第二話
ひとしきり忠告して満足したのか、用事があるからと言ってユキは早々に帰って行った。嵐のような人を見送ってから、夜鳴さんはふっと笑みをこぼす。
「彼女、元気な人だね」
「うるさいですよね」
「いいと思うよ、こっちまで元気が出る」
確かに、些細なことなど気にしている方が馬鹿馬鹿しいと、そう思わせてくれる人ではある。どんな時も、どんな事も、だ。
親がいないことさえ彼女の前では些事だった。
自分で思っているよりユキに助けられているだろうということを、私はよく知っている。
その後しばらくすると夜鳴さんは何か考え事を始めたのか、ぴたりと動きを止めたまま動かなくなった。私は途端に暇になって、テーブルに肘をついてぼんやりと彼の顔を眺める。整っている。整っているが……。
「……白い」
思わず呟く。
「っていうか、青白い」
夜鳴さんは微動だにしない。肌の血色の悪さによく映える黒髪も一切揺れたりせず、まるでよく出来た人形みたい。
「いや、顔色悪い。酷い。やっぱり酷い」
「……ちゃんと聞こえているんだよ?」
目だけをじろりと動かして私を睨む。
「だってやっぱり酷いですって」
「死体なんだから仕方ないだろ」
死体という点には触れないように気をつけつつ、それにしたって不健康すぎると言い返す。
「話を聞けよ……死体に健康も何も無いって」
血の気のない肌は、およそ普通の人間では考えられないような恐ろしい青白さで、むしろ自分の肌の色が濃すぎるんじゃないかという錯覚に陥る。私はそんなにアクティブに出歩くほうではないから実際のところそんなことはなく、ユキと比べてもだいぶ肌が白い。隣に夜鳴さんがいなければ十分すぎるほど色白なはずだ。
なんかむかつく。
「ねえ」
「なんだい?」
「少しは外に出た方がいいと思うんですよね」
「へっ?」
「だから、外!」
外行きましょう外!と叫んで窓の外に目を向ける。今日も天気がいい。ここのところ晴れ続きで、まだまだ崩れる気配はなかった。
「あのさ、僕は日に焼けたりしないんだけど……」
「待っててくださいね今日焼け止め塗ってますから。あ、夜鳴さんは塗っちゃダメですよ」
「話を聞こうよ……」
「嫌ですね!」
買い物は昨日行ってしまったし、家にいてもやることがない。ならば外に出るに限るのだ。
とはいえ何か行きたいところや連れていきたいところも考えつかない私は、自然とある場所を思い浮かべていた。
「……なんで帽子かぶるんですか」
「顔色を見られたくないからに決まってるだろ」
「それじゃあ外出の意味がですね」
「袖捲って腕出してるんだからそれで許してよ」
「むむむ、致し方なし……」
顔と同じで気味悪いほど真っ白な腕を睨みつつ、ため息をひとつ。同じ人間の腕とは思えない。
私に合わせてゆっくりと歩く自称死体を眺めながら、むしろ死体と言われた方がしっくりする白さだよなと心の中で呟く。肌の色の悪さもその通り、黙っていると本当に1ミリも動かないところとか。
忘れてはいない、脈を感じなかった手首のことも。
「沙月さん、疲れてない?」
「いや私は大丈夫ですけど」
「じゃあ、暑くない?」
「んー、少し暑いかな」
やっぱりなと夜鳴さんが微笑む。こういう仕草や気遣いを見ていると、死体だと言っていることも信じることも馬鹿馬鹿しく思えてくるのだが。
「夜鳴さんも暑いですか?」
「いや僕は気温とか感じないけど、さっきすれ違った人が扇子を持っていたから、もしかしたら暑いんじゃないかなと思って」
死体が社会に馴染むための洞察力、だろうか。
なんて冗談を思うだけ。
正直こういうところに気付く人は生きている人間でも少ないんじゃないかと思う私は、夜鳴さんの気遣いを貴重なものだと噛み締めた。日野なら間違いなくだめだ、あいつはだめだ。
ふらふらと街を案内しつつ、私は回り道をしながら駅前へ向かう。
目的地はひとつ。
「……明るいうちに来たのは初めてだ、当たり前だけど」
公園に来ていた。
駅前にある公園は広くて昼間の人通りも多い。その分夜もそれなりに人はいるのだが、広いぶん、誰も寄り付かないところも出てくるわけで。そういう暗がりのベンチに夜鳴さんは潜んで(?)いたのだが。
