第14話
「さあ答えろ、早凪」
桜太郎を捨てるか、水無月家を捨てるか……
自分の選択で、全てが決まる。しかしどちらを選んでも、大切な人が犠牲になってしまう。考え抜いた末に、早凪は口を開いた。
「私は、桜太郎さんのことが……好き」
そう言葉にしてみると、胸のつかえが取れたようなすっきりとした気持ちになれた。
「でも……母さんのことも、必ず助け出してみせる」
真っすぐ前を向いたまま、早凪は言い切る。妹が悩んだ末に出した答えを聞いた遥希は、呆れたと言わんばかりに肩をすくめた。
「お前はどこまで愚かなんだ」
愚かでもいい。弱くてもいい。もう、自分の気持ちに嘘はつきたくない。
「兄さんだって、カリンさんのこと……」
「…………っ!」
カリンの名前を出した瞬間、遥希の表情から普段の冷酷さが消えた。その反応を見て、早凪の中の疑惑は確信に変わる。
「バカ言うな。あんなやつ、家が金持ちだから付き合ってやっただけだ」
遥希は取り繕うようにそう言ったものの、動揺が隠しきれていないのが分かる。その余裕のない表情を見れば、それだけが理由ではないことは明らかだった。
「諦めろ。お前は、家の権力なしじゃ生きられない」
幼い頃から、幾度となくかけられてきた言葉。早凪の意思を奪う、呪いの言葉。自分の意思を持つことなんて、許されないと思っていた。でも、もう惑わされたりしない。
「自分の進む道は、自分で決める」
早凪はカバンに手を伸ばした。そこにあるのは、花の飾りがついたヘアピン……あの時桜太郎からもらったものだった。早凪はそれを取り出し、自らの前髪につけた。不思議と、身体の底から勇気がわいてくる。
今までの自分だったら、きっと諦めていただろう。でも、今は違う。桜太郎が教えてくれた。自分はもう、ひとりじゃない。
「私は……もう、あなたの言いなりにはならない!!」
早凪は声を裏返らせながら、力の限り叫んだ。
遥希は失望したように目を伏せる。決して逆らわないはずの便利な手駒が、無謀にも自分に反抗した。ならば、次にすることは1つ。遥希は早凪に向かって、思いっきり拳を振り上げた。
……殴られる!
早凪は反射的に目をつぶった。しかし、頬への衝撃がなかなか訪れない。違和感を覚えた早凪はそっと目を開ける。振り上げられたはずの遥希の拳は、何者かに押さえつけられていた。
「人の家族のことに口出ししちゃダメだって思って、今まで何も言わなかったけど」
聞こえるはずのない声が、早凪の鼓膜を震わせる。突然腕を掴まれた遥希は、身動きが取れずにいるようだった。早凪は声のする方向をたどって、ゆっくりと顔を上げる。
「これ以上早凪ちゃんを傷つけるなら……僕は、君を許さない」
今まで見たことがないほど険しい表情を浮かべながら、桜太郎は押さえつけた腕にさらに力を込めた。その声には珍しく、抑えきれない怒りがにじんでいた。
その時、早凪の背後から2人分の足音が聞こえてきた。それを聞いて、桜太郎は掴んでいた手を離す。遥希はバランスを崩し、アスファルトの上に倒れ込んだ。
「あなたが向き合うべき相手はこっちですよ、水無月遥希さん」
手に書類のようなものを持って現れたのは、トオルだった。彼はスカーフの乱れを丁寧に直すと、遥希のほうに向き直った。
「証拠は揃っています。早凪さんにしてきたことの報いを、受けていただきますわ」
トオルの後ろから姿を現したのは、カリンだ。遥希を見下ろす彼女の視線には、どこか哀れみの感情さえ感じられた。
「…………カリン……」
彼のものとは思えない弱々しい声で、遥希はその名を呼ぶ。ぽかんと口を開けたまま、ただカリンだけを見つめ続ける。兄のそんな顔を、早凪は初めて見た。早凪も桜太郎もトオルも、もはや彼の眼中にはないようだった。
確かに最初は、お金や家柄が目的だったかもしれない。だが一緒に過ごすうちに、いつしか特別な感情が芽生えていたのではないか。だから、どんな手を使ってもトオルとカリンを別れさせようとした。カリンを再び自分のものにするために。
早凪には分かる。気持ちの伝え方は間違っていたが……この人もまた、恋をしていた。
「桜太郎さん、早凪さん。ここは僕に任せて、行ってください」
「でも……」
トオルたちに危害を加えるかもしれない遥希を残して、この場を離れるなんて。そんな早凪の懸念を振り払うように、トオルは力強くうなずいた。
「ありがとう、トオルくん」
桜太郎はそう言うと、ふわりと微笑んで手を差し伸べた。初めて出会ったあの日と同じ、あたたかくて優しい笑顔。早凪は迷わずその手を取った。ずっと夢に見てきた、その温もりを手のひらに感じる。早凪たちはしっかりと手を繋いだまま、走り出した。柔らかい風が、2人の背中を押すように吹き抜けていった。




