対決
「魔法が使えなかったら、こいつには絶対勝てない」
身体の中の小さな魔法の光を呼び覚まそうと、神経を集中させる。唇を噛み締めたマリオンの額にうっすらと汗がにじんだ。
やがて、神殿の柱の影から、まるでにじみ出るように黒い幻のようなセルブラントが、ゆらりと姿を現した。銀色の仮面は、もうつけていない。
「お前の顔は!?」
仮面の下の顔を知らなかったグロリアが、驚愕の叫びをあげ、じろりとそのままマリオンに目をやった。
「アルヴィン、奴はお前の血筋のものだったのか」
「違う」
短い否定の言葉だったが、その中に何かを感じてグロリアはなぜか納得したようにうなずいた。セルブラントが両手を大げさに上げて肩をすくめて見せ、にやりと笑った。
「おやおや、なんともつれないね。おんなじ顔のおんなじ境遇のこの僕を、そんなに邪険にしなくてもいいだろう? マリオン」
マリオンは、それに答えず右手を高くかかげた。ぱちんと指が鳴る。そのかかげられた指先から眩しい光の奔流が流れ出ると、正確にセルブラントへ向かってまるで放たれた矢のように目にも見えないほどの速さと勢いで飛んでいった。
セルブラントは一瞬驚いたように目を大きく見開いたが、すかさず左の腕を振って魔力の盾を作り弾き返す。魔法と魔法のぶつかり合う眩い光が、広間を白く染めた。
「これは驚いたね。魔法封じに魔力を吸われた状態で、なおこれだけ魔法が使えるとは!」
本気で驚いたようなセルブラントの言葉に、マリオンの顔がしかめられた。セルブラントの声には余裕が感じられる。ちらりと隣に立つグロリアに目をやると、マリオンは無言のままセルブラントへもう一度光の矢を放った。セルブラントがもう一度薄笑いを浮かべながら、魔力の盾を作り出す。マリオンはその矢が盾に命中しないうちに、グロリアの腰に携えられていた細身の剣を勝手に抜き去った。
マリオンが走る。セルブラントが光の矢を分解した刹那、細身の剣が彼の胴体に向かって突き出される。黒い魔術師はそれを毛筋ほどの差でよけ、自分の腰から長剣を抜いた。
「こしゃくな!」
再び突き出されたマリオンの細身の剣を、セルブラントの頑丈な長剣ががっきと受けると、ぴしっと音を立て青い火花が千千に散った。
「ここで血を流す気か?」
剣でぎりぎりと押し合いながら、あざ笑うようにセルブラントがマリオンの耳にそうささやいた。
「神聖なる神殿だぞ? ここは。血で汚すなどもってのほか」
マリオンが食いしばった歯の間から搾り出すように答えた。
「かまわないさ!」
「なにっ!?」
セルブラントが目をむいた。
「お前さえいなければ、なんとでもなる」
マリオンの答えに、ふっとセルブラントが笑った。
「お前に僕が殺せるのか? その華奢な剣で、その弱い魔力で」
苦しい息をつきながら、それでもマリオンはにやりと口元に笑いを浮かべた。
「その言葉、そのまま返すぜ。粗悪な模造品魔術師殿」
「なんだとっ! 貴様! 許さん!」
セルブラントの目が赤く燃えた。そのセルブラントの怒りに増幅されたかのように長剣に力がこめられると、びしびしと音を立て細身の剣の細い刃に亀裂が生じ始めた。
そして、細身の剣が長剣の破壊力に負けて砕けるように折れる瞬間、待っていたようにマリオンの口から呪文が紡ぎだされた。
「滅びの風よ! 破滅の力をわが手に!」
言葉と同時に細身の剣は細かく砕けてしまったが、それと共にセルブラントの身体がマリオンの右手から生じた白い光に弾かれ、後方へ激しく吹き飛ばされた。セルブラントは受け身を取る暇もなく石段へ無防備な背中から思い切り叩き付けられ、その身体で砕かれた白い石があたり一面に細かな破片となって飛び散った。これにはさすがの黒魔術師も、苦痛の呻き声をあげた。
