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Night Puppet  作者: Ria
第九章 永遠と終わり
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第二話

 あの嵐のような20年前、僕らは様々なことに巻き込まれ、そして、有理とはぐれた。その後すぐに僕は死んでしまったし、彼女がどうなったのかは分からなかった。

 今だって分からない。

 でもやっと……20年も経ってやっと失恋したんだと、その事実が心を鋭く突き刺した。

 なんて間抜けなんだって。


 僕が死んでしまった後、彼女は愛する人を見つけた。そりゃあ、そうだ。恋愛競争で死体ほど劣勢を強いられる存在はない。

 彼女はその人間との間に子供を成して結婚したと、沢村さんは穏やかに語った。


 子供の名前は沙月。

 後藤沙月。


 しかし、すぐに有理を不幸が襲う。彼女の夫が行方不明になったのだ。

 有理は僕の死を知らなかっただろう。彼女は2人もの愛する人を行方知れずという形で無くしたのだった。

『僕は彼女を愛したけれど、彼女を救うことは出来なかった』

 沢村さんはそう言う。

『旦那を失ってしまった時、彼女はとても衰弱していた。間違っていた、と言っていた。僕は有理さんがどういう過去を持っているのかは知らないけれど、でも、つらいことが続いたんだろうということは分かった』

 苦しめたのは有理の夫でも、沢村さんでもない。

 僕だ。



『僕は彼女を救えなかった。自殺を、止められなかった』








 大丈夫。

 彼女が笑っている。僕は自分の部屋にいる。

 窓が開いている。開け放たれている。

 外に有理がいる。

 大丈夫、大丈夫。

 彼女が、笑っている。

 僕は酷く安心していた。

 暗い部屋に、強い光。

 幽かな潮の香り。

 外に出ようと有理が言う。

 静かに首を振って、僕は拒否をする。

 僕は手を差しのべる。

 暗い部屋から、君に。

「一緒に行こう、こっちにおいで」

 何もかも捨てて、僕と来てよ。

 僕には失うものがない。

 僕には君以外、何も無い。

 僕はもう失いたくない。

 だから君は、全て捨てて僕と来て。

 君は酷く悩んで、悩んで。

 それでも僕の手を取った。

 僕は言った。


 見たこともない世界が、僕らを待ってる。












 何もかもを奪ってしまった。

 有理から、家族を、友人を、世界を、愛を、命を。

 暗い世界に引きずり込んだくせに、無責任に、僕は有理を救えずに死んだ。彼女も絶望して死んだ。

 それがどれだけ、罪深いだろう。


『出会った時から有理さんの目は恐ろしかったよ。まるで死んでいるみたいだった。僕はそれを見た時、この人を守らなくてはならないと思ったんだ』

 僕が手を引いたその瞬間から、有理は死んでしまったのかも知れない。

 大丈夫だよ、と。

 微笑んでくれた彼女はいない。

『残された子供を守るのは、僕しかいなかった』

「そう……ですか」

『夜鳴という名前には聞き覚えがある。有理さんが何度か、うわ言のように言っていた気がするんだ』

 そうですか、と僕は返して、礼を言った。

『もしかして君は有理さんの知り合いなんじゃないのか』

「もういいんです」

 もういいんだ。

「死んでしまったのですから」













 ぼんやりと、僕は、もう意味を失った受話器を見つめていた。沢村さんは最後に、沙月さんは元気かい、と訊いた。僕はもちろんですと答えたけれど、嘘をついているような気がした。


『今度は本人と話したいから、また連絡欲しいなって言っておいてくれるかな。それと……』

 電話の向こうで沢村さんは笑った。哀しい声だった。

『僕が彼女のお母さんを愛していたことは、どうか内密にしてほしい』

「どうしてです」

『沙月さんは今まで、自分から知ろうとしてこなかった。だから、わざわざ教えて押し付けるようなことはしたくない』

「分かりました」


 分かったと嘘をついた。


 そしてもう一度、最後に僕は息を吸って、一番聞きたかったことを口にする。


「沢村さん……ひとつだけ、教えて欲しいことがあります」














 受話器の背を撫でる僕の指。白くて、骨ばっていて、温度のない指。この身体も全て、全て、意味を失ってしまった。

 なんて間抜けなんだろうな。

 20年も、死んだくせに彷徨って、挙句の果てに、求めていた人はもう僕のことを愛してはいなかった。死んでいるかもしれないとは思っていたけど、もう僕を愛していないなんて、考えついてもおかしくないのに、愚かな僕は想定すらしていなかった。

