交錯する影
放課後の教室。
黒板の前には「文化祭準備実行委員募集!」の紙が貼られ、クラスのあちこちで騒がしい声が響いていた。
紙の端には誰かの落書きで「リクくん出ろ!」と書かれており、本人はそれを見てため息をつく。
「……俺、そういうの向いてないんだけど」
「何言ってんの、リク! 男子で一番人気あるんだから当然でしょ!」
勢いよく机を叩いたのはミサキだった。
明るい茶髪をポニーテールにまとめ、真剣そのものの表情。
「人気って……そんなの知らねえよ」
「知らないじゃなくて、知ってて避けてるでしょ」
ミサキはじっとリクを見据える。
リクは目を逸らしながらチョークの粉を払った。
文化祭――それは彼にとって、異世界の戦いよりもよほど手強い“社会的イベント”だった。
そのやり取りを遠くから見ていたレイジが、ニヤニヤしながら近づいてくる。
「おーおー、青春してるねえ。いいじゃんリク、ミサキさんと実行委員やれよ」
「レイジ、お前はやらないのか」
「俺? もちろんサボる方で」
即答するレイジにミサキが呆れた視線を向ける。
「はぁ……ほんと、男子ってどうしてこう……」
ミサキがぼやくと、教室のドアがガラリと開いた。
静まり返るクラス。
視線の先にいたのは、黒髪の少女。
「えっと……転校してきた霧原アヤメです。よろしくお願いします」
無表情でそう言う彼女の声は落ち着いていて、どこか冷たかった。
白い肌、整った顔立ち、そして淡い銀の瞳。
その瞳がリクを一瞬だけ捉えた。
そのわずかな瞬間に、リクの中に奇妙な違和感が走った。
何かが、噛み合わない。
(……妙だ。気配が、普通の人間じゃない)
だが、それ以上の気配は何も感じない。
まるで“存在を隠す術”を心得ているようだった。
ミサキが興味津々にアヤメへと近づく。
「霧原さん、どこから転校してきたの?」
「……海外です。少し事情があって」
「へぇ~! すごいね! 英語ペラペラとか?」
「多少は」
淡々と答えるその口調に、どこか壁を感じた。
しかしミサキは気にすることなく笑顔を向ける。
その無邪気さが、アヤメの瞳に微かな揺らぎを生んだ。
放課後。
屋上の手すりにもたれながら、リクは空を見上げていた。
夕陽が沈みかけ、街が橙色に染まる。
その背後に、足音が近づく。
「……やっぱり、いた」
アヤメだった。
制服のスカートを風に揺らしながら、彼女はまっすぐリクを見た。
「久我リク、君……だよね」
「そうだけど。どうかしたか?」
「いいえ。ただ……あなたのこと、知っておきたいと思って」
その言葉に、リクの目が細くなる。
「俺に興味? 転校初日にしては、ずいぶんと積極的だな」
「警戒してる?」
「少しだけな。……君、普通じゃないだろ」
アヤメはほんの一瞬だけ笑った。
その笑みは、どこか寂しげで、それでいて挑むようでもあった。
「“普通”の定義って、何?」
「……そういうの、面倒くさいからやめてくれ」
リクの言葉にアヤメが小さく吹き出した。
「ごめん、ちょっと試しただけ」
風が吹き、アヤメの黒髪が流れる。
その奥で、わずかに光る瞳――
リクの魔眼が反射的に反応しかけるが、彼は抑えた。
「……なるほど。抑制してるな」
「え?」
「いや、独り言だ」
アヤメの瞳の奥に微かな“魔素の残滓”が見えた。
間違いなく、彼女は何かの力を持っている。
だが、敵意はない。
むしろ――観察しているような、そんな目だった。
その夜。
AID研究棟。
暗闇の中、ユウトがモニターを見つめていた。
映像には、リクとアヤメの屋上でのやり取りが映っている。
「接触、確認。霧原アヤメ、対象Kとの初交信成功」
「予定通りだ」
ユウトの声は穏やかだが、奥に潜む狂気は隠せない。
「彼女は優秀だ。彼の反応を測るには最適な観測体。
だが――もし彼が動けば、制御できる保証はない」
「そのための“アヤメ”です。彼女の抑制能力なら」
「ふむ……」
ユウトは目を閉じ、微笑んだ。
「興味深いね。もし“神”を殺した少年が人間を選ぶなら……それもまた観測に値する」
同じ頃、リクは部屋で一人カップラーメンをすすっていた。
テレビには文化祭のニュース。
街のどこかでは、また小規模な“爆発事件”が起きている。
「……またか」
誰にも聞こえない声で呟く。
その目に、かすかに光る怒りの色。
外の風が、カーテンを揺らした。
どこかで、誰かが自分を見ている。
それを感じながらも、リクは静かに息を吐く。
「……面倒だな」
そう言って、空のカップをゴミ箱に放り投げた。
アヤメの部屋。
白い机の上には一台の通信端末が置かれている。
モニターにはAIDのシンボルマーク。
『任務、継続中。久我リクとの接触を続けろ』
『了解。感情変化、無し』
