追跡
※8話から文字数を増やして投稿します。
報告を聞いた藤堂ミナは、手にしていたタブレットを机に置いた。
ガラス越しに差し込む夕陽が、オフィスの無機質な壁を赤く染めている。
ここは政府直属の特異能力取締機関──対能局、本庁舎第七監視課。
彼女はまだ二十代半ばだが、現場上がりの分析官として頭角を現していた。
「座標は?」
「東京・多摩地区。昨日と同じエリアです」
「……偶然とは思えないわね」
地図上の一点をミナは指でなぞる。
そこは、数日前に報告が上がった“異常な反応”の中心地点。
人影の一切映らない映像データ、途切れた音声ログ、焼け焦げた街路樹。
そして──残された生体反応ゼロの特殊班員三名。
「残留エネルギーの分析は?」
「はい。既存の能力者とはパターンが一致しません。
出力値が……桁外れです。上限設定を振り切っています」
「振り切る……?」
「スカウターのバグじゃありません。リセットしても同じ数値が出ます」
ミナは眉をひそめた。
バグではない。何かが、本当に“限界を超えている”。
常識的に考えればありえない。
だが、現場からの報告書はどれも一貫していた。
──黒髪の少年。
──年齢は十代半ば。
──素手で、銃を持った特殊班を無力化。
──殺さず、しかし二度と戦えない程度に叩きのめした。
「おそらく、意図的に泳がせてる」
「は?」
「私たちをね」
ミナは薄く笑った。
その笑みには恐怖と、ほんの少しの興奮が混ざっていた。
分析官としての直感が叫んでいる。
この少年は、自分たちの監視を“理解した上で遊んでいる”と。
モニターに映るのは夜の街角。
人の流れの中を、黒いパーカーの少年がゆっくりと歩いていた。
表情は穏やかで、どこか退屈そう。
だが、その瞳の奥に走る一瞬の光を、ミナは見逃さなかった。
「……光った?」
カメラが一瞬ノイズを走らせ、次の瞬間──映像は真っ黒になった。
「また切れた!」
「回線が焼かれたようです! 物理的損傷!」
「物理的に? ありえない……!」
モニターの列が次々にブラックアウトしていく。
部屋の明かりが落ち、非常灯の赤い光が揺れた。
ミナの手が震える。
だが、逃げ出す部下を押しとどめ、静かに命じた。
「現場班、出動準備。……彼を“視認”できるのは今夜が最後かもしれない」
──同時刻。
多摩の商店街裏。
雨が降り出し、アスファルトに濡れた街灯の光が滲んでいた。
リクはコンビニ袋を片手に、空を見上げていた。
雨粒が髪を濡らすたび、静かに笑みを浮かべる。
「やっぱり、来てるな」
女神からもらった七つの魔眼のうち、
リクはひとつを“感知”に使っていた。
正確には、世界の“視線”を感じ取る力。
監視カメラも、人間の視線も、彼には全部わかる。
だから──ここ数日、自分が誰かに観察されていることも知っていた。
(退屈しのぎにはなるか……)
口元を吊り上げ、ゆっくりと歩く。
雨の音に紛れて、遠くからタイヤの軋む音がした。
黒塗りの車三台。
窓の奥に見えるのは防弾ベストの影。
「……来たな」
リクは立ち止まる。
コンビニ袋を電柱にかけ、両手をポケットに突っ込んだ。
そして、車のライトが彼を照らす。
一台目のドアが開き、黒服の男が三人降りてくる。
「動くな! 対能局だ!」
「手を上げろ!」
リクは笑った。
「上げたら撃つだろ」
「……何?」
その瞬間、彼の姿が掻き消えた。
男たちが何が起きたのかわからないうちに、
地面に叩きつけられていた。
空気が弾け、アスファルトが波打つ。
リクがゆっくりと歩み寄る。
「俺に銃向けるの、あんまり良くないと思うよ」
片膝をついた男の銃口を指先で軽く弾く。
金属が潰れるような音。
銃身が、紙のように捻じ曲がった。
「う、うわぁああっ──!」
叫びながら撃とうとするもう一人の腕を軽く掴む。
バキッ。
悲鳴。
だがリクは淡々としていた。
「痛いのは嫌だろ。……だから、ここでやめとけ」
残った一人が震える手で通信機を握る。
「班長っ! 対象、止められません! 止め──」
ブツッ。通信が途切れた。
リクが笑いながら、自分の手の中に小さな電子部品を弄んでいる。
「盗聴は嫌いなんだ」
夜風が吹き抜け、雨が止む。
沈黙。
リクは倒れた男たちを見下ろし、軽く首をかしげた。
「……本気で来たわけじゃないよな。お前ら」
返事はない。
彼はため息をつき、
「まぁ、いいや」と呟いて歩き出した。
その瞬間、遠く離れた監視室。
藤堂ミナのモニターに、
“黒い瞳の少年がこちらを見て笑う映像”が一瞬だけ映った。
「っ……!」
心臓が止まりそうになる。
画面越しのはずなのに、
まるで自分の心を覗き込まれたような感覚。
「こっち、見た……?」
次の瞬間、すべてのモニターが一斉にブラックアウトした。
暗闇の中、ミナは息を呑む。
震える指で眼鏡を押し上げながら、呟いた。
