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光風の伝言  作者: 聖いつき
第二章
5/19

2-1  泣きべその元気ガール

 あっくんを……、怒らせてしまった。

 いつもの悪ふざけのつもりだったんだけど、あんなに怒るとは思わなかった。

 あっくんはいつも穏やかで、誰よりも優しい。

 それは、小さいときからいままでずっと変わらない。

 でもときどき、何かのきっかけですごく怒ることがある。それも、まったく別人になったように激しく、荒々しく。

 中学一年生のとき、吹奏楽を始めたあたしのためにお父さんが買ってくれたトランペットを、教室で勝手にケースから出してチンドン屋のモノマネをした男子が居た。

 最初はその男子だけだったけど、そのうち何人かの別の男子も加わって、昼休みの教室が急に騒がしくなった。

 お父さんから買ってもらった、大切なトランペット。

 落として壊されたらどうしよう。

 周りのクラスメイトはただ笑うばっかり。

 あたしが必死になって何度もやめてって叫んでも、男子たちはやめてくれなかった。本当に、本当に悔しいけど、あたしはとうとう泣き出してしまった。

 教室に置いたままにするんじゃなかった。お父さんになんて謝ろう。

 あたしは両手で顔を押さえて床に座り込んだ。

 ゴツッ!

 そのとき、すごい音がした。

 そして続いて聞こえたのは、まるでガラスが割れるような、激しく荒らげた声。なんて言ったのかは覚えてないけど、すごく怒りに満ちた言葉だったと思う。

 びっくりして顔を上げると、そこにはあたしのトランペットを左手に持って、右手にケース入のアルトリコーダーを剣のように構えている、普段とまったく違う荒々しいあっくんが立っていた。

 そして、あっくんの足元には頭を押さえてうずくまっている男子。すぐにきゃーっと女子の叫び声が上がって、教室は騒然となった。

 それからあっくんは振り返ってあたしのほうへ歩いてきて、取り返してくれたトランペットをゆっくりとあたしに差し出した。

『こんなとこに置いとくな』

 その金色のトランペットは、いまもあたしの宝物。

 あっくんはそのあと生活指導の若宮先生に連れて行かれたり、学校にお母さんが呼ばれたりして、いろいろ大変だったらしい。

 その原因を作ったあたしは、結局あっくんには謝れないまま。

 今日も、あのときと同じ。

 あの激しい怒りに満ちたあっくんの瞳は、一生忘れることはできない。

 もう、これで終わりなのかもしれない。

 いままで、ずっとずっとあっくんがそばに居て欲しくてわがままも言ったし、好きな人ができたって聞いても絶対に応援しないでいた。

 きっとバチが当たったんだ。

 意地悪なことばかり考えていたから。

 そんなことを思いながら音楽室へ向かう渡り廊下を歩いていると、胸元を押さえていた手にぽつりと水滴が落ちた。

 もう雨は上がっているのに。

 あたしらしくない。

 音楽室に着くまでの間に頬が乾くように、できるだけゆっくりと歩こう。

「しっ、栞せんぱーいっ!」

 突然、後ろのほうから聞こえた、あたしを呼ぶ可愛らしい声。

 振り返ると、コンクリートの渡り廊下をパタパタと走る上履きの音と一緒に、放送部の彼女が息を切らして駆け寄ってくるのが見えた。

 慌てて頬を拭う。

「あ、咲美ちゃん。お疲れさま」

 放送部の中村咲美ちゃん。

 今年入学したばかりの、ピカピカの一年生。

 ほんとに十五歳なのって思うくらい、ちっちゃくて可愛い。ちょこんと横に結んだひとつ結びがチャーミングで、放送部のみんなからは『ワッピちゃん』って呼ばれてる。なんでそう呼ばれてるのかは知らないけど。

