1-2 クズも存在しない
殺る気だな。
路上に立つ人間のシルエット、そのナイフを掴む右手が動いた瞬間、奴の殺気を感じた俺の身体が反射的に動いた。
まるで矢のような速さで近づいてくる鈍い光を放つナイフ。俺の心臓を狙っているようだが、いささか的外れだ。それを見る限り、プロの殺し屋ではなさそうだ。俺は、不思議と冷静に、奴のナイフによる突きを半身を引いてかわした。そのとき、一瞬、奴のナイフの動きが止まった。俺がナイフの突きをかわしたことで動揺したのだろう。
その瞬間を逃さなかった。
素早く奴の右手首を右手で掴むと、さらに左手で奴の右肘を掴んだ。そして、そのまま奴の右手首を力強く捻り、さらに右腕を捻り回してナイフの刃先を奴の左胸に向けた。奴の呻き声が聞こえた。
俺はナイフの刃先を奴の左胸に向けると、押し込むように近づけていく。
このまま奴の心臓を貫く。躊躇いは、ない。
奴は俺の意図を悟ったのだろう、必死に力を込め、ナイフを心臓に近づけまいと抵抗してきた。だが、俺にとって、それは子供の力に等しい。
徐々に、ナイフの刃先が奴の心臓に近づいていく。
「タスケテ······」
奴の口から片言の日本語が発せられた。それに反応するように、俺は奴の目を見つめた。その表情は薄暗いベールでよく分からないが、奴はどうやらアジア系の外国人のようだ。
「タスケテ、タスケテ」
奴の声は恐怖で震えていた。しかし、俺は力を緩めない。さらに、ナイフの刃先を奴の心臓に押し近づけていく。やがて、ナイフの刃先が奴の黒い衣服に触れた。
「救命啊!」
奴が叫んだ。同時に、俺もまた、これが最後とばかりにナイフを奴の心臓に押し込む。
俺は奴の心臓を冷たいナイフで貫いた。奴の胸が黒い血で染まっていく。他人の命を躊躇なく奪う奴の血でさえ生温かい。だが、すぐにその血だけでなく肉体そのものを冷たくしてやる。
奴が罪なき人々の肉体を冷たくしてきたように、今、俺はお前を社会から抹殺する。
俺は左手で奴の口を塞ぐと、断末魔の叫び声を封じた。数秒、奴の鼓動がナイフを通して伝わったあと、それは動きを止めた。
崩れ落ちていく奴の目は光を失ったまま見開いている。奴の死を見届けた俺は、ナイフが刺さったままの死体を突き放した。鈍い音がして路上に倒れる死体。
「たやすいものだ」
俺はコートのポケットから黒いハンカチを取り出すと、右手に付着した獣の血を拭った。そして、冷めつつある死体の上にそれを放った。
おそらく、奴の心臓に突き刺さっているナイフの柄には俺の指紋が残されているだろう。もしかしたら、この殺人さぎょうの目撃者がいるかもしれない。
だが、そんなことは問題にならない。なぜなら、俺は戸籍に無い人間。日本社会に存在していないからだ。
俺は、路上に横たわる強盗殺人犯の死体を見下ろしながら煙草を口にくわえた。そして、火をつける。
お前のように罪のない人々の命を奪ったクズに裁判など生ぬるい。
俺は大きく煙草を吸い込んだ。煙草の先端の赤い光が大きくなる。それを確認した直後、指先で弾くように火のついた煙草を死体に放った。
線香だ。
俺はコートの襟を立てると、死体に背を向けた。静寂に包まれた夜道をゆっくりと歩き始める。
駆除完了。




