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飛龍(フェイロン)

『・・・・・・灰色の人の子よ・・・・・・』

 惑い、浮遊する意識の中で、誰かの声が聞こえた。遠く深いところから、誰かがマリオンを呼んでいた。静かに目を開けると、そこはすでにあの広間ではなかった。

「・・・・・・!」

 足元にも周りにも、一切の色がない。音もなく、先ほどまで聞こえていた耳障りな自分の呼吸音も、もう聞こえない。足元のブーツの底に感じられていたはずの硬い床もなく、すでに上下の感覚すらもなかった。ただ、何もない柔らかな白い空間を、自分ひとりが漂っている。

『穢れた不浄の血に染まりし、人の子よ』

 再び声が頭の中に語りかけてくる。確かにマリオンの白い服は、上下とも血まみれだった。ところどころぱりぱりと乾き、肌に張り付いているところもある。最初は自分の血、次にセルブラントの血、そして一番新しく一番大量なのは、ラヴィーニアのものだった。とうの昔にどこかへなくしてしまった緋色のストールと同じ色で、全身が染まりついている。今や嗅覚も無くなっているが、きっと血液独特の匂いもひどくなっているだろう。

 だが、その言葉にマリオンは逆上した。

「この血には、僕をかばって死んだ少女の血も混じっている。彼女の血は不浄じゃない! あなたが誰であっても、僕はそれを不浄などとは呼ばせないっ!」

 それは逆に『聖なるもの』と呼んでもいいくらいだ、とマリオンは怒りに目を細めた。声に答えるように、ぶるんと目の前の白い闇が震え、やがてうっすらと人の形をとり始めた。

『たとえそれがどのような尊い犠牲のもとに流されたものであろうと、それが血であることには間違いがなかろう、人の子よ』

「いいや、認めないっ! 血が穢れであるという思想自体、僕は認めないぞ。生きとし生きるもの、すべての体内に流れる生命の源を、穢れであるという単純な一言で片付けるような浅薄な思想を、僕は認めない」


 やがて、白い闇は、背の高い一人の男性の姿へと変わった。白い顔に、長い癖のない黒髪が足首のあたりまで流れている。まとっているのは、やはり白のゆったりとした長衣(ながぎぬ)であった。黒髪に縁取られた顔は美しく整っており、ほっそりと面長で黒い印象的な切れ長の目をしている。その姿は、出会った者が思わずひれ伏したくなるような神々しいものだった。

 しかし、マリオンは固く口元を結んだまま、もちろんひれ伏したりはしない。ただ、その白い人影を睨みつけていた。その睨みつけられた彼のほうは、端正な口元におもしろがっているような微笑をうっすらと浮かべた。

『そなたの考え方は、血を好む黒の魔術師ともまた違うな』

 マリオンは怒りを静めるために、肺の底まで深く息を吸った。そもそもの最初から、人々を巻き込んでこのような騒ぎを起こしたのは、目の前にいるお前だろう、という言葉をマリオンはようやく飲み込んだ。そのために人生を狂わせられたのは、アニスであり、ラヴィーニアであり、ニコーレであり、グロリアであり、そして、シルヴァーナと自分だった。(いか)っている。その怒りは、深く息を吸ったくらいで簡単に収まるようなものではない。自分が強い悲憤を感じていることを、マリオンは意識した。怒りが今の自分を支えている。ともすれば、神殿と共に崩れ去りそうな意識を、この怒りだけが支えているのだ。


 ならば、このままでいよう。この怒りは僕のものだ。誰にも奪わせはしない。しかし、マリオンの口調は逆に穏やかだった。

飛龍(フェイロン)、あなたは飛龍(フェイロン)でしょう? ラヴィーニアは最期まであなたを呼んでいた。護ってくれると思っていたはずだ。あなたに何が言える? この血は、僕と、そしてあなたのために流された。誰もこんな結果を望んでいたわけじゃない」