「彼は──人間、なの?」
雨が上がった夜の街は、静まり返っていた。
街灯の光に照らされる道路には、
壊れた車と、倒れた男たち。
その光景を遠隔モニターで見ていた藤堂ミナは、
唇をかみ、ヘッドセットに声を落とした。
「……全隊、退避。追撃禁止。現場収拾を最優先」
返答はない。
通信はすべて途絶していた。
彼女の指が震える。
それでも、視線はモニターを離さない。
「君は……何者なの」
※
その瞬間、黒いノイズの中で映像が再び繋がった。
モニターの中央に、
黒髪の少年が立っていた。
リクだった。
カメラ越しのはずなのに、
ミナは“気づかれた”と直感した。
次の瞬間、リクが軽く指を弾く仕草をした。
パチン──。
部屋の蛍光灯がすべて弾け飛んだ。
真っ暗な室内に、赤い非常灯が灯る。
照らされたスクリーンに、リクの輪郭だけがぼんやりと浮かんでいた。
「……対能局か」
スピーカーから、直接声が聞こえた。
マイクはオフにしている。
なのに、声が届いている。
「やっぱり、監視されてたんだな」
ミナの全身に冷たい汗が流れた。
彼はどこにいるのか。
モニターの中なのか、外なのか、
もはや判別がつかない。
「あなたは……能力者なの?」
恐怖を押し殺して、問う。
※
少しの沈黙。
リクは笑った。
「さぁ。そう呼ぶなら、それでいいんじゃない?」
「目的は……何?」
「うーん……暇つぶし?」
言葉が出なかった。
目の前の存在が、本気でそう言っているのがわかる。
この少年にとって、彼らの命も、監視も、
ただの“退屈しのぎ”にすぎない。
ミナは思わず口を噛んだ。
こんな存在が自由に動いていたら、
国家がどうとか、秩序がどうとか──
そんな理屈は一瞬で崩れる。
「……私たちを、敵に回す気なの?」
「敵? 違うよ」
リクの瞳が画面の奥で光る。
漆黒の魔眼。
その光は、まるで魂そのものを覗くようだった。
「君たちなんて、俺の世界にはいなかったから。
ちょっと、珍しくてさ」
「異世界……?」
ミナの脳裏を、ありえない単語がよぎる。
だが、彼女はすぐにその思考を振り払った。
「そんな馬鹿なこと──」
「信じなくていいよ」
リクは肩をすくめ、画面の向こうで空を見上げた。
「俺はもう、あっちの世界の用事は全部終わった。
こっちはこっちで、のんびり生きてるだけ」
「“終わった”?」
「魔王を倒した。──そんな昔話、信じないだろ?」
ミナは息を呑んだ。
ふざけたような口調なのに、
その言葉には、確かに“真実の重さ”があった。
どんな嘘でも、声には温度がある。
そして今の彼の声は、
冷たく、静かで、果てしない虚無を含んでいた。
リクは手を振った。
「ま、心配すんな。別に悪さする気はない。
ただ──誰かを傷つける奴がいたら、俺は止めるだけ」
その一言に、ミナの心臓が跳ねた。
「それは……正義感?」
「さぁ? 俺の女友達が泣くのが嫌なだけだ」
ミサキの顔が脳裏をよぎる。
ふっと微笑み、リクはモニターに顔を近づけた。
「でも──お前たちは面白いな。
この世界、思ったより“強い奴ら”がいる」
「……あなたには、勝てない」
「だろうね」
その言葉を認めるように、リクは軽く笑った。
しかし、その笑みはどこか寂しかった。
戦うことに飽きた人間の、それに似た影。
沈黙のあと、ミナは意を決して口を開いた。
「あなたのことを、調べてもいい?」
「好きにすれば。止めやしないよ」
「でも、あなたは私たちを壊せる」
「壊さないよ。……今のところはね」
リクがその言葉を残した瞬間、
モニターがふっと消えた。
そしてオフィスの窓の外、
夜空の下に、ひとつの影が立っていた。
藤堂ミナはゆっくりと振り向く。
そこに、黒髪の少年がいた。
ガラス一枚を隔てた距離。
なのに、存在そのものが“こちら側”にあるように感じた。
「……どうやってここに──」
「歩いてきただけだよ」
彼は微笑んで、指を唇に当てた。
「このことは、内緒な」
次の瞬間、風が吹き抜け、
リクの姿は消えていた。
残ったのは、机の上に置かれたひとつの缶コーヒー。
ラベルには、手書きでこう書かれていた。
『仕事、頑張れ』
ミナはしばらく立ち尽くしていた。
胸の鼓動が止まらない。
恐怖か、それとも好奇心か。
「……彼は、神なの?」
誰にも聞こえない声で呟いたとき、
夜明け前の空が、わずかに白み始めた。
その頃。
リクはコンビニの前でベンチに座り、空を眺めていた。
「ふあぁ……。ああいう堅物、嫌いじゃないんだよな」
コーヒーを飲み干し、
朝焼けに向かって伸びをする。
「さて、今日はミサキが来る日だったな。
……掃除しとくか」
彼の瞳に、一瞬だけ黒い光が宿った。
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