第12話
桜太郎から連絡が来ない。あの日以来、ずっとだ。
早凪は携帯の通知欄を確認する。何度見ても同じだ。新着メッセージは……ない。こちらからメッセージを送っても既読すらつかないのだから、当たり前だ。
早凪が何かまずいことをしてしまったのか。桜太郎の心を壊すようなことを言ってしまったのか。今となっては確かめようもない。一度壊れてしまった心は、二度と元に戻ることはない。早凪はそれを痛いほど知っていた。
早凪の脳裏に蘇ってきたのは、中学時代の記憶だ。自分のせいで、また大切な人を失ってしまった。胸が引き裂かれたようにズキズキと痛む。心にぽっかりと空いた穴は、到底埋められそうになかった。
今まで練習を見学していた時間帯を狙って、スタジオに行ってみる。分かってはいたが、もちろん桜太郎の姿はなかった。早凪は重い足取りで帰路についた。ふと、街路樹の陰に誰かが立っているのに気づく。
「よう、お嬢ちゃん」
声の主……悠之助はヘッドホンを首にかけながら、こちらに向かって軽く右手を挙げた。早凪は聞こえないふりをして通り過ぎようとした。
「……『真実』を知りたいかい」
その言葉に、早凪は思わず立ち止まる。悠之助は不敵な笑みを浮かべたまま、早凪の返事を待っていた。もしかして、桜太郎からの連絡が途絶えた原因について、何か知っているのか。藁にもすがる思いで、早凪は頼み込んだ。
「教えて……ください」
「お安い御用だ。ついて来な」
再びヘッドホンをつけ直して、悠之助は歩き出す。数メートルの距離を保ったまま、早凪は黙って後ろをついて行った。
10分ほど歩いて到着したのは、大きな図書館だった。悠之助に言われるままに、早凪は学習スペースの隅で待機した。しばらくして、悠之助は新聞紙を持って戻ってきた。早凪にも見えるように、それを机の上に広げてみせる。悠之助はある記事を指さし、読むように促した。
『月雨南高校の女子生徒(18)、クラスメイトの男子生徒に暴行の疑いで逮捕』
印刷された日付は、5年も前のものだった。月雨南高校といえば、県内でも有数の進学校だ。そんな優等生ばかりの学校で、暴力事件が起きていたなんて。
「当時は未成年だったから、実名は出てねえけどよ。誰のことだと思う?」
静かな図書館の中ということもあり、悠之助は声を抑えながら問いかけた。誰のことだろう。しばらく考えて、早凪は絶望的な結論にたどり着く。
そんな……まさか。
「…………司さん、ですか?」
「ああ。成績が悪いのをバカにされて、カッとなって殴っちまったんだと」
悠之助は至って冷静に言った。現実を受け入れられない早凪は、ただぼーっと聞いていることしかできなかった。
「なんとか前科は免れたからよかったものの……あいつのせいで、うちの一族は散々さ」
悠之助が「希堂家には関わらないほうがいい」と警告した理由を、早凪はようやく理解した。それは、希堂家から犯罪者が出ていたからだったのだ。
「あの事件があった頃、桜太郎は就職活動の真っ最中だった。あいつは進学はおろか、就職先すらまともに選べなかったんだ」
桜太郎は練習が終わった後、その日職場であったことを楽しそうに話していたことを思い出す。もし事件が起こらなければ、彼は今とは全く別の仕事に就いていたのだろうか。
「伯父の……うちの親父のツテで、2人ともなんとか就職は決まったけどな。司は、今でも自分を責め続けてる」
早凪の中で、今までの出来事が繋がっていく。司が桜太郎のもとに通っていた理由。彼女が医学部に進学できなかった理由。何も知らなかった自分を、早凪は心の底から恥じた。
「『犯罪者を庇った人も犯罪者』……だったか」
悠之助が口にした言葉に、一瞬呼吸が止まった。かつて早凪自身が発した言葉。それが今は、鋭い棘となって早凪の全身に突き刺さる。
「その理屈なら、桜太郎は大犯罪者だな」
自分は、なんてひどいことを言ってしまったのだろう。早凪の不用意な発言が、桜太郎の心を深く傷つけてしまった。今の早凪の痛みなどとは比べ物にならないほどの心の痛みを、桜太郎はあの時感じていたのだ。
でも……今ならまだ、間に合うかもしれない。落ち込んでいる暇はない。今からでも桜太郎に会って、謝らないと。ちゃんと真正面から話さないと。もう、同じ過ちは繰り返さない。
「……ありがとうございました。失礼します」
早凪はそれだけ伝えると、悠之助の返事も待たずに走り出した。そのまま図書館を出て、桜太郎がどこにいるかも分からないというのに、ひたすら走り続ける。息が苦しくなってきたその時、冷たい声に呼び止められた。
「早凪」
視線を移した先には、腕組みをした遥希がいた。直接顔を合わせたのは、ずいぶん久しぶりのような気がする。
「お前、希堂家の人間と仲良くしてるらしいな」
遥希は、相変わらず感情のこもっていない声でそう言った。「希堂家の人間」が桜太郎のことを指しているのは、なんとなく分かった。
「これ以上そいつと関わると、親父やオレの評判にも傷がつく」
遥希が言おうとしていることは分かる。希堂家は「犯罪者の家」だから。それは違う、と早凪は言おうとした。しかし、できなかった。5年前に司が逮捕されたことは、紛れもない事実だからだ。
「最後のチャンスをやる。そいつを捨てるか、水無月の家を捨てるか。お前に残された選択肢はそれだけだ」
桜太郎を捨てるなんて、できるわけがない。でも、家を出ることもできない。仮に早凪が家を捨てて逃げ出したりしたら、次に標的になるのは母だ。父と遥希からの暴力を一身に受けて、無事でいられる可能性は限りなくゼロに近い。
一体、どうすればいい……
早凪は答えを出すことができなかった。




