ニュー・フロンティはサイバースペースに
「諸君、我々はユートピアを創るべく努力しなくてはならんのだよ」ユール長老は重々しく言う。そして続ける。
「これまで我々はあまりにも時代錯誤的すぎた。まず、その事実を認識することから始めなければならない」そこまで言うとユール長老は言葉を止め、何かを思い出そうとするかのような表情になる。ユール長老のそのような様子をしばらく見守った後、従者の一人であるサラリは言う。
「ユール長老、では、具体的に何をなさるおつもりでしょうか?」
「まずサイバースペースを第二のリアル社会へと変貌させるためにリアルネーム・プロトコルを導入する計画だ」
「でも、サイバースペースでは匿名が当然では?」
「馬鹿者、そんなことはこのゾーンのみの常識で他のゾーンでは違法ですらあるところもある」長老は怒りを露に言う。
「私もそのようなことくらいは知っておりましたが、しかしリアルネームとなるとサイバースペースでの活動が低下するのではないかと懸念いたします」サラリはさらっと言って退ける。
「リアルネームでないサイバースペースの活動には実質的に何も意味はない」
「だがしかし、ゾーン地域民は楽しんでおりますよ。またストレス解消にも有効であるというデータがあります」
「では、現実ではどうだ?」
「現実世界では多くのものはまじめで礼儀正しい人々です」サラリは当然という風に応える。
「それが、彼らの本当の姿だと思うかね?」ユール長老は詰問する。「それが彼らの本音だと思うかね? そうではないに決まっておるじゃろう。なぜならサイバースペースではあれほどの誹謗中傷、愚痴が蔓延しておるのだから」ユール長老は一呼吸置くと続ける。
「このゾーン内では多くのものは“不幸”なんじゃよ。現実世界では幸せそうに振る舞っていても、それはあくまで表層的なものに過ぎず、精神の深いところでは病んでおるのじゃ」
「ではユール長老、そのような状況だからこそ、救済措置としての匿名性のサイバースペースが必要なのではないでしょうか? リアルネームになってしまうと、逃げ場が無くなってしまうと思いますが」
「サラリ、貴様はまだわからぬのか? それが病んだ社会で、そこには本当の幸せは無いということに?」
サラリは腑に落ちないという表情を浮かべているが、ユール長老は続ける。
「サイバースペースは便利なものだ。文字通り光速でスペース内を行き来できる。そして物理的制約とは無関係に多くの人々と出会うことができ、またコミュニケーションをとることができる。それだけ大きな可能性を持つ世界だ。ただ致命的な欠点がある。匿名性を利用して悪意のある発言が多発することだ。私はサイバースペースを本当の第二社会とするために、発言するためにはリアルネームでの登録が必要な処置をとるつもりだ。そうすると、例えばある誹謗中傷発言があった場合、その発言者が誰であるのかわかるようになるため、そういった発言は減少してゆくだろうと私はやや楽観視して考えておる」
「だがしかし、先ほども言いましたが、そうなるとサイバースペースでの活動性が降下するのは必須です」サラリは言う。
「その通りだ。サイバースペースでも現実世界と同じように振る舞わなくてはならなくなるため、不用意なことはできなくなる。そこで、私はサイバースペースでの階級制度をつくろうと思っておる。ある特殊なアルゴリズムをつくり、そのフィルタリングを通して、優良ユーザにはポイントが付与されるというもので、そして、より優良であるほどより高い発言権が与えられるというものだ。そうなれば、人々はより高い発言権を得るためにいろいろと工夫し始めるはずだ。よりよいサイバーサービスをつくったり、よりよい、より社会的に有益な発言をしたりというようにな」ユール長老はそこまで言うと言葉を締めくくるように言う。
「これが、『第二社会の到来』じゃよ」
「サイバースペースに競争原理、自然淘汰の原理のようなものを持ち込むわけですね。でも、それではシリアスすぎやしませんか? サイバースペースは遊ぶところではなくなってしまいます」
「サラリ、今このゾーンの状況がどれほど酷いものか、お主は認識しておるのか?」
「どれほど酷いって、そりゃ経済は下降傾向にありますし、不透明な時代であるとは思います。でも、このゾーンの経済力はまだテラで第二のものですし、全体としての幸福度はそれなりに高いものと・・・」
「馬鹿者! 貴様には何も現実が見えておらん。このままいけば、このゾーンはいずれ凋落の一途を辿り、そして死滅する。まあ、これは私の個人的な予言と言われれば、それに対して返す言葉はないがな」ユール長老はしばし考え込むような表情を浮かべ、言葉を閉ざす。そして、次の言葉を発する。
「今、このゾーンはサイバースペースで遊んでいるような暇はない。事は一刻を争う。今すぐ『第二社会』プロジェクトを発足しなければ、このゾーンの多くのものはおそらく死ぬことだろう。私はこれより諮問委員会へ行って議題を提出してくる。まあ、その結果は自然淘汰の原理のみぞ知る、だがな」