第2話:記憶
あの日から、茗は毎日のように図書館に来た。
羽稀の心にもごく自然に入り込んでいて、昔からの知り合いのように親しくなっていった。そして、茗が図書館に来るのが当たり前のようになっていて、羽稀は茗が来ないと勉強が思うように進まなくなっていた。
「なぁ、お前さぁ…」
羽稀はずっと疑問に思っていた。
―どうして茗は毎日朝早くから図書館になど来れるのだろうか?―
「なぁに?」
「…やっぱ何でもない」
「えー!!なに?教えてよー」
(学校行ってないの?…なんて聞けないよな)
黙り込んでしまった羽稀を見て、茗は羽稀が何を言いたかったのか、わかってしまった。
「…私がどうして学校に行ってないか気になる?」
「…っ―!」
「今は言えないんだけど…時期が来たら、ちゃんと言うから…」
羽稀は茗の目にうっすらと涙が浮かんでいるような気がした。しかし次に茗を見た時は、そこにはいつもの笑顔の茗がいた。
「…わかった」
「でもね覚えておいて…。私は学校が嫌で学校に行ってないわけじゃないって事」
「覚えておくよ」
それから二人は何事もなかったかのようにいつもどうりだった。
(学校が嫌で行かないわけじゃない…ってことはいじめとかじゃないんだよな。勉強が嫌になったってわけでもなさそうだし…なんか嫌な予感がするけど、はずれてくれればいいな…)
月曜日の朝…羽稀が学校に行こうと(行くふりをしようと)靴を履いていると、電話が鳴った。誰だろうと思いながらも、電話をとると、聞き覚えのある明るい声が聞こえた。
「あ、羽稀??茗だけど」
「…何の用?ってかなんでうちの電話番号知ってんの…?こえー…」
「失礼な奴だなぁ…。言ったでしょ、同じクラスだって。連絡網に書いてあったんだもん」
「あっそ。で、何の用?…」
「今日、暇?」
「…なんで?」
「今日は定休日だから図書館行かないでしょ?」
「そう言う事じゃなくてさぁ…。そりゃ、俺はいつも暇だけど…」
「暇なのね??よし!じゃあ私と遊ぼっ!」
「…は?」
「暇なんでしょ??遊ぼうよ」
「お前と遊ぶ暇はねぇ」
―ガチャッ!―
勢いに任せて電話を切ったが、羽稀は少々後悔した。
(…ちょっと可哀想だったかな…)
―ピーンポーン―
(…前言撤回っ)
羽稀が玄関の扉を開けると、少し怒ったような表情の茗がいた。
「何で途中で切っちゃうのよー!」
「…ここで電話掛けてたのかよ」
「うん!嫌って言っても無理矢理連れて行くつもりでっ」
茗は悪戯っぽくにかっと笑った。
「で、どこ行くの?」
「一緒に遊んでくれるのっ??」
「無理矢理連れてくつもりだったんだろ?…どーせ暇だし一人で町に行ってもつまんねーし。で、どこ行きたいの?」
「ヤタッ!うふふっ。えっとねー、最近出来たテーマパークあるでしょ?あそこ行きたかったんだ♪いい??」
「はいはい、お姫様」
「よーし!今日は一日遊ぶゾー!!」
「一日遊ぶの?!」
「もっちろん♪」
(俺今日死ぬわ…。まじで…!)