小さな子供やその親があちらこちらでそれぞれの時間を過ごしている。何人もの人がランニングをしながら通り過ぎた。
「明るいね」
噴水の横を通り過ぎる時、飛び跳ねる水滴を眺めながら夜鳴さんが呟いた。
「そりゃ、昼ですし」
「そうじゃなくてさ……」
とても死体なんて転がってなさそうだ、と自虐を零して笑う。死体が転がってそうなところなんて嫌だけれど、幸いそんなスポットはそう多くない気がする。
噴水のある広場は人通りも多く、誰かとすれ違う度に彼は落ち着かないようすできょろきょろと目を動かした。
「僕、目立ってないかな」
自分が一番、自分のことを気にしているということだろうか。確かに顔色は悪いけれど、誰も私達に注意を向けたりしない。そういうものだ。
でも、多分気になるものは気になるのだろう。
広場を抜けて、木々が立ち並ぶ細い小道に入っていく。ゆるく蛇行した道には小さな花壇があって、綺麗に整備されていた。木漏れ日に目を細めることすらしない夜鳴さんの瞳は、日に照らされて時折本当のビー玉みたいに煌めいた。人がいなくなって安心したのか、彼はやっと微笑んだ。
小道を抜ける。
幾つかベンチが並んでいて、それを外から隠すように葉を生い茂らせた木々がぐるりと囲む空間に出る。人はいない。ここは公園の外れだから、昼でもあまり賑わうことがないのだ。
「こんなところにいたんですよ、夜鳴さん」
「……ここなのか」
昼間に来ると印象が違うものだ。自分でここに来てベンチの下に潜り込んだくせに、信じられないとでも言いたげな顔で辺りを見回している。信じられないのはこちらの方なのだが。
「もう少しこう、誰も寄り付かないような感じかなと思ったんだけど……夜だったから、なのかな。普通だね」
「そりゃあそうでしょう……」
「なんだか恥ずかしいな」
恥ずかしがるポイントなのだろうか。
確かここですね、と1番奥のベンチを指差す。私がここら辺で石を蹴って、その石が転がっていった方向は……と考えれば、いくら出会った時が夜でも問題のベンチを割り出すのは難しくない。
「死体として、ちょっと倒れる場所のセンスがなかったとは思うね、反省してる」
謎の反省を見せてその下の空間を睨んでから、ため息をついてベンチに座った。私もぎこちなくその隣に腰を下ろす。
あの時は酔っていて良かったな。
ずりずりとベンチの下から這い出してくる男性を見ても悲鳴を上げなかったのは、我ながら大したものである。
ここ最近晴れてばかりの空には雲がない。多分今日も夜空は綺麗に見えるのだろうし、間違いなくそれを外灯の明かりが隠すのだ。
「ねえ」
何?と君は首を傾げる。日に照らされた肌は一層白くて目に眩しいくらいだ。
「なんでここだったんですか?」
「なんでって……」
「なんでこの街だったんですか?」
「そりゃ、有理が」
有理、?
有理が生きているか死んでいるかすら、この人は知らないのではなかったの?
すぅっと腹の底が冷たくなる。隠していることがバレたのではないかと、怖くなる。
「有理によく似た人がいるって聞いたんだ。だからここに来たんだよ。ロクな情報は無いし、もう随分経った。終わるなら」
どうせ終わるなら少しでも有理に近いところが良かったんだと、夜鳴さんは疲れたように笑った。そんな彼の横顔を見て、私は息が出来なくなる。
こんなにも辛そうな顔をしているのは、私のせいだ。
それなのに少しでも一緒にいられて嬉しいだなんて……白々しい。
吐き気がする。
遠く、さっき通った広場の方から子供の声が聴こえた。私はそれどころじゃなかったけれど、夜鳴さんは空気を変えるように、可愛いねと言う。
「僕には妹と弟がいたんだよ。可愛かったんだ」
「妹さんと、弟さん……?」
「そう、弟が2人、妹が1人だ。妹なんかまだ小さくて、ハイハイも出来なかったんだよ。可愛くて仕方がなかった」
「今は、」
「どこかで元気にやってるって信じてる。僕なんかよりずっとうまく生きているはずさ。僕は下手すぎた……なんせ、死んでしまったくらいだから」
夜鳴さんはそれきり黙って目を閉じた。何か言おうと思って、でも何一つ口にできないまま、私はその隣でじっと耳を澄ます。
日が暮れるまで。
子供たちが、帰るまで。