マリオンは砕け散る細身の剣の持っている最後の瞬間の力を、自分の魔法と同調させて増幅したものだ。この魔法は、マリオンの師匠が得意でよく使っていた。自然にある大いなる力を自分の力と同調させて、魔法の効力を高めるのだ。今のマリオンの単独の魔法では、これほどの破壊力は望めないだろう。その力は滅びの風となって、セルブラントにかなりの痛手を与えたようで、回復の異常に早い彼もなかなか立ち上がることができない。
息もつかせず、マリオンの右手から放たれた次の炎がセルブラントへ襲い掛かった。セルブラントの左手が黒い光の盾でそれを弾き返す。うまく弾き損ねた細い光が、セルブラントの黒衣をしたたかに切り裂いた。
「ちっ! 厄介なやつ。黒竜の魔法が使えなくなって、落ち込んでいるかと思いきや、立ち直るとはな」
セルブラントが長剣を杖代わりにようやく立ち上がり、息を荒くしてマリオンを見た。
「だが、そう来なくては! やはりお前こそが、僕の新たな名前にふさわしい」
「おだまり! セル。よくもうちの息子を殺してくれたね」
いきなり、横合いからぶんっと風を切り、グロリアの重く鋭い剣がセルブラントへ斬りつけられた。がしゃーんと盛大な音を立てて、グロリアの一撃をセルブラントがかろうじて自分の剣で受けた。それはびりびりという振動が、はたで見ている者にも伝わりそうなほどの強烈な一撃だった。
「邪魔だ、グロリア!」
セルブラントが歯軋りをして、グロリアの剣を打ち返す。
「ええいっ、死ねっ! 裏切り者めっ!」
負けじとグロリアが気合を入れて、再びセルブラントに向かって剣を打ちおろした。
「こうるさい馬鹿女が! 邪魔をするなっ!」
セルブラントが力任せにグロリアの剣を上に向かって弾き返した。だが、グロリアも負けてはいない。安定した腰つきで前に踏み込みなおすと、あげられた剣をそのまま振り下ろす。
「しつこい女だ! 大人しくしていろっ!」
セルブラントが両手で持っていた剣から右手を離した。
「グロリア、よけろっ!」
その右手に魔法の気配を感じてマリオンが叫び、反応したグロリアがすばやく巨体を揺らして横へ飛ぶ。すかさず、マリオンの手から蒼い矢が放たれた。同時にセルブラントの右手から巨大な黒い光の剣が大蛇のように湧き出し、グロリアに襲いかかった。
ラヴィーニアの悲鳴が上がった。グロリアは横に転がりながら、自分の剣でその黒い光を打ち落とそうとした。しかし、剣はグロリアの剣を打ち砕き、彼女の身体をその鋭い刃が引き裂くかのように見えた。
だが、その刹那、マリオンの蒼い矢がその黒い剣を貫き、千のかけらに切り裂いた。
「よけてろ、グロリア!」
マリオンが叫び、右手を高く上げる。
「お前のそんなか弱い魔法で、俺が倒せるか」
セルブラントはその顔に嘲笑を浮かべ、自分も右手をあげた。セルブラントの口調の変化と共に、顔つきも徐々にマリオンのものとは異なってきている。目の色も緑色だったものが、血のような赤に染まっている。
「口調が変わったな、セルブラント。それがお前の本性かっ!」
マリオンの右手から、セルブラントの頭上に向かって無数の蒼い矢が放たれた。その矢は一度セルブラントの頭上の高い位置でとどまり、僅かな時間差を保ちながら次々と急激な速さと鋭さで彼の頭上に落ちてくる。セルブラントが長剣を持ち直し頭上でそれをぐるんと廻すと、落ちてきた蒼い矢がそれによって弾かれて霧散した。
だが、セルブラントが頭上に目をやった僅かな瞬間を逃さず、マリオンは右手を床の上についた。ぴしぴしと白い光が床を走る。その光はセルブラントの目の前で大きな竜となり、大きくあぎとを開け襲いかかった。
