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Night Puppet  作者: Ria
第七章 夢と二人
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第一話

 拝啓、私へ


 やっと見つけた、唯一の全てを。















 眠った気は、しない。

 多分寝はしたのだろうけれど、頭のどこかはずっと覚醒していた感じがする。


 布団の中は私ひとり分の温もりと、そして、隣には夜鳴さん。私を緩く抱き締めたまま目を閉じていた彼は、一見眠っているようにも、死んでいるようにも見えた。私の小さな身じろぎで、彼は当然のように顔を上げる。

「おはよう。寝れた?」

「はい……」

 まだぼんやりとしている。少し目を閉じて、襲ってきた軽い頭痛をやり過ごした。


「ごめんね」


 ほら、また謝る。

 何人かの男性と付き合ってきたし関係を持ったけれど、手を出さないで謝られたのは初めてだった。それが悪いとも思っていないし、不満でも不服でもないのだけれど。

 謝られる筋合いなんて、ないのだけれど。

 何度も何度もキスをしたし抱き締められたけれど、その先はなかった。それでいいと思った。

 夜鳴さんは、そう思っていないようだが。

「夜鳴さん、私は貴方が好きですよ」

「うん、僕も……」

「そうじゃないですよ」

 彼は少し目を細める。

「貴方のすべてが好きなんです。貴方がどうであろうと、好きなんです」

「でも僕は死んでる。沙月さんと違いすぎるし、それは絶対にいいことじゃない」

「それがどうしたっていうんです?悪いところがあったっていいじゃないですか。悪いところは悪いところですけど、貴方という人が好きな私にとって、それは貴方を嫌う理由にはならない」

 混乱したように眉をひそめた夜鳴さんは、やがて力を抜いて笑った。


「よく分からないよ」


「分からなくていいです」

 私も夜鳴さんのことよく分からないですから、とそう言って、私は身体を起こした。


 既に朝は訪れている。息を潜めたくなる朝が。

 世界から隠れていようという、抑えきれないワクワク感。私と夜鳴さんのことは、この世界には秘密だ。



「さて、起きなくちゃ」







 毎朝一応何かを口にする私は、自分の分だけ朝食を用意して、夜鳴さんの前にはコップを2つ置いた。水と油をそれぞれ注いだものだ。まだ不明瞭な頭を引きずるように、機械的に食べ物を口に運ぶ私を、貴方は興味深そうに見つめている。時折コップに口をつけながら、脈絡なくふっと笑う。

「どうしたんですか?」

「いいや、なんでもないよ」

 なんでもない、なんてことは人間には有り得ないと思っている私だけれど、敢えて深く突っ込まずに微笑んだ。そうですか、とただ一言だけ言って、またレタスを食む。



 惰性でつけたテレビで、昨日までに起こったニュースが語られる。それを静かに眺めていて、時折私がああだこうだと口を挟む。

 私は昔からかなり、自覚できるくらいは面倒な性格だから、相手に慣れるまではそういう話をしないように気をつけている。そのせいで変に気を遣って、ついつい静かになってしまうのだ。五月蝿い方ではないけれどそれなりに話すことが好きな私は、夜鳴さんの前では、ごく自然に言葉を吐いていた。


 苦しくない。


 話すことが苦しくない。


 日野は私と似ていて何かと面倒な性格なものだから、気を遣わないのは当たり前なのだけれど。

 夜鳴さんは微笑んでいる。

「今日はどうする?どこか、外に行こうか」

 今日は少し淀んだ曇り空だけど。

「いいですね、そうしますか!」

「準備するか」

 夜鳴さんは伸びをする。本当は彼に、そんな人間ぽい行動なんて必要ないのかもしれない。

「顔洗ってくる」

 いってらっしゃいと声をかけた。


 今日はどうする、なんて。


 こんな幸せな問いが、今まであっただろうか?





 夜鳴さんはこの前買ったばかりの新しい、紺色のシャツを着て、ベージュのズボンに、私がプレゼントしたベルトをつけた。私が顔を洗って着替えている間にリビングで変身していた彼は、私が戻るなり立ち上がって、「似合う?」と笑った。似合うに決まってますと答える。

 事実、何を着ても似合う彼はその服とベルトも着こなしていた。少し長い前髪の向こう、瞳孔の開ききった瞳が嬉しそうに細められている。

「なら良かった。雨降るかなぁ……傘、持った方がいいね」

 彼が少し窓を開ける。雨の匂いがするよと言っている。確かに、雨が降る前は湿った土のような香りが鼻をつくけれど、今はまだ、私では分からなかった。


 今日の彼は、帽子を被らない。


「曇りの日もいいね」

「そうですね」

 どんな日でも、私はきっと幸せなのだろうけれど。

外に出て、鍵を閉めて、扉の横に引っ掛けてあった没個性的なビニール傘をさり気なく夜鳴さんが手に取る。

「一つでいいよね」

 と、そう言われて頷かないわけも、やっぱり私が持ちますよと言えるわけもなかった。こういうあたりがこの人の狡いところだなと、上手いところだなと思うのだけれど。

「どこに行こうか?何かいい案ある?」

「ええっと……」

「……じゃ、ひとつ隣の駅に電車で行こう」


 人通りが少ない方がいいのかなとか。

 あなたは何をするのが好きかなとか。

 退屈させたら申し訳ないなとか。


 そんなことを考えてしまうから、自分の意見を言うのが苦手だ。自分の意見であなたの1日を決めてしまうのが怖い。一方私自身は、確かに人混みは苦手だけれど、あなたと一緒なら苦手なものだって楽しめるちょろい人間だから、尚更、こういうお手軽さは自分特有だと分かっている。

 言えない。

 考えるのが怖い。

 決めるのが、怖い。

 不安になる。

「僕はずいぶん遠くから来たからさ、ここら辺のこと全然知らないんだ。隣町、面白いとこありそう」

「私もあんまり行ったことないんです」

「そう?じゃあ楽しみだね。探検だ」

 探検。

 お互い知らないところを、知らない者同士で探検する。


 大丈夫だよと言われてる気がして、気が抜けたように笑った。


「夜鳴さんとなら絶対楽しいですね」

「僕も、沙月さんとならどこに行っても楽しい」

 その一言が私を救う。救われている。

 そうやって小さな救いが、ここにいていいんだという安心に変わっていくのだ。


 街を歩くあいだ、私はどうでもいいことを話す。本当は会話をすることが大好きだし、私が見ている世界はいつも不可思議に溢れていた。立ち止まって眺める、無効に伸びた横断歩道にも、等間隔で並ぶありふれた街路樹にも、見慣れているはずのビルの窓ガラスにも、それはあった。いつだって解決したい曖昧な謎が隠れていて、私はひとりで見て見ぬ振りをする。

 気兼ねなく話せる相手といると、そんなことをしなくてもいいという満足感が確かにあって、夜鳴さんは、そんな私が不思議に思って仕方が無いどうでもいいことを、本当だ、気が付かなかったと目を見開いて、心底楽しそうに思考した。


 どうでもいいじゃん、なんて投げたりしない。

 分からない、と流したりしない。


 時に二人ともそれらしい答えに辿り着かなくて、途中から妄想を始める。終わらない、どこに着地するかも分からないような妄想を。


 それが堪らなく楽しかった。


「ねえねえ、こう、たったひと駅だけの移動って、なんだか贅沢してるみたいな感じしない?」

「分かります、何があるでしょう、楽しみです」

「うん、僕もだ」



 急ぐでもなく、ゆるゆると改札を抜ける夜鳴さんの背中を追いながら、その頼りない背にふっと微笑んだ。

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