 マリオン自身はもちろん、ラヴィーニアも、アニスも、ニコーレもグロリアも、そしてきっと、セルブラントですらも・・・・・・。

『私も望んでいたわけではない』

 どこかに苦さのにじむ口調で、飛龍(フェイロン)がささやくように言った。

「いいや。あなたが望んだのだ。神殿に流されたこの血も、彼女たちの過酷な運命も、愚かな野望も。すべてあなたが望んだ事だ」

 マリオンの追及の言葉に、飛龍(フェイロン)は静かに首を振った。

『それは人間たちの心が望んだこと。それを愛とも野望とも献身とも、なんとでも呼ぶがよい』

「・・・・・・! それで、そんな一言ですます気かっ!」

 ついにマリオンの緑の目に暗い炎が灯る。怒りに増幅された力を使い果たそうと、彼の右手が静かにあがった。その仕草に、飛龍(フェイロン)の目が驚いたように少し大きく見開かれた。

『私に魔法を使う気か? だが、そなたはすでに限界だ。今使えば、二度と立ち上がることはかなうまい』

 言葉の終わらぬうちに、マリオンの口から封印の呪文が紡ぎだされた。


「やめて、マリオン。無理しないで」

 その呪文が効力を発揮しないうちに、どこからか声がした。

「え、母上?」

 驚いたようにマリオンが呪文を止めた。飛龍(フェイロン)の両脇に、さらに二つの人影がにじみ出た。ひとつは白いドレスのほっそりと背の高い影。腰のあたりまでの長い金色の髪、優しげな水色の瞳、美しく整った白い顔の造りが目の色以外、マリオンとよく似ている。それはマリオンの母、シルヴァーナだった。

飛龍(フェイロン)。彼は私の大事な息子よ。もうだいぶひどいことになってるわ。これ以上無理なことをさせないでね」

 茶目っ気にあふれた口調で飛龍(フェイロン)に少し怒って見せながら、シルヴァーナが微笑んだ。まるでここが何処でも、彼女には何も影響を与えていないようだ。

 母のいつもとかわりのないその口調に、マリオンは本物かどうか確かめるように目を細めた。右手はまだ飛龍(フェイロン)のほうをむいて、掲げられたままだ。

『これは異なことを。私は何もしていないぞ、シルヴァーナ』

 飛龍(フェイロン)が困ったように眉を寄せた。

「私からもお願いね、飛龍(フェイロン)。彼は・・・・・・、あちら側の私が命をかけても護りたかった人なの・・・・・・」

 もうひとつのシルヴァーナより小柄な女性の影も、飛龍(フェイロン)に微笑んだ。砂色のふわりとした髪が緩い三編みに結われて背に流されている。マリオンより少し年上に見えるその女性は・・・・・・。

「・・・・・・ラヴィーニアに似ている」


 顔自体は、あのラヴィーニアそのものとは言えない。十七歳だったラヴィーニアよりももっと大人びていて、少し顔立ち自体も違っている。同じなのは、髪の色と瞳の青い色だけだった。それでも彼には、それがラヴィーニアだとすぐにわかった。