「こざかしい! 子供だましだっ!」
セルブラントは頭上から振り下ろした剣で白い竜に斬りつけた。しかし、白い竜はその剣で霧散せず、再び大きく口を開けた。
「ちっ!」
セルブラントが舌打ちして、もう一度剣を振り上げたその瞬間、白い竜の後方からマリオンがすかさず打ち込んだ蒼い鋭い光が、竜を貫いて彼の胸を深くえぐった。
「うわぁぁ!」
セルブラントが絶叫をあげて大きく後ろへのけぞると、その手から長剣が離れ、ざーっと音を立てて床の上を滑っていく。さらにマリオンの蒼い矢の一群が、倒れかかるセルブラントめがけて容赦なく降り注いだ。
「おのれっ!」
セルブラントの瞳が、ひときわ強く赤い色に輝く。セルブラントは倒れた体勢から身体をすばやく跳ね上げると、片膝をついて重心を安定させた。両手のひらを顔の前で交差させると、気合と共に黒い盾が生じてセルブラントの身体を覆い、マリオンの放った炎の矢はことごとくそれに打ち落とされた。だが、息が荒い。切り裂かれた胸からは、しとどに赤い血が滴り落ちている。
一方、マリオンの方も同じように息は荒い。無理に魔法を使っているせいだろう、さっきから嫌な頭痛がし始めている。どんなにか弱い魔法であっても、数をこなせばそれなりに打撃を与える事が出来るのは、先刻承知だ。ここで次の魔法を使って攻撃すれば、セルブラントにもっと痛手を与えることが出来ると頭でわかってはいるが、身体がもう思うように動かなかった。だが、引くわけにはいかない。
セルブラントに血止めも癒しもほどこす暇を与えないよう気力を振り絞り、マリオンは空中から大きな長柄の戦斧をつかみ出すと、それを構えて走り出した。
魔法でできた武器は、それを作り出した人間の魔力の度合いによって、当然強さが異なる。
「たぶん、今の僕ではあまり長くは持たない」
多少、無理はきくだろうが、殺傷できるほどの攻撃は一度しかできない、とマリオンは踏んでいた。セルブラントの復元力はかなりのものだが、どうやら放っておいても傷口がすぐにふさがるということはなさそうだった。それならば、攻撃のしがいもあるし、つけ入る隙もどこかにあるに違いない。マリオンはそれに一縷の望みをかけた。
セルブラントの目は、今はもう緑色には戻らなかった。流した血に染まったように赤く、憎しみに燃えている。口元には不気味な笑いが浮かび、蛇のように細い舌がゆっくりと唇をなぞった。
「来い、マリオン! お前が負けたとき、俺はお前を喰らう」
セルブラントは次の瞬間には右手を空中へ高く上げ、マリオンと同じように長柄の戦斧をつかみ出すと、そのまま前に飛び出した。
広間の真ん中で、白い影と黒い影が交差する。戦斧の激しくぶつかり合う音と共に、強烈な閃光があたりを染め、はらはらしながら見守る三人の女たちの網膜を焼いた。閃光が眩すぎて、何が起きたかは誰にも見えない。だが、金属を打ち付けあう音と、それに伴っておきる激しい振動と光が、戦闘の激しさを物語っている。
セルブラントが繰り出した最初の一撃には、何とか耐えた。ただの金属ではなく、魔力同士の激しいぶつかりあいによって、そこに光と空気の大きな振動が起きた。マリオンにつけられた胸の傷によって、威力がだいぶそがれてはいるが、さすがにセルブラントの魔力は強い。戦闘の経験も多いのか、防御も攻撃も隙がない。マリオンの攻撃は、ことごとく受け流された。
「どうした、マリオン。ずいぶんとやわな攻撃だな」
セルブラントは、そうささやきながら、口元にいやらしげな笑みまで浮かべる余裕があった。
