第十二話 共鳴
妻を森の見える丘に埋葬した。妻の故郷の丘だ。
華やかな葬礼などない。俺と、数人の雇い人と、そして遠くの木陰で見守る忠犬だけの、静かな別れだった。
忠犬は遠くから、じっとこちらを見ていた。
その視線には――哀悼だけではない、何か別の感情が混じっているように見えた。
まるで、自分の未来を見ているかのような。
数日後。俺は地下拠点で、溜まっていた事務作業を機械的にこなしていた。
もう、稼ぐ理由はない。だが、動いていなければ心が腐り落ちそうだった。
ふと、忠犬に渡してきた報酬の記録が目に留まった。
俺が仲介した外道の仕事で得た大金。
あいつはそれを、一度も贅沢に使った形跡がない。
――なぜだ?
妻の暗殺を拒否したあいつ。
葬儀で見せた、あの複雑な眼差し。
何かある。そう確信した俺は、仲介人としての伝手を使い、忠犬が金を流していた「先」を洗ってみた。
判明したのは、この街から遠く離れた別の療養所。
そこには、一人の少女が入院していた。
忠犬と同じ、深い夜のような色の髪を持った――彼の妹だ。
送金記録の備考欄には、聞き慣れた、そして憎たらしい薬の名が並んでいた。
俺が妻のために必死に掻き集めていたものと、全く同じ病……「不治の病」の延命薬だ。
「……そうか。お前も、だったのか」
背後に気配がした。
振り返ると、いつものようにフードを深く被った忠犬が立っていた。
あいつが「妻の暗殺」を放棄した理由。
あいつがどんな汚い仕事も黙々とこなしてきた理由。
すべてが、音を立てて繋がった。
俺たちは、同じ地獄の底で、同じ光を求めて泥を啜っていたのだ。
「お前が金を必要とする理由が、わかった」
忠犬はいつものように無表情だが、どこか緊張したような空気が流れた。
「病の妹のためだったか。俺と同じような理由だとはな。
……おまえも、か」
忠犬が小さく、本当に微かに頷いた。
俺は窓の外を見つめた。灰色の曇り空が限りなく広がっている。
「この病気は……妻と同じ病か?」
「……」
忠犬は静かに頷いた。
「おまえには信じられないだろうが……この病は、不治の病なんかじゃない。
俺の故郷なら……日本という場所なら、ただの薬で治せるはずのものなんだ」
忠犬が息を呑む気配がした。狂人の妄言だと思っただろうか。
「でもこの世界では不治の病でしかない。おかしいだろう」
「当然だ。国家や民族、種族同士が常に争い続け、富を独占するこの世界で、たかが一病にかける労力なんてない」
俺は拳を強く握りしめた。
「なぜ妻は死んだ?小鼠はなぜ孤児になった? 医療が、技術が、発展していないからか? ……いいや、違う。
……この世界そのものが、間違っているからだ」
俺はただの一般人で、なんの力も能力もなかった。
弱者に厳しいこの地獄のような世界で生きてこられたのは彼女がいたからだ。支えてくれたからだ。
彼女が俺を地獄から引き戻してくれた。
しかし、妻は病に侵されてしまった。医者は不治の病であると断定した。
残念ながら、俺はただの教師でしかなかった。物語の主人公のような特別な力も、医療や薬学の知識もなんの知識もなかった。何もできなかった。
俺は金を用意することにした。治る可能性を追い求めて。
結局、治りはしない。生きるのを長引かせてただ長く苦しめるだけ。
こいつの妹も同じ病のはずだ。
こいつだってそれはわかっているはず。
それなのに、なぜ。
「お前は、なぜそれでも依頼を受けている?」
「……」
忠犬は話さない。
それでも俺は、初めて一人の男として、目の前の男に問うた。
「なぜだ。救えないと分かっていて、なぜまだ手を汚す」
長い、長い沈黙が続いた。結局、忠犬が応えることはなかった。
だが、その沈黙は「諦めていない」という叫びのようにも聞こえた。
……答えは、俺の中にあった。
俺もまた、数日前までそうだったからだ。救えないと分かっていても、その一縷の望みを、薬の代金を、明日という時間を、汚れた金で買い叩き続けるしかなかった。
こいつは俺と同じだ。諦めきれなかった俺だ。
「……もう、仲介人としての依頼は終わりだ」
俺は立ち上がり、懐から、これまで貯め込んできた全財産の目録と依頼用の紙を取り出した。
「これは、本当に個人的な依頼だ――――」
俺は「仲介人」という立場を捨て、初めて忠犬に、個人として依頼をする。
依頼内容を聞いた忠犬は、少年のような驚いたような表情を浮かべた。
そんな顔は、初めて見たな。
「安心しろ、金ならある。今まで妻のために蓄えてきた、使い道のない大金がな」
「おまえには、この金が必要なはずだ。……すべての罪は、俺が被ろう」
俺は相棒の肩に手を置き、そのフードの奥にある瞳を真っ直ぐに見据えた。
「この間違った世界を変えるぞ、相棒」
世界への復讐を始めよう。
次回、最終話です。




