能力者たちの蠢動
夜明け前、霞が関。
第七監視課の地下フロアは、まだ暗い。
昨日の“事件”以来、誰もが沈黙していた。
藤堂ミナは、ひとりモニタールームの光を見つめていた。
冷えたコーヒーに口をつけるが、味がしない。
――脳裏には、あの少年の笑み。
「見たら眠れなくなるよ」
あの一言が、焼き付いて離れない。
彼は確かに、目に見えぬ“何か”を纏っていた。
異世界帰還者。
噂話だと思っていたその存在が、現実にここにいる。
ミナは小さく息を吐き、端末を閉じた。
「……報告書、書けないわね。誰も信じない」
だが、上層部にはすでに情報が上がっていた。
“第七監視課に未知の干渉者が侵入”。
それはつまり、
リクが──国家に「認識」された、ということだ。
同時刻、郊外の廃ビル。
「能力者管理局」非公認チーム《コード・ゼロ》が、密かに動いていた。
「第七監視課がやられた? 面白ぇじゃねぇか」
黒髪を刈り上げた青年、カイが笑う。
彼の隣では、少女が腕を組む。
氷のような視線を持つ能力者、リラ。
「笑い事じゃない。……私たちの任務は、“逸脱者”の捕獲よ」
「その“逸脱者”が、こっちより強いんだろ?」
「……少なくとも、機関の観測装置を無効化する力を持ってる」
カイの目が輝いた。
「つまり、怪物だ」
「あなた、死にたいの?」
「試してみるだけさ」
二人の背後には、無機質なモニターが光る。
そこには、一人の少年の顔。
──天宮リク。
一方その頃。
リクは学校へ向かう途中だった。
朝の通学路、いつもの時間。
手に持つのは、ミサキが作ってくれた弁当。
「ミサキ、早起きしすぎだよな……」
思わず笑う。
昨日の夜、あれほど遅くまで勉強していたのに。
それでも弁当を作ってくれた。
(……こういうの、ほんと久しぶりだ)
世界を救ったとか、勇者だったとか。
そんな肩書きは今の自分にはいらない。
“普通の高校生”でいることが、いまの願いだった。
だが、世界は静かに変わっていた。
街の気配が、わずかにざわついている。
人々には見えないほどの細い“揺らぎ”。
それは、能力者の力が漏れ出すサイン。
(……増えてるな)
信号待ちの間、リクは周囲をさりげなく見渡す。
スーツ姿の男がポケットに手を入れたまま、視線を逸らした。
その瞬間、リクの眼に“光”が走る。
(認識阻害……機関の連中か)
リクは何も言わず、歩き出した。
彼らの“監視”を気にしている素振りも見せず。
昼休み。
屋上の風が心地いい。
ミサキが弁当箱を開け、にこっと笑う。
「今日のはね、卵焼きがちょっと甘め」
「お、楽しみ」
「ねぇ、最近どうしたの? なんか……遠い目、してる」
リクは少し考えたあと、空を見上げる。
「……いろいろ、考えることがあって」
「ふーん。そういう時はさ、ちゃんと食べなきゃダメだよ?」
優しく言いながら、箸で唐揚げをつまんで差し出す。
リクは一瞬、照れながらも口を開けた。
「……うまい」
「でしょ?」
そんな穏やかな昼下がり。
だが、屋上の入口の影には、別の視線があった。
(……天宮リク。やっぱり、ただの学生じゃない)
無線の声が微かに漏れる。
『観測値、通常範囲を超えた。精神波、異常安定』
『了解。監視継続。必要なら、コード・ゼロに報告を』
放課後。
街に夕日が沈む頃、リクは駅前を歩いていた。
ふと、風が変わる。
背後の気配が一つ、二つ……三つ。
(やっぱり来たか)
振り向くことなく、リクは公園の奥へ進んだ。
木々の間に入ると、空気がピリッと張り詰める。
そして、声が響いた。
「天宮リク。能力者管理局所属、リラ・カミシロ。あなたを拘束します」
リクは足を止め、振り返る。
少女の瞳は、冷たい氷のように光っていた。
その背後には、笑みを浮かべたカイ。
「おいおい、いきなり拘束かよ。挨拶くらいしろって」
「うるさい、カイ。任務中よ」
リクは手をポケットに入れたまま、首をかしげた。
「俺が何をした?」
「存在そのものが異常。──世界の秩序にとって危険」
「なるほど、定義がざっくりしてるな」