今までセルブラントは、攻撃らしい攻撃をしてこなかった。それは手が出せなかったというよりは、手を抜いていた、と言うほうが正しい。彼は今までマリオンを挑発し、戦って弄ぶことに終始してきた。彼は一度も本気を出していない、とマリオンは感じていた。
セルブラントの魔力の気配は、かなり濃く強い。しかも、それは負の気配だ。典型的な黒魔術師と呼んでもいいのかもしれない。竜がもし目覚めていたならば、彼がこの神殿へ足を踏み入れること自体、簡単なことではないだろう。踏み入れたが最後、白竜との壮絶な死闘が繰り広げられたはずだ。
「もっと余裕があったら、とっとと竜を目覚めさせて、セルブラントと戦わせたのだけど」
しかし、その余裕はどこにもなかった。そもそも自分が竜を、封印から解放することができるのかすらおぼつかない。そんなことを考えながら何度か打ちあううちに、一瞬の隙をついてセルブラントの戦斧が、マリオンの左肩をしたたかに切り裂いた。マリオンの着ていた白の上着が、みるみるうちに首のストールと同じ鮮やかな緋色に染まっていく。
「これで条件は一緒だな」
マリオンが痺れるような痛みをおくびにも出さず、にっと笑った。
「俺とお前じゃ、元々の条件が違ってるぜ」
珍しく真顔でセルブラントが応じた。
「いいや、一緒さ。君と僕はそっくり、なんだろう?」
何度も自分が言い続けた台詞をマリオンが口にすると、なぜかセルブラントは激怒したように見えた。頬にさっと朱が走り、噛み締めた唇からぎりぎりという歯軋りの音が聞こえるようだ
「喰らってやる!」
セルブラントは、その手の戦斧を無造作に投げ捨てた。
マリオンがその隙にと、打ちかかるのを見越してか、すかさずセルブラントの口から防御の呪文が流れる。マリオンの渾身の一撃は、その防御壁によってさえぎられ、弾かれた。
両腕を広げ、血の滴る胸をそらした姿勢のまま、セルブラントが吼えた。
「来い! マリオン。お前を喰らうてやろうぞ」
彼の胸から滴り落ちる血が、赤黒い邪悪な顔を持った数十本の触手に変わった。それらは長く伸びあがり、自由自在に地を這い空中を飛び回ると、マリオンの全身に執拗に絡みつき始めた。
マリオンも戦斧で叩き斬ろうとするが、触手は斬られても斬られてもすぐに復元され、再び絡みつき始める。中にはさきほど斬られた左肩の傷口へ潜りこもうとしているものをあって、その顔がいやらしい長い舌で彼の血を啜る感覚にマリオンは顔を盛大にしかめた。
「このままでは、本当に奴に身体をのっとられてしまう」
やがて、戦斧も、触手に絡み取られてしまった。
「そうか、奴の血が流れているうちは、だめなんだ」
マリオンの口の中へ入り込もうときつく首に絡みついてくる触手を、左手で引き剥がしながら、何とかして右手を自由に動かせるように身体を回転させた。やがて苦労の末に右手をセルブラントのほうへかざすと、マリオンは意外な呪文を口にした。それは「癒し(ヒーリング)」の魔法だった。
その癒しの魔法の柔らかな光は、セルブラントの胸の傷口をみるみるうちにふさいでいく。思ったとおり、それに伴って赤黒い血の触手は、どんどん力を失っていった。セルブラントが薄笑いを浮かべた。
「これはまた、ずいぶんとご親切なことを」
マリオンが触手を引き剥がし始めると同時に、セルブラントの右手から血色の炎があがった。
「我が血に染まれ、マリオン!」
マリオンの呪文がそれに応じる。
「水よ! 流れる水よ! 我が力の及ぶ限り、汝が流れを永遠に宙にとどめよ!」
セルブラントの右手から吹き上がった炎は、そのままの形でそこへとどまった。セルブラントはそれをあっけにとられたように一瞬だけ見つめ、憎々しげに吐き捨てた。
「貴様! 水の魔術師だったか!」