 中学のときも放送部だった彼女は、なかなかのスゴ腕みたい。将来はアナウンサーになりたいんだって。

 その咲美ちゃんがいまにも泣きそうな顔で追いかけてきて、突然、引き止めるようにぎゅっとあたしの手首を掴んだ。

「何? 咲美ちゃん」 

「ななな、何があったのでしょうかっ、あっ、あっ、歩先輩とっ」

「え? なんにもないよ? あっくんが何か言った?」

「い、いえ、歩先輩からは何も……。ただ、その……、吹奏楽部の取材から戻ってきた歩先輩がすごく怒ってるからと、二年の先輩たちが……」

「そうなんだ。ごめんね? 放送室に戻っても怒ってたんだね。でも気にしないで。あたしが悪いし、仕方ないの」

 そう言ってあたしがちょっと上を向くと、ちっちゃな咲美ちゃんがまるで空を見上げるようにして目を丸くした。

「ななな、泣いてるのでありますか?」

「えへ。ちょっとね。自分の馬鹿さ加減に嫌気がさして」

「あ、あの、なんか、その」

「咲美ちゃんはもう部活終わったの?」

「え? えっと、さっき野球部のインタビューが終わったので、今日はもう終わりなのです。でも……、ほんと、何があったのですか?」

「何がって……、そうだね。それなら……、咲美ちゃん、今日、一緒に帰らない?」

「へ?」



 雨上がりの夕方。

 日本五大稲荷神社に数えられる有名なお稲荷さまを通り過ぎて、高校の北の川沿いに自転車を走らせる。

 咲美ちゃんの家はあたしの家よりずいぶん北の、ふたつ隣の中学校の校区らしい。

 ちょうど、この街で一番大きな駅の近く。

 県名と同じ名前のその駅は、もちろんこの街を代表するターミナル駅なんだけど、なぜか街の規模の割にはびっくりするほど小さな造りで、ときどき電車でやってきた観光客をがっかりさせることがあるみたい。

 この街は江戸時代からお城を中心に発展してきた街だから、鉄道は明治になって城下を避けてあとからできたせいで、ずいぶんとその中心から離れているんだって。

 一応、市役所や交通センターがある街の中心部と駅とは路面電車で繋がっているから、そんなに不便ではないみたいだけど。

 そのターミナル駅のほうへ向かって、ゆっくりと進む自転車。

 ちょっと遠回りだけど、今日は咲美ちゃんの帰り道にお邪魔させてもらうことにした。

 高校も三年生になったというのに、つい先々月まで中学生だった彼女に胸の内を聞いてもらいたいと思うなんて、あたし、どうかしてるなって思う。

 いや……、どうかしてるんじゃない。

 計算してるんだ。

 あたしが胸の内を話せば、この子はすごく心配してくれて、たぶんあたしの気持ちをあっくんに伝えるだろうと思う。

 そうすれば、あっくんとまた仲直りができるかも知れない。

 そんなふうにあたしは、純真でひたむきな彼女が自然とあたしに有利に動いてくれることを、心の底でしたたかに期待している。

 ほんと、あたしはズルい。

 サイテーだ。

「栞先輩、もう落ち着きましたでしょうか?」

「え? う、うん」

 ゆっくりと自転車で進むあたしたちの頬を、雨上がりの匂いがする風が優しく撫でる。

 ときおり車が横を追い越していく田舎の堤防道路で、川を左手に見ながらあたしは咲美ちゃんと走る自転車を並べた。

「先輩、そろそろ聞きたいのですが……、いいですか? その、なんで歩先輩が怒ったのか」

「うん」

 そう答えたけど、いったい何から話せばいいのかあたしは迷った。

 振り返ると、雨雲に邪魔されながらも頑張っていたお日さまが、空を朱色に染めながら名残惜しそうに姿を隠し始めている。

「咲美ちゃんは、あっくんが好きな人、知ってる? 文芸やってる子」

「え? あの……、はい。この前、放送部の先輩たちから聞いたのです」

「そうなんだ。実はね? あたし、ちょっと、許せないの」

「許せない? その、相手の人をでありますか?」

「違うの。その相手の女の子のことを勝手にすごく美化して、ぜんぶ分かった気になっているあっくんが」

「もしや、そのことでケンカしたのですか?」

「ううん。彼女は関係な……、いや、ちょっとあるかな。今日、あっくんがインタビューしに来たとき、あたし、すっごく噛んじゃってね? で、いっぱい叱られちゃって」

 叱られたんじゃない。

 呆れられたんだ。

 部長として請け負った仕事なのに、ちゃんと自分でやらなかった無責任さに愛想を尽かされたんだ。

「何回やってもNG出しちゃって。とうとうあっくんに、『なんで自分で言えない原稿を考えて来るんだ』って叱られたの」

 あっくんは嫌々ながらも、『仕事』としてあたしのインタビューにやってきた。正直、あたしはその気持ちに真摯に応えていなかったと思う。

「実はね、その原稿、あたしじゃなくて副部長が作ってくれたやつで、それを聞いたあっくんが『さすが文章作りが苦手な理数科さまだな』みたいなイヤミを言ったから……、つい、あたし……」