「私は、さっき亡くなったラヴィーニアと同じ魂を持っているから」

 マリオンの視線を感じて、少しはにかんだように彼のほうを見たラヴィーニアがそう言って微笑んだ。

「でも、あなたは彼女じゃない・・・・・・」

 泣きそうな顔で、それでもかろうじて涙をこらえながらマリオンがそう言うと、こちらのラヴィーニアも少し切なげな顔をして、もう一度微笑みながらうなずいた。

「そうね。魂は一緒なのに・・・・・・。不思議ね。十七歳のあの彼女は・・・・・・もういないわ。もう、どこにもいないの・・・・・・」

 改めて告げられた言葉によって、胸の奥があげる軋みと痛みを苦労して飲み込みながら、マリオンはようやく右手を下げた。

飛龍(フェイロン)のせいだけじゃないのよ、マリオン。彼も犠牲者、なのよ」

 シルヴァーナが、背の高い自分よりさらに頭ひとつ高い白い影を見上げた。

「犠牲者・・・・・・」

 母の言葉にマリオンが眉間に皺を寄せた。

「聖杯・・・・・・のせいだと?」

 認めたくないその言葉をマリオンは口に出し、顔をしかめた。

『聖杯は、東の大地にあった』

 飛龍(フェイロン)が遠くを見るようなまなざしで(くう)に視線をさまよわせた。今はもう帰れない、遠い自分の故郷に思いを馳せているのかもしれない。

『聖杯は、私を呼んだ。そして縛った』

「縛った?」

 マリオンが鸚鵡返しに問うと、飛龍(フェイロン)がかすかにうなずいた。

『私は聖杯から離れられなくなった。聖杯は私の魔力を利用して東の大地から戻りたがっていた。この北の大地へ』

「聖杯は、北の聖杯だったのか・・・・・・」

 聖杯は東西南北、それぞれの大陸のものが四つあるはずだと、伝説は告げている。



 創始聖伝の一節


『 その昔、この世界がまだ、混沌としていた頃、すべては泥と空気と水と熱から成り立っていた。その混沌の中に天上界から白い乙女の腕が一本伸びて、手の中の美しい聖杯に、なみなみと泥をすくいとった。その泥は世界の北の隅に聖杯ごと逆さに伏せられ、北の大地となった。再び、そのたおやかな乙女の腕が伸ばされ、さらに新たな聖杯に東の大地をすくい上げた。

 そのように四たびそれが繰り返され、世界に青い海と四つの大陸が創りあげられた。それぞれの聖杯は四つの大地と共に地の底深く眠っている。その四つの聖杯は、地上のあらゆるものにも勝る、強大な創始の魔力を宿していた』



『そうだ、あれは元々この北の大地のもの。何の因果か、東の大地で埋もれ眠っていたのだが、私が不用意に近づいたために目覚めてしまった』

 白竜の圧倒的な魔力が聖杯を目覚めさせ、その原始の欲求を思い出させた。

『自分が創った北の大地へ戻りたい』と。

『聖杯は私を縛り、そしてここ、北の大陸へ飛ばせた。私にはここまで飛ぶのがやっとだった。聖杯を眠らせることができなかったのだ』

 飛龍(フェイロン)は溜め息ともなんともつかない、微かな間を置いた。

『聖杯は安住の地を求めていたが、私にはそれを与える力はすでに失われていた。ラデインで安住できるかと思ったが、うまくはいかなかった。人間たちが近すぎたのだ。人間たちのあらゆる欲求が、聖杯を毒していった。私や聖杯が人間を消し去ったのではない。人間たちは、己のその欲によって自らを消し去ったのだ。やがて、乞われてカデカミナへ移った。しかし、そこも安寧ではなかった。そして、そこへグラディウスがやってきたのだ』

 グラディウスは、仰天した。白い魔竜、どころか伝説の聖杯を目の当たりにしてしまったのだ。グラディウスもマリオン同様、伝説の聖杯はこの世にあってはならないもの、だと思ったに違いない。それには関わりあいを持ちたくない、とも。

 だが、彼はこの件から手を引くにはすでに深く入り込みすぎていた。もちろん、聖杯の話は秘密裡にことは進められた。グラディウスは、そのためにやむなく白竜ごと、聖杯を封印することにしたのだ。

 そして、そのためにはどうしても、封印の要になるものが必要であった。すでに白竜は、聖杯の聖域がこれ以上、広がることを恐れ、自らアニスという女性を要として利用していた。だが、それは完全な封印ではなかったため、やがてカデカミナ山脈全域に歪みが生じ始めていた。グラディウスは、悩んだ末にそのやり方を踏襲して封印を行うことにした。要として生きた人間、ラヴィーニア・キングを充てることにしたのだ。


 要のある封印は、通常の場合、何もない封印よりも強固で解放が難しい。そう考えられていたのだが、一人の魔術師の愚かな行為によってなぜか簡単に崩れてしまった。

『たぶん、聖杯自身が封印を嫌がったのだ、と私は思う』

「聖杯が嫌がった・・・・・・」

『グラディウスの封印は、何もかもきっちりとしていた。彼は、聖杯を厭わしく思っていたに違いない。それは、私への態度でも容易に知れた。グラディウスは、私たちが嫌いだったのだと思う』

 マリオンの口元に皮肉な笑みが浮かんだ。聖杯と魔竜の組み合わせのいったいどこに、好きになれる要素があったというのか? 

