1-1 俺は存在しない
社会のクズを駆除する男・鬼楽純。彼は法治国家の制約を受けずに正義を実行する。
(暴力·残酷·性描写あり)
自業自得だ。
俺は奴の心臓を冷たいナイフで貫いた。奴の胸が黒い血で染まっていく。他人の命を躊躇なく奪う奴の血でさえ生温かい。だが、すぐにその血だけでなく肉体そのものを冷たくしてやる。
奴が罪なき人々の肉体を冷たくしてきたように、今、俺はお前を社会から抹殺する。
夜、新宿歌舞伎町。
12月にもなれば、少しばかりのテキーラで暖めた身体など、BARを離れたとたんにすぐ冷える。
俺は、ひとり、黒いコートの襟を立て歌舞伎町の喧騒のなかを歩く。
俺の名前は、鬼楽純。
おそらく、30歳は過ぎている。というのは、俺には数年前までの記憶しかない。そして、戸籍すら無い。ただ、あるのは「鬼楽純」という日本人としての名前と、この屈強な肉体、そして「大量の金塊が眠る場所」の記憶だ。俺は、それら以外の「自分」を知らない。自分が何者であるのか分からないのだ。
ただ分かるのは、「俺は存在しない」ということだ。
夜、新宿歌舞伎町。
俺には眩しすぎるくらいの派手な色彩、輝きが夜の街を照らしている。それは、まるで人間世界の享楽と欲望、そして寂しさを映し出しているかのようだ。
新宿歌舞伎町のBAR『KOTORI』を離れ、歓楽街から遠ざかると、街は本来の静寂さを主張するようになる。聞こえるのは、住宅街の静寂さを刻む俺の靴音だけだ。
コツコツ······アスファルトに響く靴音が心地よい。
コツコツ、カサッ。
俺が奏でる心地よい靴音を邪魔する雑音が夜の闇に紛れ込んできた。
俺は足を止め、一瞬だけ息も止めた。眼球だけを右前方に向ける。白く冷えた街灯に照らされた灰色の電柱。その街区表示板には「戸山」という地名が確認できた。
そうか、戸山か。
俺は両耳に意識を集中した。些細な鼓膜の震えさえ見逃さないほどに。
ふっ、ふっ、ふ······。
息の漏れる微かな音が背後から鼓膜に届く。その微かな息づかいから、その主との距離を空間的に把握する。どうやら、その息づかいの主は、俺の背後2メートルほどの位置にいるらしい。
そんなに自分の悪事をアピールしたいのかよ。
俺は幾らか全身の力を抜きながら、ゆっくりと振り返った。すると、俺の正面2メートル先に黒い人影があった。
街灯の光の中に人型のシルエットだけが浮かび上がり、その表情は暗くて見えない。ただ、それは男であることだけは間違いなかった。
「誰だ」
俺は直感によって、奴の正体をすでに見抜いていた。しかし、不意の遭遇には、いちおう、順番というものがある。まずは奴の正体を問いただしてみる。
案の定、奴は何も答えない。その代わりに、奴は手にしている金属を俺に見せつけてきた。刃渡り15センチはありそうなナイフだ。未だに奴の表情は見えなかったが、ナイフだけは自らの存在をアピールするかのように煌めいていた。
最近、新宿歌舞伎町周辺では、通り魔的な強盗殺人事件が多発していた。とくに、ここ戸山では、集中的に発生している。そのため、警察が威信をかけて犯人の逮捕に躍起になっていた。
「お前だな」
俺の言葉に反応するかのように、奴が笑みを浮かべたような気がした。そのとき、突然、奴の全身が動いた。同時に、俺も動いていた。
(続く)