(※魔術師の属性には、水、風、土、火とあって生まれつきどれかと相性がよい)
「どうやら君は肝心なことを知らなかったらしいな。そう、僕の属性は水。その炎は 一見火に見えるけど、実際のところは君の血液、だろう? 血は水とおなじ液体だから、僕には流れを止められる。さっきの触手にも、そうすればよかったんだ。気が付くのが遅すぎたよ」
それからマリオンは、にっこり笑った。
「早く術を解かないと、君の血の巡りがますます悪くなるよ?」
セルブラントは、怒りに眦を吊り上げて、無言のまま右のこぶしでどんと自分の胸をひとつ叩いた。同時に吹き上がったまま固定されていた炎が、しゅっと音を立てて消えていく。
その炎がすっかり消えてしまう前に、代わりにマリオンの手から青い炎が噴きだした。それはみるみるうちに巨大な半透明の蒼い竜へと変わる。竜は天井高く舞い上がり、やがてセルブラントへ向かって急降下してきた。
「二度も同じ手を食うかっ!」
セルブラントがその竜へ目もくれず、広間の床に右手を打ち付けると鮮やかな血の色の魔方陣が彼の周りに大きく描かれた。その魔方陣からは、火柱が何本も高く噴き上がった。炎はまるで生き物のようにうねり、大きな口をあけ威嚇するマリオンの蒼い竜を焦がしていく。大量の水と炎がぶつかり合って、しゅぅっという鋭い音と共に水蒸気が盛大にあがった。そのために広間の中は、まるで霧でもかかったように霞み始めている。
「君の属性は火なのか」
マリオンの指摘に、セルブラントが嘲笑った。
「俺に属性などない。貴様が水だから炎を使ったまで」
言いながら、セルブラントが両手のひらをぱんと音を立ててあわせてゆっくりと開いていくと、その中から禍々しい刃を持つ黒い剣が姿を現した。
「なぜ、ここへ女たちを三人、集めたのか知りたいか? マリオン」
「なに?!」
「なぜ、グロリアをわざわざここへ連れてきたのか、お前は不審に思わなかったのか? と、聞いているんだ」
「・・・・・・何が言いたいっ?!」
セルブラントは目を細め、右手の剣を口元に持っていくと、赤い舌でその刃先をゆっくりと舐めた。
「聖杯はそれぞれ四つの大陸を制している、とされている。四つ、は方位も表す。それぞれに黒、赤、白、青の四つの色を持つ聖杯だ」
「・・・・・・? まさか?」
「白の封印は、むずかしい。まして白を白で封印することは、困難を極める。ならば・・・・・・」
話の成り行きに眉をひそめたマリオンの鋭い声が飛ぶ。
「セルブラント、まさかお前は、血の封印をほどこそうとしているのではないだろうな?」
セルブラントは眉を上げ、口元に嘲笑を浮かべた。
「おーやおや、その口ぶりは、非難してるのか? お前の役に立ってやろうと思ったんだが? 封印は、別に白の封印でなくてもいいだろう? 四人の女たちがいれば、封印はしやすいはずさ。アニスは黒、グロリアは赤、ラヴィーニアは青。そして、白は」
そこで、セルブラントは、思わせぶりに言葉を切ると、神殿を顎で指し示した。
「シルヴァーナ、というわけだ」
そういうことか、とマリオンは唇を噛んだ。
だが、それは僕が阻止する。自分なりの白の封印の方法を、マリオンはすでにひとつ、思いついていた。その方法であれば、誰も傷つかない。誰も犠牲になる必要がないのだ。ただし、その封印には、強大な魔力が必要であろう。今の自分にはその魔力が不足しているが、だからといって血の封印をほどこす気などない。
だいたいそれでは、なんのためにここへやってきたのかわからないではないか。自分はアニスとラヴィーニア、そしてシルヴァーナのために竜を解放し、再度の封印を試みようとしているのだ。もしかしたら、聖杯の封印を行うだけで、竜は封印すらしなくてもすむかもしれない。あとは、セルブラントの存在と、自分の中の魔力をうまく呼び覚ますことができるかどうかに全てがかかっている。