「愛のない封印は許せないと、そう言いたいのか」

『愛・・・・・・。人はそれを愛と呼ぶか?』

 真面目くさった飛龍(フェイロン)の言葉に、マリオンは肩をすくめた。

「失礼、今のは単なる皮肉だ。気にしなくていい」

 そんなマリオンのほうへ、じろりと飛龍(フェイロン)が視線を飛ばし、わずかにシルヴァーナのほうへ頭を揺らした。

『そなたの息子は、尊大だ。あるいは、向こう見ずで世間知らずなのか』

 シルヴァーナは微笑んだ。

「あの子は昔から、拘束されることや頭ごなしに押さえつける権力というものが嫌いなの。彼は、今ものすごく怒っているのよ」

 納得したように飛龍(フェイロン)はうなずいた。

『では、シルヴァーナの息子よ、そなたにもわかるであろう。封印されて何もなかったかのように、白い闇の中へ閉じ込められてしまう者の気持ちが』

 マリオンは、目を細めた。


「では、飛龍(フェイロン)。そのために自分の人生というものを、理不尽に奪われたアニスやラヴィーニアのことを、あなたは考えたことがあるのか? あるいは二度と彼女たちに会うことすらかなわなかった、彼女たちの親兄弟のことは? いいや!  それが彼女たちの運命だった、などという都合のいい戯言は聞きたくないぞ」

 マリオンは強く右手を横なぎに振って、なにか言おうと口を開きかけた飛龍(フェイロン)をさえぎった。

「それを愛とも野望とも献身ともなんとでも呼ぶがよい、だと? 自分の暴挙、略奪にも等しい行為を棚に上げて、どの口がそれを言うか! 封印が気に入らなかった?  なら僕がその封印をやり直してやろう!」

「マリオン! 待って!」

 誰かがぐいっとマリオンの腕をつかんだ。必死の瞳でマリオンの顔を覗き込んでいるのは、こちら側のラヴィーニアだった。

「お願い。あなたの怒りはもっともよ。私たちのために怒ってくれていることもわかるわ。でも、飛龍(フェイロン)は違うの。彼はもう封印されたくないのよ。彼にだって、普通の竜としての一生があったはずなんだもの。彼だって、彼だって犠牲者なのよ」

 マリオンは、すっと目を細めた。

「だが、彼はすでに聖杯と切っても切れない(えにし)でつながれているんだろう」

 ラヴィーニアは、哀しげな表情をした。

「それはそうだわ。でもそれは、私もおなじなの。私はここから離れられない。自由だったはずのあちらのラヴィーニアも、結局はここへ戻ってくるしかなかった」


 マリオンの唇がぐっと噛み締められた。ラヴィーニアは、もう一度強く彼の腕をつかみなおした。

「それに、今のあなたでは無理よ。怒りのままに封印を行ったら、暴走しかねないわ」

「暴走などしない」

 意外と冷静な声に、はっ、とラヴィーニアがマリオンの顔を見上げた。マリオンの緑色の瞳が怒りの色を押さえ、冷たく煌いている。

「暴走は、しない」

 もう一度、彼は口元に小さく笑みを浮かべて、自分の腕をつかんでいるラヴィーニアの手を優しくはずした。

「封印するだけだ。二度と出られないように」

 さっきまでの熱さが急激に冷めていた。その瞳の冷たさにラヴィーニアは、衝撃を受けた。仕草や言動が優しい分、その反動の怒りの大きさが知れようというものだ。もはや彼は、止めようがないほど怒っているのだろうか。

