第七話 静寂
地下室の錆びた扉が開く音。それはいつもより低く、重く響いた。
戻ってきたのは、一人分の足音。
「……思ったよりお早いご帰還だな。よくやった、忠犬」
俺は机に置いた安酒を煽りながら、入り口に立つ影に声をかけた。
既に黒蛇盗賊団崩壊の報せは全国を駆け巡っている。
国宝を狙った盗賊団『黒蛇』の一味。騎士団すら退けた難敵の壊滅という高難易度の依頼だったが、こいつなら絶対にやり遂げると信じていた。
だが、何かがおかしい。
「……」
忠犬はそこに立ち尽くしている。フードの奥の無表情はいつも通りのはずだが、その周囲を漂う空気は、墓穴のように淀んでいた。
なにか違和感がある。
――何かが足りない。
俺は無意識に、忠犬の背後の影を探していた。
「中抜きが酷い」だの「小鼠はやめろ」だの、あの耳障りで、それでいてこの昏い地下室を唯一生き返らせていた少女。
なぜかどこにも見当たらない。
「……おい。小鼠はどうした」
忠犬は答えない。
ただ、その拳が白くなるほど強く握りしめられているのが見えた。
なんだ、なんなんだその反応は…!
「……答えろ!!」
机を叩く音が響き、怒声が地下室の壁に跳ね返る。
俺自身、自分がなぜこれほど取り乱しているのか分からなかった。
「………」
返るべき言葉は、永遠に失われた。
返ってこないということは、そういうことだ。
裏社会の仲介人として、そんな「結末」は腐るほど見てきたはずだった。
「……そうか。……そういうことか」
俺は絞り出すように言い、椅子に深く背を預けた。
うっとうしいだけだと思っていたはずなのに。
あの少女と、議論にもならない口喧嘩をしている時間が、俺は決して嫌いではなかったらしい。
「……忠犬、お前が気に病む必要はない。俺たちはあの子を国へ帰そうとした。それを拒んで、お前の隣を選んだのは彼女自身だ」
「……」
「それに、この不条理な世界では人の命なんて、たかが知れている。……自分を責めるのはお門違いだ」
俺は自分に言い聞かせるように、ガラスのジョッキを一気に呷った。
アルコール度数の低い、不味いだけの安酒。
それが今は、ただの濁った冷水のように、何一つとして味を感じさせなかった。
喉を焼くアルコールの痛みだけが、今の俺にとって唯一確かな真実だった。
……無理にでも、彼女を獣人の国へ帰すべきだったか。
いや、今更考えても後の祭りでしかない。無意味だ。
鼠は蛇に喰われた。喰われてしまった。
――皮肉なものだ。
俺が悪かったのか、それともこのくそったれな世界が悪いのか。
きっとその両方なのだろう。
あの子に居場所を与えられなかったこの世界も、あの子を戦場に引きずり込んだ俺の手も、等しく汚れていて、等しく救いようがない。
「……静かだな」
俺の独り言に、返ってくる声はない。
勉強に飽きて退屈そうな声も、報酬の少なさに文句を言う声も、もうどこにも存在しない。
耳の奥に残っているのは、血の匂いの混じった、重苦しい静寂だけだ。
「……」
忠犬は相変わらず、何も言わなかった。
この地下室に満ちた、耳の奥が痛くなるような静寂が破られることは、もう二度となかった。