カイが笑いながら前へ出る。
「ま、いいだろ。久々に手応えのある相手だ」
次の瞬間、カイの周囲に青い火花が散る。
重力場が歪み、足元のアスファルトが割れた。
「俺の“圧壊域”に入ったら最後、骨ごと潰れるぜ!」
轟音。
だが、リクは微動だにしない。
その周囲だけ、空気が“止まっていた”。
「……重力系か。懐かしい」
指先を軽く動かす。
次の瞬間、カイの足元の地面が“元に戻った”。
「なっ……!? 俺のフィールドが──」
「干渉しただけだよ。バランス崩れてたから、整えた」
リラの目が細くなる。
(……空間操作。いえ、それ以上)
「カイ、下がって!」
「ふざけんな、まだ──」
言葉の途中で、リクの指が軽く弾かれる。
風も音もなく、カイの身体が三歩分吹き飛ばされた。
だが、壁にぶつかる直前で静止する。
リクが小さく呟いた。
「壊す気はない」
沈黙。
リラの瞳がわずかに揺れる。
彼女は氷刃を構え、低く息を吐いた。
「……やっぱり、あなたは危険すぎる」
「そうかもな」
次の瞬間、空気が凍った。
氷の結晶が公園を包み、世界が青に染まる。
リラの必殺技《零界凍結》。
絶対零度の一歩手前、動くことさえ許されない世界。
だが…リクの瞳が、ゆっくりと開いた。
黄金の光が走り、氷が音を立てて砕けていく。
「俺、寒いの苦手なんだ」
微笑みとともに、一瞬で全てが“無”になった。
凍結空間が、風一つで霧散する。
リラは息を呑む。
「……どうして、あなたは……」
「ただの高校生だよ。……放っといてくれ」
リクはそれだけ言って、踵を返した。
カイとリラは何もできず、その背を見送るしかなかった。
夜。
街の灯りがにじむ帰り道。
戦闘の余韻を振り払うように、リクは無言で歩いていた。
(……やっぱり、面倒なことになりそうだ)
能力者の存在、機関の監視、そしてコード・ゼロ。
自分を“異常存在”として狙う世界の動き。
静かに暮らすつもりが、結局こうなるのかと苦笑した。
マンションに着いたときだった。
エントランス前に、人影が立っていた。
手に買い物袋を提げて、スマホを見ながらため息をつく少女。
「……ミサキ?」
声をかけると、ミサキが驚いたように顔を上げた。
「リクくん! よかった、帰ってたんだ」
「どうしたんだ、こんな時間に」
「えっと……スーパーの特売で材料買いすぎちゃって。ひとりじゃ食べきれないから、
もしよかったら一緒にどうかなって」
少し気まずそうに笑う。
その表情に、無理をして明るく振る舞っている気配があった。
リクは苦笑して肩をすくめた。
「そういう時は“作りすぎた”って言えばいいんだよ」
「う、うん……そうだね」
しばらく二人の間に静かな時間が流れる。
夜風が少し冷たくて、ミサキが髪を耳にかけた。
「……疲れてる?」
「いや、ちょっと歩きすぎただけ」
「そっか。無理、しないでね」
リクはその一言に、わずかに心を緩めた。
いつも通りの優しい声。
世界の騒がしさを、一瞬だけ忘れさせてくれる響きだった。
「……ありがとう。夕飯、一緒に食べようか」
「え?」
「せっかく来てくれたんだし」
ミサキは少し驚いたように目を瞬かせ、それから微笑んだ。
「……うん」
二人は並んでエントランスを抜けていく。
静かな夜に、遠く街のネオンが滲んでいた。
──その背後。
ビルの屋上から、ひとつの光学レンズが二人を見つめていた。
無線のノイズがかすかに走る。
『対象A、帰宅を確認。同行者、一般女子・危険性なし』
『観測継続。対象A、依然として能力波反応・極低。異常なし』
だが、モニターの数値は静かに振れていた。
測定器には映らない“何か”が、彼の周囲に揺らめいている。
そして、それを見上げる少女――藤堂ミナの口元が、わずかに引き締まった。
「……天宮リク。やっぱり、あなたはただの人間じゃない」
地下深くの会議室に、低い蛍光灯の音だけが響いていた。
モニターには、少年の姿。
その映像を前に、数人の男女が沈黙している。
「――つまり、“あの少年”に、我々の装置は一切通用しなかったということですか」