アヤメはそう打ち込み、画面を閉じる。
だが、窓の外に浮かぶ月を見つめたとき――
ほんの一瞬だけ、彼女の瞳が揺れた。
「……普通、か」
その呟きは、風に溶けて消えた。
薄暗い放課後の校舎裏。
静寂を裂くように、足音がひとつ。
リクは無言で彼女の正面に立つ。制服のポケットに手を突っ込み、まるで散歩の途中にでも立ち寄ったような軽さだった。
「呼び出しとは珍しいな。俺、告白とかされても返事は慎重派なんだけど」
「冗談を言う余裕があるなら、答えて」
アヤメは視線を上げた。冷たい琥珀色の瞳が、まっすぐリクを射抜く。
「――あなた、何者?」
リクの笑みが、ほんの少しだけ消えた。
風が吹き抜け、落ち葉が舞う。
異世界の戦場を思い出すほどの、張り詰めた空気。
「俺はただの高校生だよ。放課後に友達とラーメン行くのが日課のな」
「それで、あの事件の映像に映っていた“化け物”を説明できる?」
アヤメの手には、極小の端末が握られていた。そこには、廃ビルで能力者たちを一瞬で制圧した“影”の姿。
顔こそ映らないが、あの背丈、あの動き――どう見てもリク。
「あなたがどんな存在かを調べるため。
それが私の任務――AID日本支局・観測課所属、黒瀬アヤメ」
「AID?」
「能力者の発生と活動を管理する組織。表には出てこない。
あなたのような“規格外”が現れたときに、対処するのが私たちの仕事」
リクはため息をついた。
「そっか。つまり俺、もうバレてるんだ」
「ええ。あなたはあの夜、“死者を蘇生”させた。そんな能力、人間の枠を超えている」
アヤメの声が鋭くなる。
そして、地面に淡い光の陣が浮かび上がった。
――能力発動。
空気が一瞬で変わる。重力が歪むような圧。
リクの髪がふわりと浮いた。
「試す気か」
「観測には“データ”が必要なの。あなたの戦闘反応を――確認する」
次の瞬間、地面が裂けた。
アヤメの手のひらから無数の透明な刃が伸び、リクを取り囲む。
「《重界・破断》」
音もなく、世界が捻じれる。
だがリクは一歩も動かず、そのまま掌を軽く上げた。
「軽いな」
彼の足元から風が立ち上がる。見えない衝撃が走り、透明の刃は粉々に砕け散った。
アヤメの瞳が見開かれる。
「防御……いえ、干渉の無効化?」
「俺の身体は、もう“魔眼”に馴染んでるんだ。
お前の能力がどういう理屈か知らないけど、
“概念的な干渉”は通らないよ」
アヤメは一瞬たじろいだが、すぐに構えを取る。
彼女の背後に、複数の光子ドローンが浮かぶ。
「じゃあ、物理的に確かめるまで」
リクの瞳が一瞬、青く光る。
「やめとけ。お前のその拳、折れるぞ」
言葉より早く、二人の姿が掻き消える。
風圧と衝撃波だけが残り、校舎の壁がひび割れた。
拳と拳がぶつかる音が夜気を裂いた。
アヤメは素早い。重力制御で軌道を変えながら攻める。
だが、リクは軽く受け流すだけで、すべてを“無に還す”かのように動く。
「……この反応、まるで戦い慣れてる」
「異世界でちょっとな」
アヤメの拳が再び振るわれた瞬間、リクの指が彼女の手首を掴んだ。
軽く力を入れただけで、アヤメの身体がふっと浮かび、地面に転がる。
リクはため息混じりに見下ろした。
「もうやめろ。あんた、悪い奴じゃなさそうだし」
アヤメは立ち上がる。頬に傷。だが目だけは濁らない。
「……あなた、本当に何者なの?」
「何度も言わせんな。ただの帰宅部だよ」
その時だった。
遠くで聞き慣れた声がした。
「リクーーッ! おい、生きてるかぁッ!」
レイジの叫びが夜に響いた。
その後ろから、息を切らしたミサキが駆けてくる。
「リクくん!? 何してるの!?」
リクは頭を掻き、苦笑い。
「まったく……ほんとタイミング悪いな」
アヤメは無言で二人を見つめた。
彼女の端末がわずかに震え、“任務終了”の文字が浮かぶ。
(――観測完了。対象、危険度A+。だが……)
その胸の奥に、小さな違和感が残った。
心臓が一瞬だけ、速く脈打つ。
「もう行くのか?」とリクが言うと、アヤメは小さく頷いた。
「次に会うときは……もう少し本気で」
「それ、フラグだぞ」
彼の軽口に、アヤメの唇がわずかに震えた。
そして振り返らず、夜の闇に溶けていった。
残された三人。
レイジは息を切らせながら肩をすくめる。
「なあ……今の…」
「さあ、通りすがりの転校生だ」
「おまえ、また妙なのに絡まれてるな……」
ミサキはリクの手の小さな擦り傷に気づき、
「……怪我してるじゃない」と静かにハンカチを取り出した。
夜風が冷たく、けれどどこか優しかった。
――世界はまた少しだけ、リクという存在を知っていく。
そしてアヤメという少女の心にも、初めて“揺らぎ”が生まれていた。