「あらら、そんなことを歩先輩が……、なんとも先輩らしからぬイヤミでありますな。で、勢いで歩先輩を激怒させる言葉を返してしまったと?」

「うん。『どうせ、お星さまが大好きな文芸女子のほうが可愛いんだろうね』って、野元さんをバカにしたようなことを、何度も何度も……」

「あー……」

 あっくんは、小さいときから物語を書くのが好き。

 小説とか、ラジオ番組の脚本とか、ほんと可愛らしい物語を書く。

 同じ歳だとは思えないくらい、文章を書くのがとっても上手なあっくんだから、すごく知的で、あっくんと同じように物語を書いている彼女に惹かれるのは、当然のこと……。

 だめだ。

 教室で野元さんの横顔を見つめているあっくんが目に浮かんでしまう。

 そんなことがすーっと頭をめぐると、突然、後ろで自転車のブレーキの音がした。

 振り返ると、咲美ちゃんが自転車を道の端に止めて、ギュッとハンドルを握って下を向いている。

 思わず、あたしもすぐ自転車を止めた。

「どうしたの?」

 咲美ちゃんは下を向いたまま。

 どうしたんだろう。

 あたしは自転車を降りてスタンドを立てると、それから咲美ちゃんに歩み寄って、そっとその顔を覗き見上げた。

 同時に、あたしたちの横を引っ越し屋さんのトラックが大きなエンジン音を立てて通り過ぎる。

「……せいなのです」

 エンジン音にかき消されて、咲美ちゃんの声が聞こえない。

「具合悪いの? 大丈夫?」

 小さく肩を震わせる咲美ちゃん。

 トラックの音がずいぶん遠くなったのを確かめてから、あたしがもっと腰を折って覗き見上げると、咲美ちゃんは突然、その顔を上げた。

「あああ、アタシのせいなのです!」

 ゆらゆらと、いまにも雫がこぼれ落ちそうな、その瞳。

「え? 何が咲美ちゃんのせいなの?」 

「ごめんなさいっ! 栞先輩! アタシの……、アタシのせいなのです! うううっ、うわぁぁぁん!」

「え? ちょ、ちょっと」

 突然、両手で顔を押さえて泣き出した彼女。

「咲美ちゃんっ、ちょっと落ち着いてっ?」

「……い、インタビューの、す、吹奏楽の、ひくっ、担当は」

「うんうん、落ち着いてからでいいからね?」

「アタシが、みんな、意中の人が居る部にしようって言って、歩先輩は、すっ、吹奏楽以外、ダメってアタシが言って……、みんなも栞先輩が喜ぶだろうっ、て、賛成して」

 そうなんだ。

 あれは咲美ちゃんの発案だったのか。

 あっくんが少しイヤそうだったのは、みんながノリで吹奏楽部のインタビュー担当をあっくんに押し付けちゃったせいだったんだ。あたしが部長だからって。

「アタシっ、ひくっ、歩先輩も、口で言うほど、ほんとはイヤじゃないだろうって、勝手に思って」

「咲美ちゃん……」

「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ! ごめんなさいっ! ケンカさせるつもりなんてなかったのですっ! うわぁぁぁん!」

 あたしは……、大バカだ。

 自分のことしか考えていない、バカ女だ。

 彼女がこんなにも純粋なのは、彼女があたしの計算高さを見抜けないほどに子どもだってことの表れ。

 あたしは、そんな彼女の子どもっぽさを利用して、あっくんとの仲を取り持ってもらおうと考えていた。

 あたしは……、あたしは本当にどうしょうもない、大バカ女だ。

「咲美ちゃん?」

 そっと両手を伸ばし、彼女が顔を覆っているその手をふわりと包んで、ゆっくりゆっくり引き寄せた。

「えっとね? 咲美ちゃん」

「ひっく」

「大丈夫。あたしとあっくんはいままでも何度もケンカして、そのたびに仲直りしてきたし」

「ひっく」

「それに、あっくんを怒らせちゃったのは咲美ちゃんのせいじゃないし。ね?」

「ひっく……、し、栞先輩」

「咲美ちゃんはなんにも悪くないよ? ごめんね? もう泣かないで? アイス買ってあげるから」

「……はい」

 それから、咲美ちゃんの息が戻るまでその場で少し休んで、あたしたちはまた自転車を走らせ始めた。

 咲美ちゃんがいろいろ教えてくれた。

 実はもう、文芸部がなくなっていること。

 そのせいで、あっくんがちょっと元気をなくしていること。

 放送部ではもう、あたしのことを話題にできなくなってしまっていること。

 夕日を背に受けて、前に長く伸びる影を追いかけながら、咲美ちゃんを傷つけてしまったことをすごくすごく反省した。

 そして、それからあとは、咲美ちゃんを気遣って、もうあっくんのことは話さなかった。

 いや、違う。

 あっくんのことを話さなかったのは、彼女を気遣っていたんじゃない。

 あたかも咲美ちゃんを気遣っている顔をして、わざとらしい笑顔を振り撒いて、実は自分の罪悪感をかき消すためにやっていただけだ。

 あたしはサイテーの女だ。

 ぜんぶ、ぜんぶそうだ。

 いつもとびきりの笑顔で、明るく爽やかな元気ガールをアピールして、くよくよしない、細かいことにこだわらない、おおらかな女の子を演じている。

 これ以上ないくらいの計算高さだ。

 素を知られれば、味けない理系の計算女子とバカにされても仕方ない。あっくんに好かれなくて当たり前。

 本当に……、サイテーの女だ。

 そんなことを思いながら、あたしはターミナル駅の裏手の小学校の前で咲美ちゃんと別れた。

 その小学校は、春の暖かな日を思わせる素敵な名前。

 どうすれば、あたしはよこしまな気持ちのない素直な笑顔で、来年の春の日を迎えられるだろうか。


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