第2話
あれだけ晴れ渡っていた空には、いつの間にか雲が広がり始めていた。なんとかアパートに帰り着いた早凪は、すぐにパソコンの電源を入れた。大学の授業でも使っている、あまり性能の良くないノートパソコンだ。
あの写真の青年……確か、長谷川トオルという名前だったか。極端に珍しいわけでもない、よくいる名前だ。普通に検索しても、同姓同名の人物が出てくるだけだろう。早凪は少し考え、「月雨」という大学名を添えて検索をかけた。
検索候補の上から2番目くらいに、「メンバー紹介」の文字と顔写真が表示された。間違いない。渡された写真の青年と同一人物だ。
紹介ページを開くと、「PRESSSTART」という文字をかたどったロゴがでかでかと現れた。位置から察するに、彼の所属するグループ名だろうか。ロゴのすぐそばに「アマチュアアイドル」の文字も見える。このサイトのチープなデザインから考えても、やはりプロのアイドルではないようだ。
その少し下には、「プレスタ、ライブお疲れ様でした!」と書かれた記事がある。その記事には、グループのメンバーであろう5人組の集合写真が添えられていた。
右から2番目に写っているのが、長谷川トオルだろう。彼と年齢も背格好もほとんど変わらないようなメンバーが並ぶ中、1人だけ早凪の目を引く人物がいた。
トオルの隣……一番右に、ひときわ背の高い青年が写っている。見た目からいって、遥希と同い年くらいか。ウェーブのかかったふわふわの髪に、ぱっちりとした目。可愛らしい顔立ちに似合わず、かなり筋肉がついていることが写真だけでも分かる。もし実際に会ったら、早凪など簡単にひねりつぶされてしまうだろう。
そこで早凪は我に返る。そうだ、今は他のメンバーのことを考えている場合じゃない。長谷川トオルの調査に専念しなくては。早凪は試しに、「活動予定」と書かれたボタンをクリックしてみた。
数秒経って、今後のライブや握手会などの予定がずらりと画面に並ぶ。見たところ学生が趣味でやっている活動のように思えるが、ずいぶんと本格的だ。ページの一番上に、太い文字で強調された予定を見つけた。
『13日(土)10:00〜 月雨総合ホールにて定期ライブ』
奇遇なことに、来週の土曜日だった。会場も近所の小さなホールだ。早凪はさっそくスケジュール帳を開き、予定を確認する。13日の午前中は……ちょうど空いていた。
『お前に拒否権はない』
『どうなるか分かってるな?』
思い出したくもない兄の声が、脳内で反響する。早凪はため息をつくと、スケジュール帳の日付に大きく丸印を書き込んだ。そして忘れないうちに、サイトの一番下に置かれていた「ネット予約」のボタンを押した。
モヤモヤした心は晴れないまま、ライブ当日を迎えた。早凪は余裕を持って、開場時刻より早めに到着した。チケット代は無料だと聞いて驚いたが、余計な出費を抑えられるのは素直に助かる。
ほぼ形だけのチケットとパンフレットを受け取り、会場に入る。客席にはすでに、アマチュアのライブとは思えないほど多くの観客が座っていた。若い女性が比較的多いが、小さな子供を連れた母親や作業着を着た中年男性まで、いろいろな人がいた。
早凪はとりあえず、空いていた端の席に腰を下ろした。それからしばらく待っていると、突然会場全体が暗くなった。早凪はライブなどの経験があまりないので分からないが、周りの観客たちのざわめきで、今から始まるのだろうと予測がついた。
「どうもー! 今日は『プレスタ』のライブ、楽しんでいってな!」
元気な挨拶とともに、メンバーの1人が姿を現す。その瞬間、客席から黄色い歓声が上がった。ぴょこんと外側に跳ねた髪が特徴的なそのメンバーは、爽やかな笑顔で手を挙げる。どうやら他の観客たちの多くは、彼目当てで観に来たらしい。
外ハネの青年に続いて、他のメンバーたちも次々とステージに並ぶ。早凪は急いで、手に持っていたパンフレットを確認した。左から順番に、1人ずつ写真と見比べていく。
一番左のメンバーは、落ち着きなく自身の前髪をいじっている。緊張しているのか、少し表情が硬い。
左から2番目のメンバーは、何もない一点をぼんやりと眺めている。このライブに興味がないと言わんばかりに、気だるげに立っていた。
中央にいるのは、先程の外ハネの青年だ。よく見ると、びっくりするほど整った顔立ちをしている。その佇まいには、確かにアイドルらしい華やかさがあった。
右から2番目のメンバーに目をやる。外ハネの青年が隣にいるせいで少々目立ちにくいが、彼も一般的に見れば十分に恵まれた容姿をしていた。早凪は手元のパンフレットと彼を何度も見比べる。彼こそが、探していた長谷川トオルだった。
早凪はそのまま、なんとなく右側に視線を移す。そこに立っていたのは、あの時の写真に写っていた背の高い青年だった。早凪が右端の席に座っているせいか、妙に距離が近く感じられる。
その時、背の高い青年と目が合った。その真っ直ぐな視線に射抜かれたように、身体が動かせなくなる。彼は数秒早凪の目を見つめると、柔らかく微笑んで手を振った。
冷えきっていた心の奥が、じんわりと温かくなる。それは早凪が、今まで決して向けられたことのなかった笑顔だった。