白髪の男が資料をめくりながら呟いた。
対能局第七監視課・指導官、佐伯。
「はい。観測波はゼロ、映像補正も無効。
リクという名以外、彼に関するデータはすべてブロックされました」
ミナが静かに答える。
「……それが、たった一人の高校生に?」
「はい。ですが、ただの高校生ではありません」
佐伯は眉をひそめた。
ミナは続ける。
「彼は“観測外”です。
存在そのものが、こちらの物理法則の外側にある」
数秒の沈黙のあと、佐伯が笑った。
「はっ、まるで神話の勇者だな」
「……それ、あながち間違いじゃないかもしれません」
ミナの声は低かった。
映像の中の少年――天宮リクが振り返る瞬間、
画面の光が揺れ、誰もが息を呑む。
その瞳。
まるで、こちらの“奥”を覗いてくるような感覚。
「報告書に書けません。あれは、ただの視線じゃない」
「……ミナ君、まさか恐れているのか?」
「恐れ、というより……“理解できない”ものを見た気がします」
会議が終わると、ミナは廊下に出た。
冷たいコンクリートの壁を指でなぞる。
(観測外……そんな存在が、ほんとうにいるなんて)
無線から上層部の声が入る。
『対象A・監視継続。直接接触は避けろ。状況により代行班を投入する』
「代行班……?」
ミナは眉を寄せる。
代行班――正式な局員ではない、“裏の処理屋”たち。
能力者の中でも、倫理や常識を持たない連中。
つまり、彼を“排除”する気だ。
「……ふざけないで」
ミナは無線を切った。
彼女の中に、奇妙な確信があった。
あの少年は、敵ではない。
むしろ、“この国が手を出すべきではない何か”を抱えている。
(私たちが知らない世界の――)
思考を遮るように、端末が震えた。
“コード・ゼロからの暗号通信”。
画面には短くメッセージが表示される。
《接触失敗。対象は無傷。圧倒的力量差。撤退済み》
ミナは静かに息を吐いた。
「……生きててよかったわね、カイ、リラ」
そのころ、リクは学校の屋上にいた。
秋の風がシャツの袖を揺らす。
授業をサボっているわけではない。
ただ、ひとりで空を見上げていた。
「……なんか、監視されてる気がするんだよな」
呟いた声が風に溶けた。
校舎の屋根、電柱、街の上空。
視線がどこからともなく注がれている気がする。
だが、恐怖はなかった。
“力”があるからではない。
ただ、あの異世界で知っていた。
――恐怖しても、意味がないということを。
屋上の扉が開いた。
「リクくん、ここにいたんだ」
振り向くと、ミサキが弁当箱を両手に持って立っていた。
「お昼、食べてないでしょ」
「……あー、ばれてる」
彼女は苦笑しながら隣に腰を下ろす。
リクは少し照れくさそうに、弁当箱を受け取った。
「ねぇ、最近なんかあった? 顔が……疲れてる気がする」
「うーん、まぁ……ちょっとだけ」
「そっか。でも、無理はしないでね。リクくんが倒れたら困るから」
「俺が倒れるって、誰も信じなさそうだけどな」
「ふふっ、確かに」
その笑顔を見ていると、
“普通の時間”の尊さを思い出す。
世界の裏で何が起ころうと、
この昼下がりだけは守りたい。
リクは静かに思った。
(……ここが、俺の帰ってきた世界なんだ)
その夜。
能力者管理局・第零監視区。
薄暗いフロアの奥で、誰かが笑っていた。
「天宮リク、ねぇ。
異世界帰還者なんて噂、やっぱり本当だったか」
無線の向こうでミナの声が硬くなる。
「あなたたちは動かないで。彼に関われば――」
「命の保証はない、だろ? わかってるさ」
その声の主は、男とも女ともわからない低音。
だが、どこか楽しげだった。
「面白くなってきたな」
夜の街。
ビルの屋上で、リクはひとり風を浴びていた。
星空を見上げ、深く息を吐く。
(……もう静かには生きられないか)
だが、その顔に笑みが浮かんだ。
「まぁ、退屈しないなら悪くないか」
風が頬を撫でた。
遠くで、街の明かりが瞬いている。
その光のひとつひとつが、リクの“守りたい日常”の象徴だった。