「君はいったいなんのためにここにいるんだ、セルブラント。君の目的がまったくわからないね」
問いかけるマリオンにセルブラントは、ふん、と鼻で嘲笑った。
「俺の目的はひとつさ。お前を喰らう。俺はマリオン・ローセングレーンとなる」
「じゃあ、なぜ、ここでなくてはならないんだ? それだけのことなら、別に地上でもよかっただろ?」
セルブラントは、かすかに眉間に皺を寄せた。
「どこでもいいんなら、ここでもいいだろう? 特に理由などないね」
マリオンは薄く笑いながら、目を細めた。
「そんなはずがあるか。ここは君にとって危険が大きいだけで、何もいいことなんてない。わざわざここに、僕との決戦の場を決める必要など、どこにもないだろ?」
「目覚めるのを、待っておる」
いきなり、考えてもいなかった方向から声があがり、二人はぎょっとしてそちらを見た。アニスだった。
「マリオン、お前が目覚めるのを待っておるのだ、セルブラントは」
セルブラントの顔が凶悪に歪んだ。
「やかましいぞ、占い婆めっ!」
アニスは、セルブラントのきついまなざしにもひるまず、淡々と言葉を続けた。
「魔力が大きければ大きいほど、そ奴にとって喰らいがいがあるはずだ。お前の本当の魔力を喰らおうとしているのだ。眠ったままの力は、喰ろうたところで奴のものにはなり得ぬのだろうさ」
「・・・・・・? 僕の魔力が強ければ、セルブラントが簡単に僕を喰えるはずがないだろう?」
マリオンの疑問にアニスは、小さくかぶりを振った。
「封印を解放するとき、お前は無防備だ。またここを封印し直すときもしかり。だからこそ、奴はお前を殺さぬ。お前を挑発し、怒らせ、意味もなく煽っておる。お前の力が解放されたとき、奴は負けたふりをして引き下がり、封印の機会を待つだろうさ。
血の封印など本気で考えているかどうか、怪しいものだ。放っておいても、お前の力と白竜と聖杯が、全て自分のものとなる。失敗したら、そのときは血の封印も考えるかもしれぬがの」
「アニス! そのおしゃべりな口を閉じろっ!」
セルブラントはそう叫ぶと跳躍し、黒い剣をアニスに向かって振り下ろそうとした。だが、その剣は、間一髪のところでマリオンが再び作り出した戦斧に阻まれた。
「落ち着けよ、セルブラント。その血ののぼり方自体が、今のアニスの言葉が本当だといってるようなものだろ?」
マリオンは、アニスたちの前に立ちはだかり戦斧を構えたまま、セルブラントへ邪気の無い笑みを浮かべて見せた。
もちろん、その微笑がセルブラントの怒りをあおらぬはずもなく、彼の赤い目は怒りに釣りあがり、マリオンに似た白い頬にさっと朱が走った。唇を噛み締めたセルブラントは、びゅっと音を立てて黒い剣を一振りし、マリオンの胸へ切っ先を向けた。
「ならば、よし! 皆殺しにしてくれる。血の海の中でみじめにのた打ち回れ、マリオン。今度は必ず、お前を殺す。竜の封印は、このまま放っておけば、いつかきっと崩壊するさ。崩壊するときには、強大な破壊の力も放出されることだろう。カデカミナ山脈は、きっと壊滅する。アウスディールもダゴスもラデインも、すべて巻き込まれることだろうよ。その時は、俺がお前を嘲笑うまで」
セルブラントの言葉は、たぶん嘘でも大げさでもない。マリオン自身、そのような事態が起こりかねないと考えていた。
『だからこそ、負けられない』
マリオンも戦斧を構える。さっき隙を見て軽い血止めだけをほどこした左の肩が、疼いている。動けばまた傷口が開いて、出血することだろう。この状態で、わずかでも勝てる可能性があるとすれば、セルブラントの隙をつくしかない。
