第13話(桜太郎視点)
早凪に別れを告げたあの日から、どれだけの時間が流れただろう。桜太郎はなんとかして、元の生活に戻ろうと努力した。早凪に出会う前の、いつも通りの日常に。当然、そんなことができるはずもなかった。
早凪がいなくなってから、桜太郎の世界は変わってしまった。彼女と一緒にいた頃は、目に映るもの全てが輝いて見えたものだった。あんなに美しくきらめいていた景色が、今ではすっかり色あせてしまったように思える。桜太郎の中で早凪の存在がどれだけ大きなものになっていたか、嫌というほど実感させられた。
ある日の練習後。他のメンバーたちが全員帰宅した後も、桜太郎は休憩スペースの椅子に座ってぼーっと壁を眺めていた。その時ふと、背後に人の気配を感じた。
足音で分かる。司だ。彼女は、手に何かを持っているようだった。ビニール袋の擦れるカサカサという音が聞こえてくる。
「僕、もう怒ってないから。持ってこなくてもいいって言ったよね?」
桜太郎は振り返ることもなく言った。司は何も言わず、ビニール袋を桜太郎のそばに置いた。ほんのりと甘い香りがするから、また洋菓子か何かだろう。
あの事件の日から、司はずっと自分を責めてばかりいる。自分のせいで、桜太郎の人生を台無しにしてしまったと思っているのだろう。事件から5年が経つ現在でも、彼女はこうして桜太郎への差し入れを続けていた。自分が犯した罪を償うために。
「早凪はどうした」
「あの子は……もう、ここには来ないよ」
桜太郎は静かに、しかしきっぱりと言い切った。司がごくりと息をのむ音が、かすかに聞こえた気がした。
「僕なんかに……あの子の隣にいる資格はないんだ」
桜太郎は力なくつぶやいた。自分はもう、二度と早凪に会ってはいけない。自分と一緒にいるだけで、彼女は深く傷ついてしまう。桜太郎にとって、それは何よりも耐えがたいことだった。
早凪は、犯罪者を何よりも憎んでいる。桜太郎と関わりたくないと思うのも、当たり前のことだ。彼女の心を守るためには、自分が離れるしかなかった。これでよかったんだ。桜太郎は必死に、自分にそう言い聞かせる。
「言ったはずだ。あの事件は、俺様が勝手に起こしたことだ。貴様は関係ない」
司は落ち着いた声で言った。きっと、不器用な彼女なりの励ましだろう。罪は全て自分が背負うから、桜太郎は自由に生きてほしい。早凪のもとに行きたいなら行ってほしい。そう言っているのだ。
「でも僕は、長男だから……みんなを守らなきゃ。司ちゃんのことだって、僕が支えてあげなきゃ……」
桜太郎は独り言のようにそう繰り返す。早凪のことを諦めて、家族とともに生きる。桜太郎にはもう、その道しか残っていない。もし自分がいなくなったら、誰が家族を守る?
あれこれと言い訳を並べ続ける桜太郎を見て、司は眉間にしわを寄せた。
「自惚れるなよ。俺様は、貴様の助けなどなくても生きていける」
いつもの尊大な口調で、司は言った。強がっているような言い方だが、どこか本来の威勢のよさを取り戻しつつあるようにも見えた。
「だが……あいつには、貴様が必要だろう」
「…………!」
その言葉を聞いて、桜太郎は目が覚めた。自分は今まで、何を思い悩んでいたんだろう。早凪の気持ちを勝手に決めつけて、彼女自身の言葉を聴こうとしていなかった。早凪を守るためだと理由をつけて、自分の気持ちと向き合うことから逃げていた。
それなら今、自分がやるべきことは決まっている。
「ありがとう、司ちゃん。行ってくる!」
桜太郎は荷物をまとめ、立ち上がる。不思議と、さっきよりも身体が軽く感じられた。足取りも軽く、出口に向かって歩き出す。先ほどまでのもやがかかっていた心が嘘のように、晴れやかな気分だった。
「おい、どこに行く気だ!?」
背後から司の声が聞こえたが、桜太郎は振り返らなかった。




