第五話 教育
地下室の湿った空気に、微かな紙の匂いが混じる。
煤けたランプの光が、傷だらけの机の上に置かれた数枚の紙を照らしていた。
「いいか小鼠。忠犬は話さん。だから、お前が色々と忠犬の手助けをするんだ」
俺の声に対し、獣人の少女はムッとした顔で頬を膨らませた。
耳がピクリと立ち、ふさふさとした尻尾が不満げに揺れる。
「……小鼠はやめて。ネズミじゃないもん、リスの獣人だもん」
やれやれ、ネズミもリスもどちらも齧歯類で似たようなもんだろう。
俺は軽くため息をつき、無造作に紙束を広げた。
「とりあえず、言葉遣いからだ。それから文字の読み書き、最低限の計算も覚えてもらう」
「えー……」
「『えー』じゃない。これは仕事だ。お前が使い物にならなければ、次の依頼には出せない」
「御主人様と手合わせやりたいのに……」
その不貞腐れた態度を見ていると、やはりこいつは子供なのだと再確認する。
こんな子供を闇稼業に巻き込んで良いのか――。
ふと、喉の奥に苦いものがこみ上げる。だが、俺はそれを強引に紅茶で流し込んだ。
俺は何を犠牲にしても、必ず目的を果たすと誓ったはずだ。
「いいか、小鼠。これはお前のためじゃない。……忠犬のためだ。お前がヘマをすれば、あいつが死ぬ」
「……!」
少女の瞳が揺れた。
少しだけ潤んだ目に、固い決意が宿る。
(……やれやれ、単純な奴だ)
こんな見え透いた言い回しに、これほど鮮やかに乗せられるとは。
とはいえ、嘘ばかりでもない。
こいつが使えるようになれば、忠犬の生存率は上がる。
俺にとっても、これは必要な「投資」だ。
「じゃあ、まずは文字からだ。書き取り十枚分。終わるまでは飯抜きな」
「ええええええ!? ひどい!」
「遊びじゃないと言っただろ。ほら、鉛筆を動かせ。持ち方が違う、もっと力を抜け」
「……むううう」
そうして、地下室での作業が始まった。
案外、小鼠の呑み込みは悪くなかった。苦戦するかと思ったが、俺が教えることを驚くほど正確に吸収していく。
まるでスポンジのような吸収力でみるみる覚えていくので、教えてるこちらとしても小気味良い。
鉛筆を持つ小さな手元を見守りながら、俺はふと、自分の中に奇妙な既視感を覚えた。
それにしても、なぜ俺がこんなことを。
他に手の空いている奴に頼むべきだったが、あいにく、うちには文字の書き方も知らんような荒くれ者しかいない。
仕方ない。我が社は慢性的な人手不足なのだ。
初めて見る文字を、必死に紙に刻みつけている小鼠。
その様子を眺めながら、俺は自分でも気づかないほど小さな、穏やかな笑みを浮かべていた。
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