 僕にもう、意味などない。

 でも一つだけ思うのは、僕は沙月さんに言うべきことを言わなくてはならないということだった。かつて、僕は君の母親を愛し、酷く傷つけたということ。

 そして聞かなくてはならない。


 沙月さんは、有理が自分の母親だと知っていたのだろうか?それとも、知らぬまま生きていたのだろうか。


 聞かなくては。

「……イオリ、沙月さんはどこだ?」

「どうして私に聞くの?夜鳴」

「なんとなく、だよ」

 なんとなく、と言いながら僕はイオリから目を離さない。憂鬱そうに僕を見つめる彼女は、靴も脱がずに玄関に立って、ただこちらを見つめ返す。

 赤い縁の眼鏡の奥、気だるげな瞳。

「知りたいの?」

「知ってるんだな?」

「知っている、とは言っていないね」

「イオリ、僕はたくさん君に助けられたよ、何度も何度も助けられた。君は、よく油を買ってきてくれたね。無駄に人混みを恐れて隠れてばかりいた僕のために、色んなことをしてもらって、お陰でここまで辿りついたんだ」


 20年という月日は死体にとって短いものだったのかもしれない。老いることのない僕は、無機物と同じだ。石ころにとっては1日も1年も変わらないんじゃないかとよく思う。

 昨日と今日。1年後。

 その違いが分からなくなった時、僕は人ではなくなったのだと思った。死んでも人間のままでいられるなんて、夢物語で。

 僕は終わった。

 そう思っていた。


「起きてください」


 彼女がそう、声をかけてくれるまでは。




「君には感謝してるんだ、イオリ」

 気持ち悪いなあ今更、と彼女はそっぽを向く。

「僕がこの街に来たのは君に教えてもらったからだ。君に……有理によく似た子がいると、教えてもらったからだ。だからここに来て沙月さんに出会えた。感謝してるよ、諦めようと思っていたから」

「だから、なんだい」

「君は彼女が、ただ有理に似ているだけじゃないことも知っていたんだろう?有理の娘だと、知っていたんだろう?」

 そうでなくてはならないのだ。

 そうでなくては、僕がこの街に向かうほど強く勧められないはずなのだ。

「そして、このタイミングだ。沙月さんが帰ってこないんだ。その代わりに君が来た。イオリ、彼女がいた理由を知っていたなら、彼女がいない理由も知っているんじゃないのか」



 イオリの瞳は一切揺れずに僕を見ていた。それを静かに見つめ返して、知る。

 嗚呼。

 やっぱり知ってるんだな。


「死体、というものは不思議だ」


 すぅ、と深く息を吸ってため息に変えたイオリは、小さな声で言った。

「いつか誰でも至る姿。遅かれ早かれ、人間ならば誰でも、至って終わりを迎える。それでいて圧倒的な謎だ。人間が生きていることも不思議なら、死ぬことも未だ不思議なんだ、夜鳴」

 夜鳴、夜鳴。


「お前の終わりはいつ来るんだ、夜鳴」


「……イオリ、」

「いつになったらお前は死ぬんだ、夜鳴。今のお前は死体だ。確かに、死体だ。でも死体じゃない。死体は動いたり話したりしないのよ、夜鳴。お前はまだ死にきれていない。それなのに一丁前に死んだようなことを言って、何を偉そうに」

「でも、僕は確かに死んでいる」

「だったら意識を喪失したらどうなんだ。私はいつだって知りたかったのだ。お前の終わりを、いつだって知りたかったのだ」

 彼女が履いている黒いヒールの高い靴が、玄関の床を鋭く叩いた。

「ああ、知っているとも!サツキがいる場所を知っている。案内もできるよ。いいかい夜鳴、私はずっとずっと……!」


 お前の終わりを見たかったのだ。

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