1 公爵との会議
あれから数日後、フルールはアレクシスのいる公爵邸を訪れていた。
二人は初めて話したあのときのように、向かい合って座っている。
アレクシスが机の上に一枚の紙を置いた。
「契約書だ、内容を確認したらサインしろ」
「は、はい……」
部屋には緊張感が漂っていた。
(わざわざ契約書まで書くなんて……)
フルールは契約書の内容をさっと確認したあと、すぐにサインをした。
紙をアレクシスに渡すと、彼が署名を見てニヤリと笑った。
「――契約完了だな」
「……!」
数日前までは赤の他人だった二人が、共通の目標に向かって協力し合うビジネスパートナーとなった瞬間だった。
「早速だが、どのようなブティックにするかは決めているのか?」
「あ、はい……貴族、平民問わず気楽に買い物ができるようなお店にしたいと思っているんです」
「それは良い考えだな……」
「で、ですよね!?」
あのアレクシス・ウィンターベル公爵に褒められた。
フルールの胸は喜びでいっぱいになった。
しかし、彼はすぐに彼女の案の問題点を指摘した。
「だが……貴族が、平民向けの物を置いているような店で買い物をしたがるか?」
「そ、それは……」
貴族はプライドが高い人間が多く、平民を卑しい存在として差別している者も多くいる。
そんな彼らが、平民用の服が置いてあるようなブティックを気に入るだろうか。
答えは否だ。実際、貴族が利用する高級ブティックと、平民が利用する普通のブティックはハッキリと区別されている。
フルールは答えに詰まった。アレクシスは何も言わずにそんな彼女をじっと見つめていた。
(これはきっと、私を試しているんだわ)
アレクシスはフルールをパートナーにと望んだが、彼女を完全に信頼しきっているわけではない。
当然だ、二人はまだ出会って一ヵ月しか経っていないのだから。
(ロワール公国の豪雨を当てたことをきっかけに、私が何者か探りを入れているのかしら……)
アレクシスは自分を予言者か何かだと思っているのかもしれない。
しかし、それは違う。
彼女はあくまで、前世での小説で読んだことを彼に伝えただけである。
小説の序盤、オルティエ王国の西に位置するロワール公国で集中豪雨が起こるというシーンが描かれていた。
ロワール公国はカカオ豆以外にも、コーヒー豆やトウモロコシなどの輸出国で知られている国だ。
(ウィンターベル公爵がロワール公国産のカカオ豆を仕入れているのは、たまたま貴族たちの噂話で聞いたことだったけど……今考えれば運が良いわね)
フルールは慎重に考えたあと、ゆっくりと口を開いた。
「……こういうのはいかがでしょうか」
顔を上げ、真っ直ぐにアレクシスを見据える。
怖くないと言えば嘘になるが、これからビジネスパートナーとしてやっていく仲だ。
いつまでも臆病な伯爵夫人のままいるわけにはいかない。
決意を固め、フルールは話し始めた。
「――ブティックの扉を二つ作るのです」
「……ほう?」
面白そうに笑う彼に、彼女は一から説明した。
「店内を二つに分け、片方は貴族用の高級なものを。もう片方は平民でも買える安価なものを置くのです」
「なるほど……たしかに店を二つに分ければ、二号店を作るよりも資金面で圧倒的に安く済ませられるな……」
フィオナの提案は、開業にかかるコストを最小限に抑えた魅力的なアイデアだった。
アレクシスはそんな彼女に感心したようだった。
「グロリア伯爵夫人、お前は柔軟な頭を持っているようだな」
「お、お褒め頂き光栄です……」
どうやら上手く切り抜けられたようだ。
フルールはふぅと安堵の息を吐いた。
ここで失敗してアレクシスに呆れられでもしたらどうしようかと思っていたが、そんな心配は杞憂だったようだ。
(私はあの小説を全巻読んだ読者だからよくわかるのよ)
アレクシス、あなたは自分の役に立つ、ちょっと変わった人間が大好きなのよね。
彼がアリアに惹かれたのも、彼女が類稀なる起業の才能を持ち合わせていたから。
アレクシス・ウィンターベルはこの世の全てを持って生まれたも同然だった。
美貌、才能、地位――どれを取っても一級品であり、オルティエ王国の最高傑作とまで呼ばれた男だった。
そんな彼は、ある日突然優秀すぎるがゆえに、全てがつまらなく感じてしまうようになる。
何をやっても無力感しか感じず、自分が存在する意味すら見出せない。
そんな彼のつまらない日常を一変させたのがアリアだった。
「――そうだ、店の名前は考えているのか?」
「名前……」
突然話しかけられたフルールはハッとなって顔を上げた。
(名前……何も考えていなかったわ……)
アレクシスに言われて初めて気が付いた。
彼女は一刻も早くルースから離れ、独立したいという一心で、そのようなこと気にも留めていなかったのだ。
そんなフルールに、アレクシスはまだまだだなとでも言いたげな視線を向けた。
「夫人、店の名前はじっくり考えておいた方がいいぞ。あまりにも覚えにくい店名だと損するからな」
「そ、それはたしかに……」
彼の言う通りだ。
店の印象を左右すると言っても過言ではない店名は慎重に考えるべきだろう。
アレクシスではなく、自分が代表を務めることになるのだから適当な名前にはしたくない。
(できるだけオシャレで今風な……誰からも愛されるようなお店にしたいから……)
じっと考え込んでいた彼女の頭に、穏やかな女性の声が響いた。
『この子の名前はフルール。フルールにしましょう。花のように美しく育ち、誰からも愛される子となってくれることを願って……きっとそうなるわ、私たちの子だもの』
まるで小説のワンシーンのような、穏やかで温かい記憶だった。
その声を聞いた彼女は無意識に呟いていた。
「fleur……」
「何だと?」
聞き返したアレクシスに、今度はハッキリとその名前を口にした。
「――fleurにします、公爵様」
良い名前でしょう?とでも言いたげなフルールを、アレクシスは呆然と見つめていた。
我ながら良い案が思い浮かんだな、と彼女は満足そうに頷いた。
「お前……」
次は一体どんな風に褒めてくれるんだろう、とフルールは期待までしていた。
しかし、アレクシスから返ってきたのは予想外の言葉だった。
「自己主張強すぎだろ、せめてちょっと変えるとかしろよ」
「な……!」
言われて気付いたフルールの顔が真っ赤に染まった。
顔を赤くしたまま、彼女はアレクシスに言い返した。
「い、良いではありませんか別に!」
「まぁいいけどさ、お前って自信無さそうに見えて結構自分大好きなタイプなんだな」
「か、勝手なこと言わないでください!」
ぷっくりと口を膨らませたフルールに、アレクシスがハハッと笑った。
――フルール
それは、――が付けてくれたかけがえのない大切な名前。