「きゃほー!」
「………。」
「羽稀って絶叫系苦手??」
「…認めたくはないけどね」
「何か飲み物買ってくるよ♪」
「わりぃ…頼むわ」
(ふぅ〜!…俺何やってんだろ。…絶叫苦手ってかっこわりー…)
真夏に来るテーマパークはただでさえ暑いのに、人でごった返していて、余計に温度が増しているようだった。羽稀も、ベンチに座り手で扇ぎながら目をつぶって涼んでいた。すると突然頬に冷たいものがあたった。
「ひゃっ…!冷てー…」
「何たそがれちゃってんの?」
茗はハイ!と言ってよく冷えた缶ジュースを手渡した。
「別にー…。っていうかお前さぁ、何で俺ん家知ってんの?ストーカーかよ、こえー」
「違うしっ!羽稀…覚えてない??」
茗は今までの笑顔と明るさを微塵も感じさせないような、悲しくて切なくそうな表情で、真剣に聞いた。そんな茗に、羽稀も思わず真面目な顔になる。
「…何をだよ」
「私の事…覚えてない??」
「どうしてそんな事…意味分かんねーし…」
「羽稀、小さい時に仲の良かった女の子が転校しちゃったりしなかった?」
「昔の事はあんま覚えてない…。何?って言う事はお前は俺の事知ってたわけ?」
「うん、知ってた。覚えてた。忘れない」
「俺とも図書館で会ったのが初対面じゃなかった…ってこと?」
「うん…。羽稀は…羽稀は忘れちゃったの…?」
羽稀の脳裏に一瞬だけ昔の記憶がよぎったが、それはすぐに消えてしまい、羽稀は半泣き状態の茗を見て、静かに首を振った。
「…ごめん」
茗はショックを受けたように目を見開いたが、涙を手の甲で拭うとまた茗は笑顔に戻った。
(…本当は悲しいのに、どうしてそんなに頑張るんだろう…)
「私こそごめんね。羽稀にとっては思い出にも残らない事だったんだよね。ごめんね」
「お前が謝るなよ。俺が全面的に悪いんだから…」
「そんな申し訳なさそうな顔しないでよ。さっ!次は何に乗る?羽稀の乗りたいのでいいよっ」
「って突然言われても…。ほとんど乗っちゃってるしっ」
「あはっ、それもそうだったね」
羽稀は鞄からパンフレットを出すと、案内図を眺めた。そして一つの場所を指差した。
「もうそろそろ帰る時間だしなぁ…。観覧車にでも乗って帰るか」
「うんっ!そうしよっか」
二人が観覧車に乗ったころはもう日も落ちかけて夕焼けが綺麗だった。観覧車はゆっくり、でも確実に進んでいた。そして二人の別れが近づいているのも確かだった。
「…羽稀」
「なに?」
「本当は言わないでおこうと思ってたんだけど…」
「…何が?」
「…私ね、明日引越すんだ」
「何それ…。意味わかんねぇー…」
「私が最近学校に行かないで図書館に通ってたのは、もう学校やめて最後の一週間だけ自由な時間だったから…」
「それで何でお前はその最後の一週間を図書館に来たわけ?そんな貴重な時間を本当に勉強なんかに費やしたいわけじゃなかったんだろ…?」
「うん…。私…どうしても羽稀に会いたかった。だから…最後の一週間だけでもいいから羽稀と一緒に居たいって思ったの。そしたら図書館に羽稀が居て…、昔と全然変わってないからすぐわかったよ。羽稀といる時間が楽しくて、でも楽しい分だけ後から悲しくなって…すごく辛くて。最後の日に羽稀と一緒にここに来て、思い出作れば悲しくないかなって思ったけど…やっぱりダメみたい…」
茗の瞳からは大粒の涙が止め処なく零れ落ちていた。今までずっと笑顔で泣いたところなんて見たこともなかったし想像も出来なかったのに、今の茗は子供のように泣きじゃくっていた。
「泣くなよ…。お前が泣くとこっちまで変になる…」
「…好きだよ…羽稀…〜っ。離れたくない…また離れるのは嫌…!一緒に居たい…ずっと側に居てよっ…。私…もうこんな思いをして泣くのは嫌だったのに…―」
「お願いだから泣かないで…っ」
羽稀は泣いている茗を目の前にしてどうしたらいいのか分からなくなってしまった。そして羽稀は茗の華奢な体を包み込むように抱きしめた。羽稀にはそれしか茗の涙を止める方法が思いつかなかった。案の定茗はあんまり突然に起きた出来事に驚いて涙は少し止まっていたようだったが、逆効果だった事は確かだった。茗は羽稀を強く突き飛ばした。
「何で…っ!その気もないくせにこんな事するの…?!好きじゃないならこんな事しないで!!どうして…っ、嫌いにもさせてくれないの…?可愛い顔してやる事は残酷なんだね…っ。羽稀なんか嫌い!嫌い…っ!……大好きだよぉ…ばかぁ…っ!」
いつの間に観覧車は一周を回り終えていたらしく、茗はタイミングよく開かれたドアから外に飛び出して、そのまま走っていってしまった。後には羽稀だけが残された。羽稀は茗を追いかけようとはしなかった。
(俺にあいつを追いかける資格はねぇよ…っ)
「…俺にどうしろって言うんだ…」
羽稀は茗の言っていた事が気に掛かっていた。
(あいつ…俺の昔からの知り合いだった見たいな事言ってたよな…。子供の時って幼稚園とかそれぐらい?つまりあいつは小さい時同じ幼稚園だったんだけど引越しちゃって、それでまた戻ってきたけどまた引越しちゃうってことだよなぁ。全然覚えてないんですけど…)
羽稀の頭の中は茗の事でいっぱいだった。羽稀の脳裏には茗の泣顔が焼きついていた。
「俺があいつにあんな顔させちゃったんだ…」
羽稀はベットの上で茗の言った事を考えていたが、そのうち深い眠りに落ちてしまった。