第三話
「さて、話をしよう」
話。
一体何を語ればいいのだろう。
そう戸惑った私をよそに、彼は静かに言う。
「まず……ごめんね」
「何がです?」
「僕のせいで、君の日常を変えてしまった。君の大切な友達を、失わせてしまったから」
私の大切な友達。
ユキ。
正直彼女が死んだ、なんて実感は一切なかった。少したったらまた五月蝿いくらいに連絡が来たり、なんの脈絡もなく家まで来たり、いつもの無軌道ぶりを存分に発揮して私を困らせるんじゃないかと半ば本気で思っていた。
それなのに、連絡はない。
五月蝿いくらいの通知音は、静寂が耳に痛いほどに。
私は本当に、唯一にして最高の理解者を失ってしまったのだろうか。親はいない、ずっとひとりで、確かな支援の中で生きてきた私が、しかし普通にこの年になるまでそれなりに生活をしてこれたのは、間違いなくユキがいたからだった。彼女がいなかったらどうなっていたのだろう。私はこの、不幸な中ではかなり恵まれた状況下で、どんな人間になってしまっていたのだろう。
きっと今の私はいない。
そして今、ユキはいない。
彼女のいない明日を生きる私は、一体どんな私なのだろう。
私は。
「ごめん。大丈夫だなんて、言えない。何も言えない……僕には、何も。僕のせいなのに」
保証のないことは言うべきではない。
いつだっただろう、昔、日野が私にそう言った。どういう経緯でその発言に至ったのかは忘れてしまったけれど、いつものように淡々と、表情も変えずに放ったのであろう厳しい言葉。
「そんな事言ったら何も言えないじゃん、保証のあることの方が少ないでしょ」
「確かにそうだな」
日野は頷いた。
「何でもいいんだ、正直後でその約束を破ってしまってもいいって思ってる。ただその時、確固たる自信と保証がないことを言うのは不誠実だと、そう思うだけ」
「結果的に裏切ったら不誠実でしょ」
「最終的には不誠実だろうな。でも、その約束を口にした瞬間のその人は誠実だったと言える」
日野は私と同じように理屈っぽくて頭が固くてどうしようもない人間だけれど、それでも彼なりの優しさは持っていた。厳しい言葉を放って私を見る彼は、しかし誰よりも柔らかな瞳をしていたように思う。
ただ、その時の日野の目は冷たかった。
冷たいままに言う。
「誠実性っていうのは、瞬間の誠実の積み重ねだ」
私は日野になんて返事をしたんだろう。
それはもう、今では思い出せないことだった。
でも。
「そうかもしれないね」
きっと私はそう言って微笑んだ。
日野の言うことがその通りだと言うのなら、私は不誠実な人間だ。むしろ不誠実でいたかった。
瞬間。
言葉を口にした瞬間なんて、不安で満たされている。確信なんてない。保証なんてあったことなどない。いつだって、自分が言ってしまったことが嘘になるんじゃないかという疑心暗鬼に苛まれている。
でも最後には、結果的に行き着く最後のその場所で誠実になりたかった。こんな不安定どうしようもない、救いようもない人間だから、ずっと真っ直ぐではいられない、私にはそういった脆さがある。
でも、最後にはあるべき自分であるべき場所に辿り着けると、そう信じている。
だから私はまた微笑んだ。
いや、微笑んでいるって信じているだけ。
「いいです」
「なにが」
そう問い返す夜鳴さんの目は悲痛なほど鋭い。
「いいんです」
「だから、何が。一体何がいいの」
だって、あなたのせいではない。
確かにあなたのせいで色々なものが変わっている気がする。ユキを失った。まだその実感が湧いていないせいで、いいです、なんて薄っぺらいことを言ってしまっているのかもしれない。
でも、いいのだ。私にとってはあなたのせいではない。あなたが連れてきた不幸であっても、あなたは私を不幸にしようという故意があったわけではないのだから。
それはそれ、これはこれで。
「何がいいの……?」
ああ、私はまた何か間違ったのだろうか。
「何もいいことなんてないじゃないか、君は、馬鹿か。本当は何も考えてないんじゃないのか?なんで良くないことまでいいなんて言えるんだ、そういうの、良くない。悪いことは悪いって言おうよ、そういうもんだろ、嘘つくなよ、なんで、」
なんで責めてくれない?
