再編と覚醒
午前六時。
世界のどこよりも無機質な建物――政府統合局・第零特務管理室《AID》本部。
白い壁に反射する蛍光灯の光。
人の気配はあるが、どこか生気が欠けている。
「……結局、全滅か」
重い声が会議室に響く。
スーツの男たちが並ぶ中、中央のモニターには《コード・ゼロ作戦結果:壊滅》の文字。
神谷零士の映像記録が再生される。
炎に包まれた市街、消える兵士たち。
そして最後に映る、“紅い眼の少年”。
「これが――例の対象R-01か」
「はい。外部記録からの映像補正結果です。戦闘力は少なくともSランク能力者を超越」
「……いや、“超越”という言葉では足りん」
室内の空気が重く沈む。
ある者は腕を組み、ある者は息を呑む。
誰もが理解していた。
この少年が、もし本気で暴れたなら――この国は、終わる。
「対応策を立てねばなるまい」
議長の白髪の男が言った。
「現状では、接触すら不可能だ」
「観測班の報告では、彼には人間を超えた再生能力がある。つまり……不死だ」
「馬鹿な。そんな存在、ありえない」
「だが現実に存在している」
沈黙が支配した。
その沈黙を破ったのは、機械音のような声だった。
「――ならば、殺せばいい」
会議室の端に座る一人の青年。
白衣に身を包み、無機質な瞳をした男。
名は久遠ユウト。
AID戦略開発部主任。
「久遠主任、軽率な発言は――」
「軽率ではない。彼は“人間ではない”。排除対象として扱うのが妥当だ」
「……方法は?」
「簡単だ。彼と同等の力を持つ存在を創り出す」
ざわめきが広がる。
誰もが、その言葉の意味を理解した。
――“能力者狩り”計画。
異能を奪い、人工的に複製する禁断の研究。
「成功すれば、AIDは再び国家の中心に返り咲く」
久遠は冷たく笑った。
「この国の秩序は、力によって保たれる」
モニターの中の少年――リクの笑顔が、一瞬映し出される。
久遠はその映像に指を滑らせ、呟いた。
「お前の眼……解析してみたいな」
そのころ――。
リクの部屋。
朝の光が差し込み、カーテンが揺れている。
机の上には昨夜のカップ麺の残骸。
「おーい、起きてるー?」
玄関からミサキの声。
リクは枕を抱えたまま目を開けた。
「……また来たのか」
「またってなに。朝ごはん作りに来たんでしょ!」
「家政婦でも雇ってる気分だな」
「じゃあお金ちょうだい」
「はいはい」
ミサキは台所で手際よく卵を割る。
リクはベッドから起き上がり、伸びをした。
あの夜の戦闘から三日。
表面上はいつも通りの朝だった。
(……けど、誰かが見てる)
街に出ると、やはり感じる。
昨日までなかった“視線”。
訓練された兵士のそれとは違う。
もっと静かで、もっと遠い。
――観測。
(まぁ、放っておいてもいいか)
彼は笑った。
この程度なら、動くまでもない。
学校では、レイジが教室のドアを勢いよく開けた。
「おっす! リク!」
「朝からうるせぇ」
「昨日ミサキさんと一緒だったってマジ?」
「お前、どこ情報だよ」
「いやー、うわさになってるぞ。ついに付き合い始めたんじゃねーかって」
「違う」
「はいはい、否定するのが一番怪しいんだよな」
笑いながらリクの肩を叩くレイジ。
その背後の窓の外、遠くの屋上に小さな光が走った。
リクの魔眼が反応する。
(……やっぱり、いる)
彼は何事もなかったように視線を外した。
この程度なら、泳がせておく。
追跡してきたのが誰か――すぐにわかる。
授業が終わり、昼休み。
ミサキが弁当を広げる。
「今日のはね、ちょっと豪華だよ」
「何入ってんの?」
「見てからのお楽しみ」
彼女が笑う。
レイジはそれを見てにやにやしている。
「おー、手作り弁当かよ。やっぱ彼女ポジだな」
「違うっ!」
ミサキが真っ赤になり、レイジが爆笑した。
――平和だった。
だが、その裏で、街の空気がわずかに変わっていく。
路地裏。
黒いスーツの男たちが、金属ケースを運んでいた。
ケースの中には、透明な液体のカプセル。
その中で“何か”が蠢いている。
「久遠主任のサンプルだ。慎重に扱え」
「了解」
ケースを運ぶ男たちの目には、恐怖が浮かんでいた。
人間ではない“何か”が、そこに眠っている。
