17 面白い女
「すっごく緊張したわ……死ぬかと思った……」
「お帰りなさいませ、奥様」
ウィンターベル公爵邸を出たフルールは、迎えの馬車の前で侍女長に支えられていた。
顔を真っ青にして肩で息を吐くそのさまは、どれだけアレクシスとの交渉が過酷だったかを物語っていた。
「驚きましたよ、奥様。急にウィンターベル公爵様に会いに行くだなんて言うものですから……」
「そうよね、ウィンターベル公爵は人を寄せ付けないから……」
アレクシスは孤高だった。
社交界でも常に近寄りがたい雰囲気を醸し出し、自ら輪の中に入ることもせず、ただ隅でワイン片手にパーティーを見守っているだけ。
彼は美しい顔立ちで貴族令嬢から大変人気があるものの、二十代後半の今でも未婚であり、婚約者すらいない。
そもそも彼に近付ける令嬢なんてこの国にはほとんどいないだろう。
それほどまでに、ウィンターベル公爵は恐ろしい存在だった。
侍女長はフルールの背中をそっとさすった。
「あんな方相手に交渉をするなんて尊敬します……私では、顔を見ることすらできません」
「そうね、でも私が生き残るためには必要不可欠だったのよ」
「生き残る……?」
不思議そうに首をかしげた侍女長をよそに、御者は明るくフルールに尋ねた。
「ところで、交渉の結果はどうだったんですか?」
「それは、あと一ヵ月もすればわかるわ」
心配しなくとも、きっとうまくいくはずだ。
そう口にした彼女の笑顔は、自信に満ち溢れていた。
***
「なかなかに面白い女だったな……」
「旦那様」
その頃、執務室にある窓から外の様子を眺めていたアレクシスがぽつりと呟いた。
彼の視線の先には、ついさっき話した女がいた。
――フルール・グロリア伯爵夫人
元レスティア伯爵家の長女で、いたって普通の令嬢。これといって特徴のない、平凡な女。
それがアレクシスの彼女に対するイメージだった。
「前に会ったときはもっと弱々しかったのに……」
アレクシスは彼女と会うのは初めてではなかった。
王家主催のパーティーで何度か見かけたことがある。
目を合わせただけで顔を青くし、震え上がって動けなくなっていた女。
彼を前に、そのような反応をする令嬢は珍しくはない。
だから特に気にすることもなかった。
他の女たちと何も変わらない、つまらない女というイメージだった。
しかし、今日彼が見た彼女はまるで別人のようだった。
『それは、公爵様もよくご存知のはずでしょう?』
アレクシスは、今日のフルールの力強い瞳を思い浮かべた。
あんな目を向ける令嬢に会ったのは初めてだった。
「旦那様、グロリア伯爵夫人とどのような話をしていたのですか?」
「……さぁな」
部屋にいた執事が尋ねたが、彼ははぐらかした。
アレクシスは、フルールとの最後の会話を思い浮かべた。
フルールはアレクシスの耳元で意外なことを囁いた。
『閣下、半年後には閣下のお気に入りのロワール公国産のカカオ豆の価格は倍以上に跳ね上がるでしょう』
『……何だと?』
アレクシスは眉をピクリと上げた。
彼がロワール公国産のカカオ豆を好んで仕入れていることは、彼に近しい者しか知らなかった。
『あと一ヵ月もすれば、ロワール公国では大災害が起こります。その影響で、カカオ豆の収穫量は大幅に減少していくはずです』
『ハッ……自然災害を予告するだなんて、神にでもなったつもりか?』
『言ったでしょう、あとになればわかることだと』
アレクシスは当然、フルールの言ったことを信じていなかった。
ただ、あのときの彼女は嘘をついているようには見えなかった。
アレクシスは自分に媚びへつらう者たちを多く見てきたせいか、人の本心を見抜けるようになっていた。
そのため、彼の前で下手なウソは通用しない。
『一度だけでいいのです、私を信じてくださいませんか』
アレクシスは侍女に支えられながら馬車に乗り込むフルールを見下ろし、面白そうに笑みを浮かべた。




