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第15話(最終話)

 ひたすら走り続けてたどり着いたのは、月雨(つきさめ)中央公園……かつて桜太郎(さくたろう)と2人きりで話した時の、あの公園だった。早凪(さなぎ)は足を止め、澄み切った空気を胸いっぱいに吸い込む。さらさらと木の葉の触れ合う音が聞こえた。


 繋がれていた手が解かれる。次の瞬間、早凪は抱きしめられていた。感じたことのない温もりと解放された安心感に、思わず涙腺がゆるむ。自分の意思とは関係なく、目頭が熱くなってくる。


「……っ……ごめんなさい……」


 ぷつんと糸が切れたように、次から次へと感情があふれて止まらない。ぼろぼろと涙を流しながら、早凪は繰り返し謝った。でも生まれて初めて、思いっきり泣くことができた気がした。


「謝らないで。謝らなきゃいけないのは、僕のほうだよ」


 桜太郎はいつもの優しい声で、ささやくように言った。彼が謝る必要なんてどこにもないのに。そういうところは、出会ったあの時からずっと変わらない。こみ上げてくる愛おしさを、早凪は声に出していた。


「桜太郎さん……好き、です」


「ふふっ、聞こえてたよ」


 そういえば、つい先ほど確かに言った。それも、かなり大きな声で。あまりの恥ずかしさといたたまれなさに、早凪は全身が熱を持つのを感じた。


「でも……本当は、僕に一番最初に言ってほしかったな」


 桜太郎は少し寂しそうに笑った。彼はいったん抱きしめていた腕を離す。早凪の右手を包み込むように握り、真っすぐに目を見て言い切った。


「早凪ちゃんのことは、僕が守るよ。これからもずっと」


 胸の奥が熱くなる。それは、早凪にとってこの上ない返事だった。早凪もまた、桜太郎を守れるような存在でいたい。そしていつかは、胸を張って桜太郎の隣を歩けるようになりたい。素直にそう思えた。


 その時。近くに人の気配を感じ、早凪は反射的に桜太郎から離れた。周囲を見回すと、女性の2人連れがこちらに歩いてくるのが見えた。(つかさ)と、もう1人は……


「……母さん!!」


 気づいた早凪はすぐに駆け寄る。その後司から、一連の事情を教えてもらった。ささいなことで父の機嫌を損ねた母は、家を追い出されてしまったらしい。家に帰ることすらも許されず、法律事務所近くの道をふらふらと歩いていたところを、司に保護されたという。


「早凪。今まで騙していてすまなかった」


 司は早凪に向かって、深々と頭を下げた。早凪は騙されていたなんて微塵も思わない。むしろ、母を助けてくれたことに深く感謝している。


「こんなことをしても、到底罪滅ぼしにはならないが……それでも貴様のために力を尽くしたい」


 折れてしまいそうなほどに頭を下げたまま、司は言った。どんなに素晴らしい行いをしても、罪が消えてなくなることはない。彼女の罪滅ぼしは、きっと一生続くのだろう。


 早凪は加害者のその後の人生のことなんて、今まで一度も考えたことがなかった。犯罪者を絶対的な悪だと決めつけて、無意識のうちに偏った見方をしてしまっていた。司と出会ったことで、早凪もまた知る機会を得られたのだ。


「早凪……元気そうで、よかった……」


 母は震える声で、早凪の名を呼んだ。早凪が家を出てから、長い間ずっと会えていなかった。最後に会った時と比べて、少し痩せたような気がする。でも、確かに今ここにいる。生きている。それが何よりも嬉しい。


「ずっと渡せなかったんだけどね、これ」


 母は早凪に、ずっと持ち歩いていたらしい1通の手紙を渡した。丸いシールで封がされた、真っ白な封筒だ。封筒には、ところどころ猫やてんとう虫などの可愛らしいイラストが描かれていた。その絵の優しいタッチには、確かに見覚えがあった。


 ……まさか。早凪は急いで封筒を裏返してみる。知らない街の住所が書かれている。隣の差出人の欄には、紛れもなくあの友人の名前があった。


 その懐かしい文字の並びが、みるみるうちに涙でにじんでゆく。今の自分の顔は、きっと涙でぐちゃぐちゃになっているだろう。もしも、もしも彼女が早凪のことを許してくれるのなら。いつか、また会えるだろうか。


 早凪と桜太郎は、再び手を繋いで歩き出す。まだ、解決しなければならない問題がいくつも残っている。でも、もう怖くない。桜太郎と一緒なら、どこまでも行けそうな気がする。


 ふと、一輪の花が早凪の目に留まる。道の隅に咲いた、名前も知らない花。花は生まれる場所を選べない。雨に打たれても踏みつぶされても、ただ耐えるしかない。それでも困難を乗り越えて、また何度でも咲く。


 その花は、幸せそうに風に揺れていた。


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