「三人とも神殿のほうへ上がって行ってくれ」
マリオンは振り向かず、後ろにかばっていた三人の女たちに声をかけた。彼女たちが人質にでも取られたら、不利どころか勝機はまったく無くなってしまう。女たちの移動する足音を背中で聞きながら、マリオンは自分の心の中の魔法の灯火を意識した。
『大きくなれ。明るくなれ。解放されよ、我が魔力』
「来ないなら俺から行くぜ!」
セルブラントが一声叫ぶと、黒い剣をマリオンめがけて振り下ろした。戦斧で受けると、衝撃で青い火花が散った。
『さっきとはまるで比べ物にならない』
倍にも三倍にもなったような衝撃が、戦斧を通してマリオンの体中を駆け抜けた。ずきりと左肩が激しく痛んだ。このまま何度か受けてばかりいたのでは、戦斧が壊れて霧散してしまうばかりか、自分の身が危ない。
「グロリアっ! こいつは、ここの扉を抜けるとき、いったいなんと名乗ったっ?!」
神殿の柱の影で、他の二人をその背中にかばうようにしながら戦いを見守っていたグロリアが、唐突なマリオンの質問に驚いたように瞬きをした。
「お母様! 早く答えてあげて!」
とまどうグロリアに後ろからラヴィーニアが、必死の声をあげた。
「・・そう、確かノーボディと・・・・・・」
その答えに一瞬、マリオンの目が絶望に大きく開かれ、ひくりとセルブラントの口元が笑みの形にひきつれた。しかし、すかさず気を取り直したマリオンの口から、封じの呪文が流れる。
「・・・・・・彼の者、その真の名前は、ノーボディ・・・・・・。影となり光の呪縛を、光となりて闇の呪縛をその身に受け、我が虜囚となりて、我が呪縛に応じよ!」
「その呪文が俺に通じるかっ!」
案の定、セルブラントの哄笑があたりに響き渡る。懸念したとおり、封印がまるで効いていない。
「お前の今のその魔力で、俺の名前が封じられるわけがない。俺はノーボディ。誰でもない者」
マリオンは、くっと唇を噛み締めた。『セルブラント』であれば、完璧でないまでも動きが少しは封じられたものを、たとえそれが真の名であっても、「誰でもない者」を今の自分に封じられるのかどうか確かに怪しい。
「喰らえ! マリオン」
セルブラントが上段から、ぶんっと風車のようにうなりをあげてその黒い剣をふりおろした。
マリオンは、その剣の刃を避けて鮮やかに後ろへトンボを切った。しかし、その刃よりも、剣から吐き出された黒い瘴気が執拗にマリオンを襲う。瘴気はマリオンの左の肩口を斜めに切り裂き、さらにその身体を数十フィートも後ろへ弾き飛ばした。硬い石の床に激しく背中を打ちつけたマリオンの意識が、一瞬ふっと遠くなる。さっき受けた傷口がさらに深くえぐられ、かなりの量の血が白い床に流れ出している。しかも、その傷は黒い魔法による穢れたもので、じくじくと毒が滲み出ているような切り口だった。
セルブラントが再び楽しそうに笑い声を上げ、神殿のほうへ視線を向けた。
「もういい、お前などいらないさ。ゆっくりそこでおねんねしとけよ。これから俺は女たちをなぶり殺して楽しむことにするから。とどめは最後に刺してやろう」
「・・・・・・させない。そんなこと・・・・・・させるかっ!」
切り裂かれた肩口と身体のあちこちから血を流しながらも、よろよろとマリオンは起き上がった。
セルブラントが顔をしかめた。
「あの瘴気を喰らって、まだ起きられるのか? しぶとい奴だな」
セルブラントが、ふっとマリオンのほうを見たその時だった。黒い影が神殿の柱の影から走りこんできて、まるで疾風のようにセルブラントに思い切り突き当たった。




