第1話
愛される価値のない自分を、愛してくれる人に出会った。手を差し伸べてくれる人を、ずっとずっと探していた。でも……きっと、出会うべきじゃなかった。こんな自分に、愛される資格なんてないのだから。
全ての始まりは、1本の電話だった。
嫌になるほど晴れ渡った、ある休日の午後のことだ。決して綺麗とは言いがたいアパートの一室。早凪はひとり寂しく、遅めの昼食を用意しているところだった。
突如鳴り響いたけたたましい電子音に、思わず飛び退く。無機質に光る液晶には、「水無月遥希」という文字が映し出されていた。見るだけでも忌まわしい、兄の名だ。
「……もしもし」
『早凪。お前に話がある』
その冷えきった声からは、妹に対する親愛の情といったものは一切感じられなかった。絶対に電話口だけで用件を済ませようとしないその態度も、何だか気にくわなかった。
『今すぐ来い。来ないとどうなるか、分かってるな?』
こちらに選択の余地はないと言わんばかりのその言い方に、身体がこわばる。息を吸うことすら上手くできない。早凪は当たり障りない肯定の返事だけを残して、そっと電話を切った。
重い足取りで、指定された飲食店に入る。その辺のファミレスなどではなく、値の張るメニューばかりを扱うカフェを指定してくるあたりが妙に遥希らしかった。よくあるチェーン店で食事をしている自分の姿など、誰にも見られたくないのだろう。
奥の2人がけの席に、遥希の姿が見えた。見たところ、若干機嫌が悪いようだ。無意識に兄の顔色をうかがってしまう自分に、心底嫌気がさす。早凪は軽く頭を下げ、向かいの席に座った。
「兄さん、話って一体……」
早凪の問いかけには答えず、遥希はカバンから何かを取り出す。テーブルの上を滑らせるように、それをこちらに差し出した。
「この男について調査しろ」
それは、1枚の写真だった。アイドルのような衣装を身にまとった青年が、穏やかな笑みを浮かべている写真だ。早凪もあまり詳しくはないが、いわゆるブロマイドというやつだろうか。とてもじゃないが、遥希がこういうものに興味を持つようには思えなかった。
「えっと、これ……」
これは誰、と早凪が尋ねるより先に、遥希は口を開いた。
「名前は長谷川トオル。お前と同じ、国立月雨大学の2年生だ」
早凪はまじまじと写真の中の青年を見つめる。こちらに向かって手を挙げているその様子はいかにもアイドルといった感じだ。しかしいつもテレビで見る芸能人と比べると、正直に言って地味だった。おそらくアイドルといっても、プロとしてやっているわけではないのだろう。
遥希の意図が分からず、早凪は困惑する。断ったらろくなことにならないと知っていつつも、早凪はやんわりと拒否しようとした。
「そんな、いきなり言われても……」
その瞬間聞こえた大きな音に、心臓が止まりそうになる。遥希がテーブルを叩いたのだと理解するまでに、そう時間はかからなかった。生意気にも抵抗を試みた妹に腹を立てたのか、遥希は鋭い目つきで早凪を睨みつけた。
「お前に拒否権はない。いいから早く行け」
威圧的な声色でそう言われてしまうと、それ以上話す気にもなれなかった。早凪は深々と頭を下げ、写真をカバンに入れて席を立った。歩き出したその時、背後からつぶやくような声がした。
「ったく、お前みたいな女が妹ってだけでも恥ずかしいのに……」
早凪は振り返らなかった。遥希から見えないように唇を噛みしめながら、店を後にする。飲食の代金は、結局全て早凪が支払うことになった。




