ミサキ、家に来る
朝の教室はいつもより少しざわついていた。
誰もが小声で何かを囁き、ちらちらとある方向を見ている。
「なぁ……昨日のアレ、マジらしいぞ。裏路地でヤクザが十人以上ぶっ倒れてたって」
「マジで? でもニュースになってねぇし……」
「ヤバい奴がいたって噂だ」
そんな中、教室の後ろの席で、金髪の不良――加賀レイジが大あくびをしていた。
顔にはまだ包帯が残っている。
「ふぁ~……やっぱ朝は眠ぃな。昨日のダメージが残ってるぜ」
「お前、昨日どこで何してたんだよ」
「……青春してた」
「は?」
隣の席のリクは、教科書を開いたまま淡々と答える。
「嘘つくな。お前、救急車で運ばれたろ」
「運ばれたけどよ! あれは俺の勝ちだろ!」
「どう見ても負けてた」
「心は勝ってたんだよッ!」
教室が笑いに包まれる。
そんな中、前の席で静かにノートをまとめていたのがミサキだった。
リクと目が合う。
一瞬だけ視線をそらす。
けれどすぐに、意を決したように振り返った。
「……あの、リクくん」
「ん?」
「昨日は……その、ありがとう。助けてくれて」
「別に。お前が無事ならそれでいい」
あっさりした返事に、ミサキは少しだけ微笑んだ。
その笑みを見て、レイジが肘でリクを小突く。
「おいおい、リク。女の子から感謝されてるぞ? 返事はもうちょい優しくしねぇと」
「俺、照れたりしないから」
「カッコつけやがってこの野郎!」
レイジが肩を叩き、リクがため息をつく。
休み時間。
ミサキは友人に囲まれていたが、どこか上の空だった。
リクのことが気になる。
昨日の出来事が、頭から離れない。
(あの人……あんなに強いのに、怒ってる顔は悲しそうだった……)
放課後。
レイジが屋上で缶ジュースを飲みながらぼやく。
「お前、一人で住んでるんだって?」
「ああ。親は海外。仕事だ」
「寂しくねぇのか?」
「静かで助かってる」
「お前らしいな」
その会話を、偶然ミサキが廊下で聞いていた。
彼女は少し考え、何かを決めたように拳を握る。
――その日の夜。
リクが自宅のドアを開けると、そこには買い物袋を持ったミサキが立っていた。
「……え?」
「こんばんは。ちょっと……ご飯、作りに来ました」
「なんで」
「助けてもらったお礼です。あと……あなたが一人だって聞いたから」
リクは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに視線を逸らした。
「好きにしろ」
「はいっ」
ミサキが嬉しそうに靴を脱いで中へ入る。
小さな部屋。シンプルな家具。
けれど清潔で整っていた。
「……案外、綺麗なんですね」
「汚くしてると落ち着かない」
「意外と几帳面なんだ」
キッチンに立つミサキは手際が良く、エプロン姿が妙に似合っていた。
リクはテーブルに肘をつき、静かにその背中を見つめる。
「料理、好きなのか?」
「うん。家で母の手伝いしてるから」
「へぇ……」
「驚いてる?」
「意外と家庭的だなと思って」
「“意外と”は余計です」
ミサキが頬を膨らませ、リクが思わず笑った。
「笑った……」
「え?」
「あなた、あんまり笑わないから。ちょっと珍しいなって」
「……そうかもな」
出来上がったのは、温かい肉じゃがと味噌汁。
湯気が立ちのぼり、部屋にやさしい香りが広がる。
「いただきます」
「どうぞ」
リクは箸を取り、ひと口食べて言った。
「うまい」
「……本当?」
「冗談で言うタイプに見えるか?」
「見えないけど、ちょっと嬉しい」
しばらく無言で食事が続く。
静かで、穏やかな時間。
けれどどこか、心があたたかかった。
食事を終え、ミサキが皿を洗っていると、リクがぼそりと呟く。
「ありがとう」
「え?」
「……飯、久しぶりに“誰かと”食った」
ミサキは振り返り、優しく笑った。
「じゃあ、また作りに来ますね」
「別に毎日はいい」
「毎週なら?」
「……好きにしろ」
その返事に、ミサキは小さく頷いた。
玄関まで見送ると、夜風が吹き抜ける。
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみ、リクくん」
ドアが閉まる。
静けさの中に、少しだけ残る温もり。
リクは窓の外の星を見上げながら、ひとり呟いた。
「……悪くないな」




