殺すつもりだったから。殺して、沙月に俺の姿を見せて、俺が付きまとってる藍人を、憎めばいいと思ったのに。つくづく、あの子は有理に似ていて、思考の予測がつかないや」

 息をすることなんて、もうずっといらなかったし、息を吸いたいなんて思わなかった。必要がなかったからだ。

 でも今は、息を吸いたい。

 何より体温が欲しい。

 心音が、欲しい。


 死体がこんなに醜いなんて、思ってなかった。


「沙月は、俺のだ。そう言ったら、ほら、さっきから泣きっぱなし、だよ。藍人くんのせいだよ、君がいなきゃ、こんなことしないで済んだのに」


 僕はこんな生き物と同じ、だったのだろうか。

 何かに異常に固執して、その姿のまま心すら変化しない。まさに時計の針が止まったような存在。


 痛みはないけど、爪がくい込むほどに彼の手は肩を強く強く掴んでいる。




「だから、藍人くんの終わりは、今、ここ。」

「それって、どういう、」






「終わりにしたかったんでしょ。俺が、殺してあげる。君を、ここで、今」

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