「いっそ責めてもらったほうがマシだ……!おかしいだろ、こっちがつらくなる……なんでなんだ、どうしてだ、どうして、いつも君って人間は!!!」
そこまで言って、夜鳴さんははっとして目を見開いた。
「……ごめん」
いつも、なんて言えるほど私たちは長く一緒にいたわけじゃない。
それは有理に向けて放たれた言葉。
ゆっくりと瞬きをした私は、いいですと繰り返した。
「何も考えてないわけではないんです。むしろよく考えて話してる。嘘なんてついていない」
いつか嘘に転じてしまうんじゃないかという自分への疑いが、いつも私を呪っている。
もしかしたら、もしかしたらって。
自信はない。不安しかない。
だからこそ、最後には誠実でいたいのが私だった。最後の最後には、全てが嘘にならないように。
終わりよければすべてよし、なんて最高に都合のいい言葉を信奉している。
一度放ったら帰ってきてくれない、「好き」という一言。
「大丈夫」
「それでいいよ」
「貴方がそう望むなら」
その全てが嘘になるような人間である自分を許したくないから。
「私は確かに、いいって思ってます。信じてもらえないかもしれないけど、結構そういうことは多いけど、でもこれが本心だから仕方ないんです。本当のことほど仕方ないことって、どうしようもないことって、救いようもないことってないですよね」
君は馬鹿かって、一体何度言われただろう。
もっとよく考えろって。
よく考えてるし、その上で馬鹿なのは分かっているけれど。
でも辿り着く結末はもう決まってるんじゃないかって思う。そしてそこには、早く辿り着くべきだって。
私はそう思い、そうであることを自身に課す。
「ごめん、僕は酷いことを」
「いいえ、大体合ってますし」
「こんなことを言うつもりじゃなかった、僕はどれだけ詫びても足りないくらいなのに」
「いいんですよ、貴方は悪くない」
恨めしそうな目をした夜鳴さんは、また、ああこんな顔をするつもりなんてないのにと言いたげに目を伏せる。そうだ、こんな仕草、私は何度も見てきた。色んな人が私の前でこんな目で、こんな仕草で苦しんだ。
「沙月さんがそう言ったって、謝らないのはなんか違うだろ……何度だって謝るよ」
「そうしたら私は、何度だって許しますから。それでいいでしょ」
何度も、何度も。
誰にも分からない、夜鳴さんが辿り着くべき正しい結末に、一秒でも早く至るために。
「本当、君は仕方ない人だ」
彼はそう言って、悲痛に笑った。
「私には親がいません」
「ずっと、ずっとです。ひとりで生きてきました。沢村さんが援助してくれたから、私は満足に学校に行って、ごはん食べて」
「それが日常でした。でも、それを日常にするのはおかしいって言ってくれる人が2人いました」
「そのうちの1人がユキでした」
「ひとりでいるのがおかしい、なんて、ひとりじゃ絶対気づけないことを教えて貰って」
「私はごく普通に、私でいられたんです」
もう、一度語ったことを改めて語る。
私が出来た物語を。
「僕も親を亡くしてて、2人の弟と1人の妹を抱えて、この世に取り残された」
「ずっと絶望していた。僕には弟と妹を養うだけの力がなくて。まだとても幼かったから」
「不甲斐ない僕は弟達を親戚に頼んで」
「1番幼い、まだ赤ん坊だった妹を捨てた」
「そして僕自身も、妹を捨てた溝みたいな世界に身を投じようとした」
「そこが理想だと信じてた」
「有理はついてきてくれて」
「でも離れ離れになって」
「間もなく僕は、死んだ」