 はずされた手を胸に抱いて、なすすべもなく立ち尽くすラヴィーニアの代わりに、彼の腕を優しくつかんだのは、母、シルヴァーナだった。

「ちょっとお待ちなさい、マリオン。あなた、そのままじゃ倒れてしまうわ」

 マリオンは、ちらりと母の顔に視線を当てたが、すぐに飛龍(フェイロン)に戻した。

「母上。うまくあなたも救えるといいけれど、どうしてもだめな時はあきらめてください」

 母に対しても口調がきつく冷たい。だが、シルヴァーナはその口調にもひるまなかった。

「相変わらず妙なところで熱血、なのね。他の人が絡むと、どうしてこう見境がなくなるのかしら? 自分をもっと大事になさいな。そして、状況をよく把握しなさい」

 シルヴァーナはくすくす笑っていたが、ふいに真面目な顔になると、白い手を息子の頬に伸ばした。二年ぶりの優しい母の手の感触に、冷たく凍ったマリオンの瞳が揺れた。

「大丈夫、あなたになら封印はできる。私は信じてるわ。でも、その前にあなたは、その傷を癒さなければいけないの」

「そんなひまは、ありません」

「すごく背が高くなったのね。それに逞しくなったし、男らしくなったわ。もう私にそっくりと言うほどには、似ていないわねぇ」

 マリオンの言葉を無視して、シルヴァーナはふわりと伸び上がり、自分より背の高くなった息子の左目を覆っている金色の前髪をさっとかきあげ、驚きの声をあげた。

「あらまぁ? どうしちゃったの? 金色じゃないわ? 元に戻ってるのね」

 のんびりとした口調に、一瞬だけマリオンは答えに詰まった。

「・・・・・・ええ、あの瞳は・・・・・・そう、失いました。ここへ来る前に」

「まぁ、もったいなかったわね。とっても綺麗だったのに」

 シルヴァーナが、心底残念そうな口調でそう言い、そんなことが言えるのはあなたくらいだ、とマリオンは心のうちで苦笑する。


「相変わらずなのは、母上のほうです」

 我知らず溜め息が漏れた。母の話を聞いていると、どうにも調子が狂ってしまう。猛り狂っていた心の端っこをしっかりつかまれて、うまく制御されてしまったようだ。

「母上、お願いですから・・・・・・」

 再び溜め息をつきながら、マリオンが抗議の声をあげようとしたときだった。

『そろそろ聖杯が目覚める』

 マリオンとシルヴァーナの顔が、はっと飛龍(フェイロン)のほうを向いた。

『聖杯が呼んでいる』

 うつろなまなざしで飛龍(フェイロン)がつぶやき、ラヴィーニアがそちらへ駆け寄った。泣きそうな顔でいやいやをするように首を振り、彼の袖口をしっかりとつかんでいる。

「あなたには、もう無理です。これ以上あれに関わっては、あなたへの負担が大きすぎます」

 彼を行かせたくないのだ。行けば、何が起こるかわからない。もう飛龍フェイロンには、聖杯をなだめるほどの力は残っていないものと見える。聖杯の元へ行くとすれば、その代償として自分の生命を支払わねばならないかもしれないのだ。

『だがそれでも私は、行かねばならぬ』

 その口調にはあきらかに、濃い疲弊の影と絶望が混じっている。


「あなたの代わりに僕が行く」

 飛龍(フェイロン)が驚いたようにマリオンを見た。

「あなたはともかく、聖杯の封印は必要不可欠なはずだ。聖杯自身もそれを望んでいる、と僕は思う」

 そうでなければ、最初の時点でグラディウスの封印がうまく作用したはずはない。たとえ、後に聖杯自身が嫌がって逃げ出そうとしたにしても、最初からそうであったとは、思えない節がある。

『二度と戻れぬかも知れぬ』

 飛龍(フェイロン)の言葉に、マリオンは深くうなずいた。

「だが、僕は戻る。封印も成功させる。未来は必ず僕自身の手でつかむ! 聖杯に左右などされない」

 挑むようなマリオンの瞳を覗き込んで、飛龍(フェイロン)がうっすらと微笑んだ。

『そうか・・・・・・。ならば、行け、無謀なる若き魔術師よ。私のことは忘れていい。もうすでに私の命運は尽きている』

 そう言うと、飛龍(フェイロン)はマリオンを自分のほうへと手招きした。マリオンは柔らかな床の上を足元が定まらぬまま、ふわふわと漂うように彼の傍へ向かった。

『その傷はそなたの妨げにはならぬ。もはや、肉体の枷はそなたを縛りはせぬだろう』

 深い柔らかな飛龍(フェイロン)の声とともに、くるりとマリオンの視界が反転した。次の瞬間、彼は、自分の耳元にごぉっと激しい風が吹き付けるような音を聞いた、と思った。


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