AIDの新たな兵器計画――
《模造能力者》計画。
リクが知らぬうちに、世界はまた動き始めていた。
そして夜。
彼はいつものように自室でゲームをしていた。
モニターの光が彼の瞳を照らす。
その奥で、紅の魔眼がゆらめく。
(どうせまた、くだらねぇこと始めてるんだろうな)
だがその瞬間、遠く離れた地下研究室で、
久遠ユウトがリクの映像を見つめながら同じ言葉を呟いた。
「くだらない人間ども、か……だが、君は違う」
彼の口元が歪む。
「君は――僕の“理想”だ」
――世界は静かに、再び動き出す。
夜。
街はいつものように静かだった。
リクはコンビニの袋を片手に、人気の少ない裏道を歩いていた。
「ミサキ、明日も来るって言ってたな……」
苦笑しながら、彼は空を見上げる。
曇りがかった月。
冷たい風が頬をなでた。
その瞬間――
世界の“音”が一つ、途切れた。
(……来たか)
リクの耳には、人の歩調ではない、滑るような足音が届いていた。
ビルの影から、ひとりの男が現れる。
スーツ姿だが、顔には表情がない。
いや、表情を“作る”ことを忘れたような、無機質な顔。
「……能力者か?」
リクが問いかける。
男は答えない。
代わりに、右腕が膨張した。
皮膚が裂け、黒い金属のようなものが露出する。
(機械? いや、違う……)
魔眼が解析を始める。
その構造は、明らかに“人間”ではなかった。
細胞の一部に未知のエネルギー回路――人工的な魔力導管。
「まさか……模造能力者か」
男は口を開いた。
声は歪み、人工的なエコーが混ざる。
「対象コード……R-01……排除」
その瞬間、路地全体が爆発した。
リクは煙の中から姿を現す。
服に焦げ跡一つない。
「おいおい、夜の散歩にしては派手すぎだろ」
模造能力者が腕を振り下ろす。
衝撃波が走り、アスファルトがえぐれる。
リクは微動だにせず、ただその力を観察していた。
(魔力の流れが不安定だ。出力は高いが、制御が粗い)
「本物の力を、知らないだろ」
リクが一歩踏み出す。
その瞬間、世界が沈黙した。
模造能力者の体が、バラバラに砕けた。
血ではなく、黒い液体が路面に広がる。
リクの拳が軽く握られたまま、空気がひび割れる。
(……こんな玩具、わざわざ作ったのか)
彼はため息をつき、残骸を見下ろした。
そこに“人の命”の気配はなかった。
あるのは、造られた存在の“模倣された魂”だけだった。
「誰が、こんなもんを……」
その頃、AID本部の地下。
久遠はモニターの映像を見ていた。
画面には、リクが模造能力者を粉砕する瞬間が映っている。
彼の口元がゆっくりと歪んだ。
「やはり……想定を超えているな」
「主任、サンプルはすべて破壊されました」
「いい。データは取れた。次は、調整済みの第二段階を出す」
モニターの光に照らされる久遠の瞳は、異常な興奮で震えていた。
「もっと見せてくれ……お前の“限界”を」
翌日。
リクはいつものように登校した。
教室ではミサキが待っていた。
「おはよ、リク!」
「……ああ」
いつもと変わらない声。
だが彼の心の奥には、昨夜の不穏な光景が焼きついている。
昼休み。
屋上で弁当を食べる二人。
風が気持ちよく吹き抜ける。
「ねぇ、最近ちょっと疲れてない?」
ミサキの声に、リクは目を細めた。
「そう見えるか?」
「うん。なんか、考え事してる顔してる」
「……まぁ、ちょっとだけな」
「なら、あたしが元気出させてあげる」
「は?」
ミサキは立ち上がり、両手を広げた。
「ほら、元気チャージ!」
「……子どもかよ」
笑いながらも、リクの口元がほころぶ。
その一瞬だけ、異世界の戦いも、昨夜の残骸も消えた。
(……この時間を壊させない)
放課後。
リクは一人、帰り道を歩いていた。
頭の中で、情報を整理する。
AID、模造能力者、そして久遠ユウト。
裏で何かが動いているのは確かだった。
(もしまた誰かが狙われたら――今度こそ、全部壊す)
その決意は、静かな炎のように彼の中で燃え上がっていた。
空の彼方。
一機の無人ドローンがリクの姿を映していた。
通信の向こうで久遠が呟く。
「やはり、君は最高だ……リク」
――人と化け物の境界は、すでに曖昧になり始めていた。




